見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 姦通罪

 現在、世界で最も広く使われている紀年法
である西暦イエスが生まれたとされる
年の翌年を元年(紀元)にしていますが、

 当時のユダヤ社会でのイエスの登場は
如何に センセーショナルでエキサイティング
出来事だったというのでしょうか


  エルサレムに入城するイエス
 
 イエスが登場する以前に、ユダヤの地に
ひとりの偉大なる「預言者」出現
あり、その人物は前回のブログ記事である

 『ダ・ヴィンチの罠 洗礼者』
での洗礼者ヨハネであったわけですが、

 断然 人気があったのはイエスより彼の
方であったとダ・ヴィンチは考えていました。

 否、それよりもむしろ、

 本当の意味での「救世主」(メシア)は
洗礼者ヨハネのことであるとさえ、彼は
思っていたのですが ・・・

 今回はそんな西暦の起源となったイエス
の懐妊に纏(まつ)わる聖母マリアの周辺
の事情について考察してみたいと思います。

  
  出典:www.kyobunkwan.co.jp

 さて

 御使いのガブリエルより、受胎告知
(予告)を受け入れたマリアは、

   
  エリサベツと聖母マリア Wikipedia

 南ユダヤの山地に住む親族のエリザベツ
のもとを訪ねます。

 老齢の彼女もまた精霊の力によって懐妊
し、六か月目を迎えたと知ったからですが、

 ナザレからユダの町までは一週間ほどを
要する旅路であったと思われます。

 マリアは その地で三か月ほど過ごして
から、ナザレにある家に帰ってきましたが、

 彼女の妊娠が多くの人々に知られるまで
に、さほど時間がかかるとは思われません
ので、『福音書』が伝えるように、精霊の
働きによってマリア懐妊したのならば、
ヨセフと婚約していたマリアは死ぬほど
悩み苦しんだに違いありません

 なぜなら当時、

 から与えられたイスラエルの律法では
婚約と結婚とは、ほぼ同じと見なされていて
、その差は一緒に住んでいるかいないか、

 つまり、

 輿入れを済ませたか否かの違いだけです。

 ですから 二人はの前ではすでに夫婦
であったと見なされるわけです。



 このような場合に、マリア姦淫したと
判断され 石打ちの刑(申命記22:23-24)に
処されることになっていました。


    【申命記22:23-24】

 「ある人と婚約中の処女の女がおり、
  他の男が町で彼女を見かけて、
   これといっしょに寝た場合は、

  あなたがたは、そのふたりを町の
  門のところに連れ出し、石で彼らを
  打たなければならない。

  彼らは死ななければならない。

 これはその女が町の中におりながら
 叫ばなかったからであり、その男は
 隣人の妻をはずかしめたからである。

  あなたがたのうちから
       悪を除き去りなさい」


 婚約中に他の誰かの子を孕んだら、立派
「姦通罪」(姦淫の罪)が適用されて
必ず石で打ち殺されたのです。

 当然、

 マリアヨセフに対して妊娠は聖霊に
よるもので、自分は不道徳な行為に及んで
いないことを訴え なんとか分かってもらおう
と必死に説明を繰り返しますが、ヨセフ
その話を理解することも信じることも、到底
できなかったはずなのですnose7

 この辺りのことを『マタイの福音書』
から見てみましょう。



 わかりやすい口語訳でのアレンジです。

 「イエス・キリストの誕生の次第はこうで
 あった。 母のマリアとヨセフは婚約して
 いたが、まだ一緒にならない前に 聖霊
 によって身重になった」
    (マタイの福音書1:18) 

 「ヨセフは正しい人だったので、彼女の
 ことが公になることを好まず、ひそかに
 離縁しようと決心した」
    (マタイの福音書1:19)

   
 『ガブリエルとナザレのヨセフ』フランシスコ・デ・ゴヤ画

 「彼がこのことを思いめぐらしていた時、
 御使いが夢に現れて言った『ダビデの
 子ヨセフよ、心配しないでマリアを妻と
 して迎えるがよい。 その胎内に宿って
 いるものは聖霊によるのである」
    (マタイの福音書1:20)

 「彼女は男子を産むであろう。その名
 をイエスと名づけなさい。彼はおのれ
 の民を、そのもろもろの罪から救う者
 となるからである」
    (マタイの福音書1:21)



