Aino's Dream

職業写真家Aino(日本写真家ユニオン会員)のオフィシャルブログ。写真って夢みたい。。ゆるりゆるりと夢を追い続けて。。

天使になった子

2015年11月08日 | Leica M9-P

 

末っ子の3歳だったリュウが亡くなって3回目の命日を迎えた。

甘えん坊だったリュウ、私たちだけでなく、お兄ちゃんお姉ちゃんたちにもかわいがられ、みんなのアイドルだった。
私が一番好きだったのは、写真を撮っていなかったのが今でも悔やまれるが、朝食のときに、オットのあぐらに座って、楽しそうにパパが食パンなどを食べるのを見ていた、その毎朝のありふれた、そして温もりのある光景だ。かわいかった。

あの日、リュウは腎臓がんのために、ついに意識が混濁した状態になった。オットは出かける直前まで泣きながらリュウの名を呼び撫でていた。そして、「じゃあ行ってくるよ」と言って立ち上がったとき、リュウは一瞬意識を回復し、泣いた。それが「パパ行かないで」だったのか「パパさようなら」だったのか、今となっては分からないが、それがリュウの最後の言葉だった。

それから、私はリュウのかすかな呼吸を見守り続けた。そして、いつも抱っこを好まなかったリュウをせめて最期だけでもと思ってそっと抱いた。14時20分永眠した。どんどんとリュウは冷たくなりリュウでなくなり、そしてリュウに戻っていった。

オットが泣きながら帰宅し、リュウの屍を前に二人で泣いた。

次の日、お葬式をすることにし、リュウを抱いて、全てのニャンにお別れをさせた。そして、動物用の葬儀場に行き、いざ、火葬となった段階で、リュウを乗せて閉められていく釜を見て、たまらず「リュウちゃんリュウちゃん!」と、係の人の静止を振り切って釜のところまで駆け寄った。しかし、釜は一定の速度を保ちつつ、ぴったりと閉まった。あの時の胸が潰れる様な想いは忘れられない。骨になったリュウ。私は半ば放心状態でオットと骨をいくつか拾った。

こうしてリュウは天使になった。


私はここで、何か、教訓めいたこととか、前向きな何かとか、言いたくない。それはリュウを利用しているように思えるからだ。
ただただ、悲しい。それだけだ。それだけでいい。 


花乱

2015年06月25日 | GR

2015年06月25日 | GR

たまには

2015年02月23日 | GR

自分が被写体に。

動物が好きでネコが大好きでラーメンが大好きでオンガクが大好きでニュース番組が好きでオットの作ってくれる蕎麦が大好きで嫌いなものもたくさんあるけど、好きなもので満たされていて、オットの側にいるだけで安心できる、そんなヤツ。


ぬくもり

2015年02月23日 | GR

立派なマフラーを持ったミヤコ
陽のあたる暖かい部屋で
暖かいマフラーにくるまれて 


My White Cat

2015年02月21日 | GR

白猫ののんちゃん。
綺麗なブルーアイだけど、より目。
「より目でもネコ社会のことは見えていますニャン!」
Cleverなな子です。
(アメリカンカール ♂ )


Let's live with a laugh!

2015年01月26日 | Leica M3

私の最近考えていること。「笑いながら生きよう」

20代の前半で父が亡くなったとき、四六時中泣いていた。でも、そんなさなかに、朗らかに笑うオットと出会った。そうして私は笑顔を取り戻した。

その後、都立の障害者職業訓練校での講師の職に就いた時、私は生徒の前でいつも笑っている先生でありたいと思ったものだった。みんな辛い思いを胸の中に溜め込んで生きているのが分かったからだ。

そんな私が、今度は4つもの病気にかかってしまった。ごく最近のことだ。不治の病も含まれていた。最初は自分を哀れんで泣いた。オットともうすぐお別れなのかと思って泣いた。だけれども、泣いたところで悲しみは増し、行き着く場所はなかった。

私は今、辛いけれども、優しいオットの側にいられることに感謝して、また産んでくれた母に感謝して、笑って生きていこうと思っている。それが生きていることの証のように思われるからだ。 


おはにゃん

2015年01月15日 | GR

 

寒くて、朝、なかなかお布団から出られない日々が続いてまする〜

(リュウノスケ ♂ ソマリ)

 


Merry Christmas!!

