Aino's Dream

職業写真家Aino(日本写真家ユニオン会員)のオフィシャルブログ。写真って夢みたい。。ゆるりゆるりと夢を追い続けて。。

7月の最後に

2013年07月31日 | GR

 

 

月日はあれから一年流れた。7月は私が自らその命を絶とうとした月だった。他人にとってはどうでもいい暑い夏の一月だろう。だけれど、私たち夫婦にとっては嫌でも思い出す、そして二人で、また、それぞれが一人で考えさせられる一月だった。そしてまた、去年のように辛い一月だった。二人とも「何故?」と考えざるを得なかった。

死に取り憑かれたとき、私はメール一つで働いているオットに死を告げた。どんなにかわいくてかわいくて仕方のない猫たちも、愛するオットも老いた母のことも、何もかも頭の中からなくなった。

理由はいくつかあったと思う。でも一番の理由は、写真家として創作し続ける厳しさや自信喪失など、そこには絶えず写真がつきまとっていたように思う。今でもそれは変わらない。

だけど、どんな理由があろうと、私はオットを裏切り、母を悲しませた。そのことを否応なく思い返すと、どうしたらいいのかわからなく混乱した。そういう時オットが、「とにかく生きてくれ」、と言ってくれた。去年と変わらない辛い7月を乗り越えられたのは、このオットの言葉のおかげだ。

今日、私はちょっとした一歩を踏んだ。ほんのちょっとの一歩だ。でもその一歩は7月の終わりの日に、かけがえのない一歩となった。


Gravity

2013年07月31日 | GR

 

 

ラベンダー畑の道をゆく

癒しのはずのラベンダーの香りが

今の私には、少しきつい

それでも、両脇をラベンダーに支えられるようにして

一歩、また一歩と、歩を進めていく

喜びや幸福や輝きが多いほどに

哀しみも増し

その膨れ上がった生きるという重力

時々、投げ出したくなる

しかし、だから、私はまだ、生きている


哀しみについて

2013年07月27日 | 独り言

 

先日、テレビで空海の特集を観た。空海はポジティブな言葉を非常に多く遺した一方で、こんな言葉も遺していた。

「哀しいかな 哀しいかな 哀しいかな 重ねて哀しいかな」

一番弟子が亡くなった時のことであった。

私はこのテレビを観て、空海のポジティブな面よりも、この言葉に強く惹き付けられた。もともと、私はいわゆる浪花節的な自分だけをかわいそうがっているような感じは好きではないのだが、というか、単純に楽しければいい、くらいの貧相な考えの持ち主だったが、この言葉を聞いた時に、ハッとすると同時に救われる想いがした。楽しくなるように頑張らなくっていいんだと。

人生とはなどと言うつもりはないが、みんな哀しみを抱えながら生きているのだと思う。それは赤ちゃんが泣きながら生を受けることに象徴されているような気がしてならない。そして、喜びや楽しさは、哀しいからより際立つ、というよりむしろ、もはや哀しみに内包されているものなのではないかと思う。

そう思った時に、この自分の哀しい哀しい哀しいどこまでも哀しい存在が赦せるようになった気がする。


寄り添うということについて

2013年07月26日 | 独り言

真心ブラザーズ 『サマーヌード』

 

最近、驚いたのが、この歌を人気ドラマの主題歌として、ジャニーズの山下君が歌っていることだった。それによって、私は一気に15年以上前に引き戻された。最初は、この歌よく聴いていたな、というくらいだったが、何故そんなに聴いていたのか徐々に思い出すことになった。

15年前頃、私は辛い辛い恋の最中にいた。そんな頃にこの歌に出会ったのだ。この歌の歌詞

「僕ら二人で通り過ぎるその全てを見届けよう 心のすれ違う時でも」

この部分がその時の私には必要だった。その時の恋人は私に寄り添うということはしてくれなかった。帰国子女のせいなのか独立心が旺盛だった。一方私は、精一杯努力したつもりだった。欧米の考え方や価値観も学ぼうと本を読んだりもした。しかし、私が近づこうとすればするほど、彼は心を閉ざしていった。私には内野には入ってきてほしくない、外野にいてくれ、とまで言われた。