 「すべてこれらのことが起こったのは、
 主が預言者によって言われたことの
 成就するためである。すなわち」
    (マタイの福音書1:22)

 「『見よ、おとめが身ごもって男の子を
 産むであろう。 その名はインマヌエル
 と呼ばれるであろう』これは『神は我ら
 と共にいます』という意味である」
    (マタイの福音書1:23)

 「ヨセフは眠りから覚めた後に、主の
 使いが命じたとおりに、マリアを妻に
 迎えた。しかし、子が生まれるまでは、
 彼女を知ることはなかった。 そして、
 その子をイエスと名づけた」
   (マタイの福音書1:24)

 
『聖ヨセフと幼子イエズス』グイド・レーニ(1635年)

 おいおい

       
      (ホンマかいな)

 ヨセフがどんなに善良なる
あったとしても、こんなにも事がすんなり
と運べたとは思われません。

 たとえ、すぐに妻として迎えたとしても、
日を待たずして、腹が目立つようになり、
七か月後には赤子が生まれます。

 今なら「できちゃった婚」で済ませる
ことができますが、輿入れ前の3か月間、
マリアエリザベツの暮らすユダの
町にいて ヨハネの近くにはいなかった
わけですから、人々からの好奇の目に
晒され、不義密通の嫌疑で裁かれる
ことは必至なわけです。

 誰の目からもマリアの子がヨセフ
(たね、血筋)でないことはあきらかで
、現在ならいざ知らず、敬虔な旧約の民
なら、なおさらに 許されざる罪深き行為
があったと断罪されてしまうわけです。

 『福音書』には、

 イエスを指して、「この人は大工では
 ないか、マリアの息子・・・」
    (マルコの福音書6:3)

 また「この人は大工の息子ではないか
 、母親はマリアといい・・・」
   (マタイの福音書13:55)
  
 とありますが、このような言い回し方法
も、ダ・ヴィンチには解せないわけで、

  

 通常、男系(父親)の血統が優先される
イスラエル(ユダヤ)の地で、ヨセフの子
と呼ばれないイエスとは何でしょう

 かと思えば、『ルカの福音書』では、

 「イエスが宣教をはじめられたのは、年、
 およそ30歳のときであって、人々の考え
 によれば、ヨセフの子であった


 (ルカの福音書3:23)とありますが、

 ここでは、

 人々はそう思っていたけれど、実際は
そうではないのだ、というニュアンス
が込められていますよね。

 そしてその続きからは、わざとらしく・・・



 「ヨセフはエリ(ヘリ)の子」 (3:23)

 「それから、さかのぼって、マタテ、レビ
 、メルキ、ヤンナイ、ヨセフ、」 (3:24)

     ― 中略 ―

 「メレヤ、メナ、マタタ、ダナン、ダビデ
 エッサイ、オベデ、ボアズ、サラ、ナア
 ソン、」 (3:31-32)

     ― 中略 ―

 「ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、
 ナホル、」 (3:34)

     ― 中略 ―

 「カイナン、アルパクサデ、セムノア
 ラメク、」 (3:36)
 
 と、次ぎ次ぎに、延々と、辿っていって、


  『アダムの創造』 ミケランジェロ

 「エノス、セツ、アダム、そして
 いたる」 (3:38)まで、系図をどんどん
と遡っていくわけです。

 そして、

 「人々の考えによれば、ヨセフの子で
あった」と その血統がダビデの系譜に
属することを示しつつ、しかし、その実は、
聖霊の働きによるもので、

 単に ヨセフとは血のつながりはない
という意味だけではなく、すべての人間
の子であり、ひいては「神の子」
あることを強調する言い回しなのです。

 そこにダ・ヴィンチは意図的で計画的
な厭(いや)らしさを感じるわけです。

 そして、脚本家としての視点からは、
そこに厳然たる事実としての父、祭司
ザカリヤを見てしまうのです。

  
ザカリヤと大天使ガブリエル 出典:ameblo.jp
 
 『マタイの福音書』及び聖伝では、
ヨセフはダビデ家42代の末裔で、父は
ヤコブという人物とありますが、前述した
『ルカの福音書』に見られる家系図
では、ヨセフの父はエリ(ヘリ)という名
になっています

