韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

韓国ドラマ、IT・デジタルなこと、AIなどと並んで哲学に関する事柄や、よろずこの世界の出来事について書き綴ります

韓国時代劇あるある~イビョンフン作品における

2021-07-23 15:52:21 | 韓国ドラマ
 韓国ドラマあるあるは、いろいろな人がいろいろなものを述べていますが、私もイ・ビョンフン時代劇中心にリストを作ってみたいと思います。

 1.漢字とハングルの使い分け
 町中に張り出されるお触れの類はほとんど漢字で書かれていることが多い。本来なら庶民向けにハングルを使うべきだと思いますが、役所の公文書ということで漢字を使うのでしょうね。

 ただでさえ字の読める人が少ないのに、読めなくても知ったこっちゃないということでしょうか?お触れの前に集まる人の中で、必ず代わりに読んでやる人がいるのは、まさにあるあるですね。

 ただ、役所の文書ではなく、今でいう怪文書の類はハングルで書かれていることがありますね。劇中で書かれる手紙もやメモの類も同じですね。

 漢字で書かれる場合もあれば、ハングルもある。女官が私的に記録する文書の類や、女官同士の手紙はハングルだったりしますよね。

 私はハングルが全く読めないので、漢字だけの文書の方が、なんとなく書かれていることが理解できて興味深いです。文書がアップで映されるたびに、静止してじっと眺めるのが私のドラマの楽しみ方です(笑)。

2.上下関係の厳しさ
 現代劇でも韓国人は相手との上下の関係性を確認しないと、会話すら始められませんが、時代劇ではそれがもっと厳しい気がします。
 
 時代劇特有の言いまわしがあいまって、韓国語がわからなくてもその場の人間関係が雰囲気で伝わってきます。私はアメリカのドラマは吹き替えでみるのが好きなのですが、韓国ドラマだけは字幕派です。吹き替えにすると、この場の雰囲気が全く伝わらなくなるからです。

 また、高級官僚の横暴さもすさまじいものです。自分の気に入らないことがあると、徹底的に相手を足蹴にするシーンも珍しくありません。慣れないと、みていてハラハラしますよね。私は初めてみたときには、少なからずショックを受けてしまいました。

 両班階級の横暴さもしっかり描かれていますよね。ドラマの中に、奴隷(奴婢)の話題がよく出てきますが、牛や馬以下の価値しかないという扱いがまたまたショッキングですね。

3.いったいどれだけのナウリが?!
 役人のことをナウリと呼ぶのは皆さんご存じだと思いますが、本当にお互いにナウリ、ナウリってうるさいと思いませんか?(笑)

 まるで、軍人同士が大佐、少佐なんて呼び合っているのと同じですよね。どちらも、階級を表す言葉なんで、当然と言えば当然ですが。

 ほかにも、ヨンガム、テガム、なんて頻出語ですよね。出世するにつれて、品階によって呼び方が変わってくるのも、また興味深いところです。

 ナウリなんて、あまりにも頻繁に使われるので、一般の呼びかけの言葉としてもポピュラーですよね。役人でなくても目上の人対する呼びかけとして、よく使われますね。

 それと、一度でも高い位に就くと生涯その呼び名で呼ばれるのも興味深いです。たとえ、流罪にされてもテガムはテガムですからね。引退した力士、例えば横綱を、その人の最高位でずっと呼び続けるのと同じなのかもしれません。

4.なぜか「糟糠の妻」がお好き?
 これは、時代劇に限ったことではなく現代劇にも、なぜか糟糠の妻がよく出てきます。韓国人は、この言葉が大好きなのでしょうか?「糟糠の妻クラブ」なんていうタイトルのドラマまでありますもんね。

5.唐辛子料理が出てこない
 韓国料理に欠かせない唐辛子ですが、時代劇の料理には唐辛子が使われていないですよね。時代が下れば使われていてもよさそうなものですが、まだまだ普及していなかったということでしょうか?

 韓国人がこれほど唐辛子を使うようになったのはいつ頃からなのでしょうか?もし、詳しい人がいたら教えてもらいたいものです。

 …ということで、思いつくままにあげてみました。また、思いついたら続きを書いてみたいと思いますね。

人生を生きるための価値基準について~韓国時代劇から考える

2021-07-21 17:35:49 | 哲学
 皆さんは、自分がどんな価値基準にしたがって生きていることを、普段意識していますか?

 まあ、普通はそんなこといちいち意識することなく生活していることでしょう。なぜなら、そんなことをいちいち考えていたら、何もできなくなるからです。

 歩くときに、右足を出した後に左足、手は反対側にふるなんて意識したら歩けなくなりますよね。階段でそんなことをふと意識したら、転げ落ちてしまうことでしょう。

 とはいえ、自分がどんな価値基準に従って生きているか、振り返ってみることはとても大切なことです。根本的な部分で間違っていたら、人生を大きく誤ることになるからです。

 韓国ドラマ、特に時代劇をみているとこのことを痛切に感じます。

 ドラマに出てくる悪い人は、どうみても生きるための価値基準が間違っていると感じるからです。

 常に対人関係でマウントしあって、自分よりも上か、下かが大切で、上の人間にはあからさまにこびへつらい、下の人間に対しては徹底的に見下して、足蹴にして構わないと思う。

 善悪の基準を絶対的なものではなく、この世の形而下の事柄におくので、結果的に間違った判断をしてしまう。

 一時的には権勢をふるえても、絶対最後には不幸な人生を送る。これが、韓国ドラマの定番の人物描写ですよね。

 儒教全盛の時代劇における価値判断は、現代とは異なるとはいえ、われわれ現代人もドラマをみておおいに反省すべきことは多いと思います。

 韓国では、今の政権になってから政治状況が目を覆いたくなるほどひどいものになっています。今回のオリンピックでも政治的な嫌がらせとしか思えない行動が目につきますし、われわれの価値基準からは、彼らの行動が全く理解不能だと感じている読者は多いのではないでしょうか?

 誤った価値基準に気付くことがない限り、韓国の人たちは今のような生き方から脱出することはできないことでしょう。もちろん、韓国人全員ではないですが、一部の声の大きな人たち、政治的な影響力の強い人たちの声は日本人を完全に怒らせ、不快な目にあわせていますし、それに対して反発する日本人もかなりの数にのぼるでしょう。

 私は隣国だから必ず仲良くすべきとは思いませんが、一定の距離を置きながらうまく付き合っていく方法を模索するべきなのが、日韓関係だと思っています。

 個人的には、韓国の食文化に敬意をいだいているのに、現状は大変残念です。