韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

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AIの馬鹿~何でもかんでもAI言うな!!!

2020-12-28 16:43:50 | エッセイ
 昨今、AIという言葉がやたらと目に入ります。AIはもちろん、Artificial Intelligence の略ですが、単なるコンピュータ処理のことを何でもかんでもAIと呼びたがる傾向が見て取れます。

 たしかに、機械学習という技術がAIの分野に取り入れられて、AI技術はその裾野と実用性を格段に広げました。

 具体的に言えば、機械学習以前は人間の知的動作あるいは作業をあくまでプログラミング(アルゴリズム)で表現することがAIと言われる分野でしたが、機械学習の概念を取り入れたことによって、それまでのコンピュータでは実用的なレベルで実現できなかった機能が簡単に実現できた時から、AIという言葉の濫用が始まったように思います。

 確かに機械学習という技術は人間の知的な作業の一部分をコンピュータ上で実行することを可能にしましたが、一つ大きな欠点があります。

 機械学習で得られる結果が、どうしてそうなったかを知ることができないからです。機械学習のアルゴリズム(あるいはソフトウエア)に膨大な量のデータを入力してやり、その出力から人間が期待する解答がどれであるかを教え込むと、だんだんと機械学習の精度があがって人間が望むような正しい答えを導き出せるようになるのですが、なぜ、その答えになったかが人間からみてわからないのです。

 入力のデータと出力のデータ(答)を確認することができても、そうなるに至った経緯や理由が示されないといったほうがわかりやすいかもしれません。

 いつでも正確な答えがでればそれでいいじゃないかと思われるかもしれませんが、なぜそうなったかがわからないのでは、適応できない分野だってあるはずです。

 今はたまたまうまくいっているかもしれないけど、ちょっとでも動作条件が変わってしまうと全然違う答えが出てくる可能性もあるわけです。

 入力から出力が得られる過程を論理的に説明できないというのでは、これは本当にAIと呼んでいいのかという疑問もわいてきます。

 まあ、人間のヤマ勘なんていうものもありますから、機械学習はコンピュータのヤマ勘で9割方は正しいですよ、なんて言われると少し愛着がわいてきたりするのかもしれませんね。

 そういうわけで、今のAIをとりまく状況が少しでもわかっていただけたのではないでしょうか。ある日突然AIが人間の知能を超える技術的特異点(シンギュラリティ)がやってくるなどという言説を一時期いやというほど聞かされましたが、そんなものは今のままではやってこないのです。

 なんだか自分でも何がいいたいのかわからなくなってきましたが、言いたいことはただ一つ、タイトルの通りです。ただのコンピュータ処理をAIと呼ぶな!ということです。

 昔、コンピュータの普及期に何かしらの間違いがあると「コンピュータが間違えました」という言い訳の言葉が笑い話として使われましたが、どんな時代になっても間違えるのは人間であって、コンピュータではありません。

 そんなことを考えながら、新しいコンピュータ技術について思いを巡らせるのは、私の大きな喜びであり、楽しみです。おそらく、生涯をかけたところで答えなんてでるはずもないですが、自分でできることからこつこつとやっていこうと思っています。

 皆さんも、自分でできることから初めてみませんか?


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