 こうした齟齬だけでなく、ダ・ヴィンチが
『福音書』の内容に疑問を持つのは、

 周知に近い状況におかれたマリア
不義密通の嫌疑を晴らすのは並大抵の
ことではなかったはずにもかかわらず、

 そうした子細には一切触れることなく
の御言葉に対する全面的な信頼
という信仰に委ねてしまって
いることにありました。

 たとえば

    

 小生が、当時のナザレに暮らしていて、
旧知の仲であったヨセフから事の顛末
を聞き及んでいたとしても、受胎の時期
マリアが地元のナザレに居なかった
ことは致命的で、その点に疑いをむける
人たちの口に戸は立てられないし、噂が
噂を呼び、憶測が駆け巡っているなかで
石打ちの刑(姦淫の罪)から逃れる
弁護は至難であって 無罪や免責を勝ち
取ることは不可能だったと思われます。

 ところが、マリアには何の咎(とが)も
ないばかりか、大工であるヨセフ
として問題なく認知されているわけです。

 聖書外典、『ヤコブ原福音書』
よれば、二人は 司祭の前で定められた
通りに証言したが、「姦通罪」として
裁かれずに済んだといいます。

 要するに、
 
 マリアのお腹の子は 夫ヨセフの子
ではないと正式に認めたうえで、二人を
夫婦としたのです。

 この不可解さは、いったい

 そう思った

 ダ・ヴィンチは大胆な仮説前提
推理を始めます。



 『福音書』が語る通りに彼らが証言
したとして、司祭がそれを受け入れると
は到底のことに思われませんnose7

 それでは、

 旧約律法の定めるところにおいて、
「姦通罪」とならずに済む、お腹の子
の父親とはいったい誰なのか

 どういう条件が揃えば、無罪放免
なり得るのか


 そして、

 ひとつの可能性を見つけ出します。

 


 辿り着いた方策は「初子の奉献」
(聖別)と祭司たちへの戒律です。

 『旧約聖書』に、初子はに奉仕
する子で、さらにモーセ大祭司
対して厳しい規律を求めていました。
    (レビ記21:10-15)


 『出エジプト記』の記述では、 

 「主はモーセに言われた」 (13:1)

 「イスラエルの人々のうちで、すべての
  初子、すなわち、すべて初めに胎を
  開いたものを、人であれ、獣であれ、

 みな、わたしのために聖別しなければ
 ならない。それはわたしのものである」
    (出エジプト記13:2)

 さて、

 マリアの父親ヨアキムはユダ族の
出身でダビデ王の子孫ですが、母親
アンナはレビ族の大祭司アロン
同じ系統の祭司マタンの娘でした。

 祭司マタンには、三人の娘がいて、
そのなかのひとりであるゾイアの娘が
エリザベトで彼女は祭司ザカリヤ
の妻で洗礼者ヨハネの母です。

 ですから、

 マリアエリザベトは、従姉妹
(いとこ)同士の関係にあったわけです。

 御使いから彼女自身の受胎告知
エリザベトの懐妊を知ったマリア
、彼女の住むユダの町に向かいます。


 「え~、やだぁ、わたし妊娠するの」

 それから、

 「マリアは、エリザベツのところに
三か月ほど滞在してから家に帰った」
    (ルカの福音書1:56)

 要するに、

 それなりの期間にわたって、長逗留
(ながとうりゅう)していたという事柄に
無罪放免が隠れていると見た
ダ・ヴィンチの出した結論が、前述の、


  出典:plaza.rakuten.co.jp

 、祭司ザカリヤなのです。


 ですが、その解説をするだけの余裕
が紙幅に残されていませんので、

    

 詳細は、次回以降とさせてください。


 その代わりと言ってはなんですが、

 マリアの母アンナを巡る伝承には、
ヨアキムの他に、再婚した2人の
夫(クロパとソロモン)がいて、それぞれ
の夫の間に娘(マリアの異父妹)がおり、
その妹たちの名前もマリアであったとか、

 つまり、

 マリアマリアマリア

 3回も結婚していることになるのですが、
アンナも相当に怪しい感じです

 もちろん、

 あくまでも言い伝えに過ぎませんが・・・

 まあまあ、

   

 確かに、アンナも怪しいけど、

 5年後に変わるとされる紙幣にも

 「なにやらキナ臭いニオイが・・・」



 「令和ピボット」じゃろうな

   

 ピボット(pivot)って、回転の「軸」
「転換する」という意味よね。

  

 平成から令和へと元号が変わる
この機を捉えて、

 「いろいろ仕掛けようと企んどるんじゃ」

 ひょっとして、

 旧約から新約の時代へと大転換
起こしたような ・・・

  「Ray War(令和)かもね !!


