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自国語で高等教育が受けられる幸せ~高等・抽象概念の重要さ

2020-12-26 17:57:21 | エッセイ
 「最後の授業」という小説があります。小学校の時に授業で取り上げられたという記憶があるのですが、日本では比較的知られているのではないでしょうか。

 普仏戦争でフランスがプロイセン(ドイツ)に負けたため、フランスのアルザス地方がプロイセンに割譲されることになり、フランス語を教えることが禁止になりドイツ語しか教えてはいけないことになったというのが、このお話の主題です。

 子供の頃はこのお話でいわれていることが抽象的にしか理解できなかったのですが、大人になってから自国語を禁止され、外国語を強制されることのつらさや苦しみが理解できるようになりました。

 翻って現代でも、中国が少数民族に対して中国語教育をその意志に反して強制するという、上記の物語と同じことが行われています。

 また、お隣韓国では反日活動の一環で日本語使用の禁止、はたまた韓国語の中の日本語由来の言葉まで使用禁止にするという動きがあります。

 しかし、そんなことが本当にできると思っているのでしょうか。高等教育で使われる西洋文明由来の抽象概念を表現する言葉は、明治の日本人が心血を注いで作り上げていったものです。

 その出来が素晴らしかったからこそ、漢字の本家中国にも逆輸入されて根付いていますし、韓国の人たちも日本の統治による日本語教育でそのことに触れ、独立後も韓国語の中に自然と取り入れられ使われているという経緯があります。

 私たちは大学以上の高等教育を母国語である日本語で受けることができることを当たり前のように思っていますが、それも明治時代の先人の努力があったからこそなのです。日本語で、西洋文明の抽象概念を表現できるようにしてもらったことは、いくら感謝してもしきれません。

 現在でも、高等教育を自国語で受けられない人たちが数え切れないくらいいます。その人たちの言語の中に現代文明で使用される抽象概念を表現する語がないからです。私は、この事実を学生時代に知って大きなショックを受けたものでした。

 それなのに、お隣の国では先人たちの素晴らしい遺産を捨て去ろうと叫ぶ者がいます。まあ、ここ数十年間で漢字を使用することをやめて、ハングル中心で生活できてきたのでそんなことを簡単に言うのでしょう。

 しかし、それがあまりにも浅はかなことなのは、私がここで述べたことからすぐに理解できるでしょう。現在の韓国語から日本由来の言葉を取り去ってしまったら、高等教育を受けられないどころか日常会話さえままならなくなり、社会はパニックになることでしょう。

 私には、何かを発話しようとするたびに使用禁止用語が出てきそうになり、その場で絶句する人たちの姿が目に浮かびます。

 日常生活で漢字を使うことをやめたしまったことは今更悔いてもすぐに元に戻すことはできませんが、日本語に対する無理解からくる無茶な行動をこれ以上扇動したり広げたりしないでもらいたいものです。

 自国語を使用するという、最も民族のアイデンティティを示すであろう行動の首根っこを日本に押さえられているのが悔しいのかもしれませんが、だからといってそんなものやめてしまえというのはあまりにも乱暴な議論なのです。

 韓国の人たちがこの件に関して冷静かつ賢明な判断をくだすことを心から願っています。



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