2014年12月25日 | Leica M9-P

Big Face

2014年12月22日 | GR

 

「大きな顔で失礼します」


Lifework

2014年12月06日 | GR

 

最近の私は、写真を外に出さなくなっている。これには理由がある。思い至ったことがある。

それは、私のライフワークを見つけたからだ。

私は、今まで、綺麗なもの美しいものをより美しく撮ることに精進して気がする。それは無意識だったが。
しかし、私は今此処に、愛おしいもの、愛すべきものを発見した。それは重要且つ眼の見開かれる様な、ちょうどカメラに光が差し込んでくる様な、そんな発見であった。

その愛すべきものとは、オットとネコ達である。オットのネコの可愛がりようはすごい。とても真似の出来ないほどに優しさと慈悲深さに満ちあふれている。それを撮らずして何を撮ろうというのだろうか。

そして、今「オットとネコ」 を生涯のライフワークに据え、写真を撮り溜めていたる。もちろん他にも心打つものをしっかりと見定めて撮っていこうと思っている。そして夢はその写真達の写真集を作ることだ。


Pleasure to take a photograph

2014年10月07日 | GR

2年ほど前からだっただろうか、私は私の撮る写真に、非常に嫌悪感を感じ始めた。機材はこれ以上とないものを集めた。その良質のレンズから、美しい写真をあみ出そうと必死になっていた矢先だった。突然、何を撮ればいいのか分からなくなったのだ。
それまでの私の画像のコンセプトは「日常を非日常に」であった。しかし、私にはもう、日常しか見えない、非日常が見えない状態だった。結局、私の撮っていた写真は、日常を飛び越えて、非日常ではないのか。この上ない機材は非日常的な綺麗な写真を量産することには成功したが、満足感は得られなかった。
悩み抜いた末、デジイチを持って歩くのをやめ、コンパクトカメラであるGRを片時も離さず撮るようになった。非日常を撮るにはGRで十分すぎるという結論をたたき出し(もちろん今の時点の話だが)、Photoshopを勉強し直した。そして、撮った画像はまるで荒らすかのように、まさに画像荒らしを行っている。もちろん構図や露出には気をつけ、仕上げの荒らしにも耐えうるように努力は怠ってはいない。
今は携帯でも驚くほどキレイな写真が撮れる。私は今、キレイな写真を荒らそうとしているのだから、変人と呼ばれても仕方はない。先日、写真家の大先輩にも、その不思議な写真をもっとプッシュすべき、という助言を頂いた。
楽しい。「日常を非日常に」写真生活の楽しさがまた戻ってきた。そしてまた、友人らの撮った綺麗な写真に心打たれる自分もいる。 


さよなら夏の日

2014年09月26日 | GR

気付いたら、キセツが去ってゆこうとしていた

さよなら夏の日

貴方と出会ったキセツ

貴方と一緒にいたキセツ

貴方が私の存在価値を見出してくれたキセツ

さよなら さよなら

また巡り来るまで


Eyes

2014年07月18日 | GR

 

膝を壊した。

しゃがめなくなった。

地より這い出た野の花の目線で写真が撮れなくなった。

 

しかし、その代わり、同じくその地の上に立つ自分の目線からいろいろなものが見えてきた。

もしかして、それが本当の私の写真なのかもしれない。


忘却の美学

2014年05月05日 | GR

忘れるということは一般的に悪いイメージがあると思う。ただ最近そうでもないのかもしれないと思い始めた。昔OLをやっていた友人が、シャワーで流して指先から足先から全部今日あった悪いことが出て行くみたいなんだよ、と言っていた。ある友人は寝て起きたら全部忘れちゃう、と言っていた。なかなか物事が忘れられない私にとっては羨ましい限りだった。
かくいう私も40を過ぎて大分忘れやすくなってきた。困ったものだと思いながら母に言ってみると、ガハハハと笑っているのである。アタシなんか昨日のことすら覚えていないわよ、と 。確かに最近母は、仕事のことと楽しいことは絶対忘れないが、それ以外のことは、な~んにも気にしていないのである。もちろん嫌なことも。私は忘却にもこうした美学があると思う。