 イエスの洗礼 出典:blogs.yahoo.co.jp

   ・・・ っておいおい



  「言葉で遊ぶな !!



 … to be continue !!



 でも、これは、れっきとした ・・・

 「姦通罪」(姦淫罪)だよね。

  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 
     出典:ameblo.jp



  



     「え !!

     
    (んなわけないがな)


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

コメント一覧

小吉
姦通罪というのは現代でもあるのだろうか。

いわゆる不倫ということだと思うけれど、どうしてそれが「罪」になるのかわからなくなってきました。

法的、つまり人為的な決まりからはずれたから「罪」とされているのか、そもそも不倫というものはいけないことなのだとされているのかよくわからなくなってきました。

だれか説明してくれー。
むらさき納言
そもそも、イプシロンした元凶は、これ(姦淫)なのよ!

イミフの人は、『ダ・ヴィンチの罠 デルタ』のコメント欄をチェックしてみてくださいね。

https://sun.ap.teacup.com/japan-aid/584.html
蚤仙人
大昔に行なわれた姦淫行為がオブラートに包まれ、美辞麗句に虚飾されて生まれたのがキリスト教という世界的な大宗教になったという話じゃが、令和(Ray War)→ 光の戦争の時代に突入してからというもの、世の中おかしなことばかりが起こっているようですぞ!
やぶにらみ
この告発の行方、先が見えてますぞ。

「返戻」ということにしておいて、結婚が終わるまでの時間を稼ぎ、結婚後に再告発されたとしても、最終的には不受理となるシナリオですな!
刑事プリオ
その告発状、東京地検から辺戻されたとのことだけど、体のいい時間稼ぎに思えてならない。

不受理にしたら、国民が黙っていないし、大荒れの大炎上となるのは必至で、大きな障壁がさらに堅固に高く積み上げられることになる。

東京地検の言い分は「告発事実が十分に特定されているとは言えない」
 
従って、「犯罪地または犯人の所在地を管轄する警察署等に相談されることをご検討願います」としているが、権力横暴のオールジャパン体制で必死に小室母子を守っているようにしか感じられない。
リンゴとバナナ
傲岸不遜な輩とは刑事告訴された小〇佳〇氏や皇室を食い物にする小〇圭氏のことでしょうか!?

蚤仙人
昔も今も、特権階級による事実の隠蔽や都合のいい情報操作は止まない。

傲岸不遜な輩の所業もまたしかりじゃ・・・
喉ごしゴクン
それが事実なら立派な姦通罪が成立するけど、いつの時代にも特権階級は存在する。

なるほど、祭司特権かぁ!!
真実一路
祭司ザカリヤの影どころじゃなく、祭司ザカリヤの落とし胤だって説ですが、3カ月もあれば、十分すぎて言わずもがなの結果でしょう。

処女懐胎に比べれば、ずっと合理的で納得性のある話です!
やぶにらみ
なるほど、なるほど、作り話を信じられる特別なる能力が、我ら人間には備わっていたと言うわけですな!
ナヤンデール人
ま、全世界で1200万部を突破した『サピエンス全史』でも、我々、ホモサピエンスが一人勝ちしたのは作り話を信じることが出来たからだと言ってるしなあ!
Bull-Dog
旧約から新約への大転換につながる「Ray War」かも?

という文脈だから、音よりその意味の方が重要かもね!?

つまり、音はどう聞いても「ウォ―」だけど、「ウァー」と読んでよしとする。

要は、間違いや嘘を「よしとする」のが新約の時代で、それはマリアの処女懐胎に端を発する。

そして、刑事プリオさんの言う作り話の歴史が始まった。

ところで、中退さんのコメの2、だけど、個人的には、1、推しだが、がしかし、以降の内容には激しく同意する面もある。

そして、おそらく、それが事実であったとしたなら「姦通」の罪は大きく重いのだ!
刑事プリオ
たぶん、ローマ字式の読み方なんだよ!
「Ray War」で令和は・・・

そして、大昔から、今日まで、ず~っと、この世界の歴史は作り話だったってことさ!

