MIDNIGHT TALKING MAN

新米社長の涙と笑いのドタバタ奮闘日記

器から溢れ出す。

2008年02月16日 | Weblog
夢を持ち続けるということは、
相当に魅力的なことであり、
それそのものが、生きていく原動力になります。

私も、四十代の半ばにさしかかり、
志半ばとなっていることを、
もう一度胸に秘め直して日々歩みを進めております。

少年時代のように純粋に夢を追い求める。
そんな事が難しくなったと大人になるたび
人は口にします。
確かに、少年のように、
ただ一つの物事だけを追いかけることは、
現代社会において容易ではないことですが....

兎角、日々目の前で起こることは、
自分の「夢の世界」への到達を
まるで阻止するかの如く、
立ちはだかってきているような錯覚を覚えます。
しかし、反面それは今の心の有り様を、
試されている気がするのです。

その夢は本当に実現するのだと「確信」しているか?
その夢はもうすでに始まっていると「感謝」しているか?
その夢のために全身全霊で「行動」しているか?

そんな「問いかけ」の波に、
流されることなく、歩み続けること。
そして、思考し、行動し、啓蒙し、
蓄えた経験・知識・人間関係・感謝心が
溜まり溜まって、
自分の「器」から溢れ出した時。

その「夢」は、
まるで神からの授かり物のように、
次の「大きな器」となって
目の前に現れてくる気がします。



私も、迷い彷徨う人間のひとり。
しかし、その生きていく歩みを進めていくのであれば、
そこに夢や楽しさがあって、
それを確信と呼べるほどに追い求めていたい。
そんな視点をいつも持ち続けたいのです。

大人たちの背中が少し大きく見える。
そんな背中を子供たちや若者に
私でも見せてあげられるのではないだろうか?

苦労、苦労という前に、
溢れんばかりの思いを心から曝け出して、
軽やかに足取りを進めていく。
そんな気持ちになった今日でした。


祝福のうた

2008年02月06日 | Weblog
今週末、友人の結婚披露パーティーに招かれ、
そこで歌を披露することになりました。

音楽好きの新郎新婦なので、
そこでは、たくさんのお友達が、
バンドや弾き語りで音楽をプレゼントするそうです。
そのこと自体がとてもすてきです。

私も一生懸命歌わねばと、
いろいろと選曲に悩んだ末、
ふいにラジオから流れてきた曲が耳に留まり、
その歌を歌うことにしました。

さだまさしさんが書いて、山口百恵さんが歌った、
「秋桜(コスモス)」です。

嫁いでゆく娘さんの
子供であったことの惜別の思いと、
お母さんの娘の幸せを祈る気持ちが綴られた、
少しセンチメンタルな歌詞。

しかし、いろいろと親子間の関係を
取沙汰されたりする時代だからこそ、
この歌詞に込められた意味が、
とても大事じゃないかと思って選びました。


♪秋桜(コスモス)

  薄紅のコスモスが 秋の日の
  何気ない陽だまりに 揺れている
  この頃 涙もろくなった母が
  庭先でひとつ 咳をする
  縁側でアルバムを 開いては
  私の幼い日の思い出を
  何度も同じ話 繰り返す
  独り言みたいに 小さな声で

  こんな小春日和の 穏やかな日は
  あなたの優しさが 沁みてくる
  明日嫁ぐ私に 苦労はしても
  笑い話に 時が変えるよ
  心配要らないと 笑った

  あれこれと思い出を たどったら
  いつの日も一人では なかったと
  今更ながら 我儘な私に
  唇噛んでいます
  明日への荷造りに 手を借りて
  しばらくは楽しげにいたけれど
  突然涙こぼし 元気でと
  何度も何度も 繰り返す母

  有難うの言葉を 噛み締めながら
  生きてみます 私なりに
  こんな小春日和の 穏やかな日は
  もう少し あなたの
  子供でいさせてください

親は子供を持つことで、
「親」としての愛情に目覚め、
人間性の中の「他生」を育む。
子はそこで育まれる事が、
どれほど甘く暖かく幸せなことかを、
嫁いで「他生」をして、知る場面。

親子間が最初で最小、
そして、最大の人間関係。
そこから学び取り、
人生の大海原へ船を出す。
言わば「船」と「港」のようなものなのではと
思ってしまいました。

上手に歌えるかどうかわかりませんが、
嫁ぐ新婦さんには、改めてご両親への感謝と、
迎える新郎さんには、
大切な娘さんを預かる心を、
伝えられたらいいなぁと思います。

私のような若輩が言うのも口幅ったいですけれど...







遊戯三昧

2008年02月02日 | Weblog
禅の「無門関」という教えの中に、

「遊戯三昧」

という言葉があることを知りました。
この言葉は、こうありました。

「生死岸頭に於いて大自在を得、
 六道四生(ししょう)の中に向かって遊戯三昧ならん」

どんな人生になるかは、自分でもわからない。
自分の意志とは、全く逆の方向に行くこともある。
どこへ行こうと、
今いるところで徹底して自己を磨くことができれば、
人生を生きている。

いくら計算しても、
そのとおりになる人生などひとつもない。
自己の計らいを捨て、
今の人生になりきって生きていく。
それでよいのだ。

と書いてありました。

仕事をしていても、ゴルフのことを考えている。
ゴルフをしていても、仕事のことを考えている。
この不徹底こそが、人生を無駄にしているというのです。

本当にそうだなぁと実感させられます。
私は、自分で言うのも気恥ずかしいですが、
結構な「仕事人間」だと思っていました。

しかし、この言葉を知ったとき、
先に行った「無駄な時間」を多々過ごしたなと
自省してしまいました。

飲みにいきながら、
明日の仕事のことばかりを考え、
ついぞ、仲間やお店の人に愚痴る。

PCで仕事の資料を作っているのに、
ついネットで違う調べものをしてしまう。

小さなことなら、
数えたらきりがないくらいありますね(笑)

仕事三昧。
飲み三昧。
音楽三昧。
旅行三昧。

その場に、身を浸したとき、
徹底的に、その場に入りきって、
そのことだけを一生懸命やりぬく。

それこそを本物の人生というのだと、
この古い禅の言葉が教えてくれました。

確かに、仕事のできる人は遊び上手だとよく言います。
頭をスイッチチェンジできる、
ダイナミックさこそが、人生を謳歌する秘訣。
すでに遠い昔から実践されていたんですね。

私も、憚りながらそうありたいと思いました。
さて、今日もこれから仕事です。
仕事三昧で一日を終えられる自分を
イメージして.....