その頃から、私は同じ景色を一緒に見てくれる人を、つまり寄り添ってくれる人を探し続けることになったのだと思う。偶然にもその彼とサヨナラをした直後に現在のオットと出会うことになった。

今なら分かる。心寄り添える人など、ほんの一握りしかいないのだと。それほどに、誰かの心象風景を一緒にみることは、困難極まりないということを。

オットはそれを軽々とやってのけた。そういうオットにこころから感謝しつつ、私もオットも含めて、誰かが困っている時に、そっと寄り添える存在でいたいと思う。

曲の話に戻るが、真心ブラザーズのぶっきらぼうな歌はやはり色あせず男臭くってとってもカッコいいと思う。山下君のは最初聴いた時には違和感を感じたが、なかなか色気があっていいんじゃないとニヤニヤしながら聴いた、彼も恋をしているのかも・・・


写真について

2013年07月24日 | 独り言

私は細々とではあるが、写真を生業としている。

しかし、写真には、私にとって生業以上の意味がある。ライフワークだと考えている。

写真を始めたのは、6年前くらいの結婚して2年くらい経ったときくらいだった。私は最初、別のテーマのブログをやっていたが、その挿絵程度にと思って、当時最も原始的なデジタルカメラを買った。仕事と家事に追われる日々、心の休息が欲しくなったのはその直後だった。いつしか写真が私の心のよりどころになり、リコーのGR DIGITALで本格的に撮るようになった。撮るのがとにかく楽しかった。

Facebookで写真を公開するようになってから、徐々に私の心の中で、写真というものが、ブログでの時と違うものになっていった。レスポンスの早さ、また、要求もあった。次第にプレッシャーを感じるようになっていった。FBでは作品を載せるのをやめた。

今はブログ主体で気まぐれに、また表に出さない、もしくは、しかるべき時がきたら表に出そうとしながら写真を撮っている。

生業である以上、それは最初の頃のようにただ単純に楽しいから撮れるという感じではない。ただ、写真とは、私にとって、一筋の光を頼りに闇の中でじっと自分と向き合うことなのかと思う。特に何か特別なものではなく、日常見過ごしてしまいそうなものを非日常的に撮り、世界の素晴らしさを再発見するにはどうすればいいのか、それは、一度は死を選んだ私にとって、生きることの一筋の光でもある。

写真を撮るとき、闇の中で自分と向き合いながら、常に、「どうして生きるのか?」というより逆に「生きる」ということが私に問いかけているのだと痛感する。


オンガクについて

2013年07月17日 | 独り言

 

 

私は小さい頃からオンガクが好きだった。小さい頃は歌うのが大好きで、中学生位から聴くのも好きになっていった。うちはみんな歌うのが好きだったから、毎晩毎晩、私のピアノに合わせて家族で何曲も歌っていた。家族全員が私の中学の校歌を歌えるくらいだった。

大学の頃は、友達の家で恋の歌を聴いてなんだかんだと語り合っていた。大学を卒業する頃はボサノヴァやJAZZ、世界の民族音楽を聴くようになっていった。

今も車に乗る時などは30枚以上もCDを持ち込んでいる。とにかくオンガクが好きだ。

ただし、最近は家で一人になると無音のままじっとしてしまうことが多かった。そんなとき、学生の頃実によく聴いた槇原敬之を引っ張りだした。恋の詩がほとんどだが、彼の散文的な歌詞、いや、歌詞というより一つの物語に私にとって、普遍的なものを発見した。それは学生の時に聴いた単なる懐メロではなく、一種のコミュニケーションだと思った。

オットは中学高校とお金がなくてあまり友達と遊べず、部屋でオンガクを永遠と聴き続けていたと笑って言っていた。オットもオンガクがコミュニケーションとなっていたのだろうか。

JAZZもボサノヴァもクラシックもとってもいい。でも、この暑い日本の夏にはサザンもいいなと思う。