トランプがそれを証明してみせてくれたってことだよ!?
Bull-Dog
「Ray War 令和」って、Warは、どうみてもウォーだけど。

それはそれで、中退さんのコメで言えば、1、そんな事実はなかった。が正解でしょう。
ガラパゴス
「コロナ禍」での自粛警察やマスク警察も厄介な存在だけど、ユダヤ社会での厳格な律法は、その比じゃないよな!

某法学部中退の誰かのコメにあるように。

婚約者がいるユダヤの田舎娘が地元を離れて、戻ってきたと思ったら、見る見るうちに腹ボテになったわけで、これが噂にならないわけはないし、姦通罪にも問われないとしたら、力のある人物からの強力なバックアップがあったか、あるいは、まったくそんな事実がなかったか、のどっちかだろう。

ま、処女は妊娠しない。 それ以外に確かなことは、ここでは言えない。
通行人B
「それはないよ」なんて、思いながらも、なんとなく、ま、そう言うことにしておこうと、これまであまり深く考えずにいましたが、やっぱ、おかしいものはおかしい。

だいち、3か月も地元を離れていたことを知らなかったし、戻って来て、お腹がふくれだしたら、言い訳出来ないよね。

それも姦淫したら殺される土地柄での出来事じゃ、真っ青になっちゃうよ!
某大法学部中退
若い娘が地元を離れ、3か月、戻って来てしばらくしたら、腹が膨れ始めた。

都会ならばいざ知らず、現代でも地方なら、噂話に花が咲くところなのに、「姦淫してはならない」という厳格な掟に縛られるユダヤの村娘がいつの間にか孕んだとなれば、それは上を下えの大騒動で、状況的にはアウトでしょうね。

それが大問題とならなかったとしたら、考えられるのは、

1、そんな事実はなかった。 つまり、捏造された作り話が聖書に書かれた。
2、姦通と見なされないような強大な力がはたらいた。

要は、新約聖書は、この二番目の考えを採用して、それを、神なり、聖霊によるものとしたわけである。

がしかし、この二番目の考えには、記事にあるような事態も十分に考えられるわけで、この方がむしろ、神や聖霊を持ち出すよりも現実的であり、かつ合理的であり、また納得のいくものでもある。
ダメな便利屋
3代目のミランダ・カーを除けば、皆それぞれに適役だったと思うな。

日本の外国人妻として一番似合わないのが彼女で、それはそのまま、聖母マリアのイメージとも重なる。

但し、ここで言う「姦通罪」が適用される場合でのマリアでは、彼女が一番のはまり役に思えるが・・・

あくまで、個人的な意見であり、他意はないので、ミランダのファンには謝罪しておく。
江戸川ドイル
【P&G】で言うなら、アリエールよりボールドの山田さんの「〇〇PON!」の方が笑えるな!

それも4代目の山田キャメロン役のケイリン・ルッソが最高にいいね!

記事とはまったく関係ないけど。
刑事プリオ
“P&G”ということは、アリエールですっかりお馴染みのプロクター&ギャンブル社の回し者か!?

「あり得ない? いやいや、アリエールかも・・・」
P&G
それが、事実なら、当時のユダヤの法律では立派な姦通罪が成立します。

「有り得ない? いやいや、アリエールでしょ」

あと「Ray War(令和)」ってことは「光の戦争」ですか?

これからの時代は電磁波による戦い、つまり、5Gから、
さらにその次の6Gをめぐる争いの時代ということですね。

似てる「Lie War」(偽情報などの嘘をつき合う情報戦争)の方は、すでに花盛りのようですが ...
刑事プリオ
う~ん! カトリックは煉獄という詭弁も使うしなぁ❓
ビジターA
私は洗礼を受けてないので、死後は辺獄(陰府)にいます。

おそらく、徳を備えていたと思われる「おぎん」の両親も陰府に留まっていると思われるので、同じであると言ったまでで、100%地獄に落ちているとは言えません。
やぶにらみ
ビジターAさん、あなたと「おぎん」の両親とはあきらかに違いますぞ!

「おぎん」の両親は仏教徒なのです。

仮に、あなたが形式上の仏教徒であったとしても、信心する対象が根本において違っていますな。

しかれば、カトリックの教義上「おぎん」の両親は100%地獄にいることになりますぞ!
江戸川ケイシ
陰府、すなわち、黄泉の国(ハデス)の存在を芥川龍之介が知らなかったとするのは早計でしょう。

死んだ未信者が行く場所は地獄(ゲヘナ)だととイエズス会の宣教師たちが教えたのは事実であり、ザビエルたちが、どこまで聖書に精通していたかは不明ですが、彼らが旧約聖書を読んでいれば、陰府の存在を知らないわけもなく、死後にも救いの機会があると説くことが宣教上、不利にはたらくことが他国の布教活動において顕著であったからだと考えますが、

つまり、「死んだ後になってから回心すればいいんだ」と考える人々が出ると信仰の障害となるからです。

芥川龍之介は、そのうえでなお、「おぎん」の純真な思いに悪魔の高笑いをかぶせて、冷笑的に皮肉っているのだと思われます。
ビジターA
「おぎん」調べて読んでみました。本当に超短編でしたね。

やぶにらみさんのおっしゃるように、日本人は死後に先祖や親族と別の場所に行くのは敬遠する傾向にあるようです。

私はクリスチャンではありませんので「おぎん」のように棄教とか背教とは無縁で、その点では「おぎん」の両親とも、ある意味では同じです。

それに彼らは地獄にいるわけではなく、生前の行いによって留め置かれている場所はそれぞれに違っていても陰府にいるだけで、まだ天国に行ける希望が残されているのです。

芥川龍之介はそのことを知らなかったということですね。
やぶにらみ
こりゃあ、芥川龍之介の短編「おぎん」ですな。

どんな拷問にも屈せずに耐え抜いたキリシタン少女おぎんが、最後の最後に棄教する理由が、「地獄にいるだろう父母を置いて、私だけ天国には行けない」

これが、日本人だよ!
ビジターA
人間の弱さや醜さが表立ってあらわれているのが、拷問する側、すなわち、迫害する者たちで、彼らは決して強者ではなく卑劣さの使徒になり果てています。

彼らのように、人間の持つ崇高な魂の裏切り者になってはいけないのです。

「虐げられる者は幸いである」とは裏切り者にならなかったことへの称賛です。

イエスが十字架にかかったのは、「正義と愛と真理」を守り通したからなのですよ!
ダメな便利屋
「イエスキリストの愛を選ぶ」、つまりそれが正義だって
ちょっと変じゃないか?

「天国に行きたい」とか「永遠の命が欲しい」というのは
我欲だろうが・・・

言い換えれば、それは自分の利益、すなわち、我欲(邪欲)
そのものじゃないか!

そんな正義とやらのために「虐げられる人は幸い」だとは
ちゃんちゃら、おかしいわ!
ビジターA
むらさき納言さま、『七十週』のページではピシャリと対話(討論)の門を閉じられてしまいましたが、たまたま、このページでの貴方さまの答が知りたいという質問を見つけましたのでお答えしたいと思います。

「正義のために虐げられる人々は幸いである」ということで解決でしょう。

おそらく、イエスならば、そう言うと思われます。

要するに、イエスキリストの愛を選ぶのか、それとも、自身の利益、すなわち我欲(邪欲)とのいずれを選択するか?ということです。
むらさき納言
いつも疑問を感じていたことのひとつに、新約聖書の中でのイエスは、ユダヤ教のラビたちが仕掛ける難問や難題に対して、ほぼ完璧とも思える返答で切り返すイエスの姿ばかりを記述しています。

遠藤周作の小説「沈黙」がベースの映画『
サイレンス』を観て思ったんですが、自分が十字架にかかるのでなく、自分が棄教しないことで、拷問を受け続ける信者の苦しみを前にしたなら、イエスはどうしたのだろうか?という新たな疑問が生まれてしまいました。

自身の信仰を守り通すべきなのか? 自らの棄教によって、
苦しむ信者を救うべきなのか? この究極のジレンマの答が知りたいのです。
刑事プリオ
見方を変えれば、神や聖霊によるレイプ事件が処女懐胎の
真相ということか!?

むろん現実に照らせば、何者かによる行為がマリアに姦淫
や姦通という罪を犯させたわけで、状況から判断するなら
祭司ザカリアに疑いの目が注がれるのは当然である。

彼が第一容疑者であることは否定できないだろう。
ダメな便利屋
マリアの妊娠それ自体が、そもそもなかったんじゃないか?
と、考えているが、仮に、聖霊にせよ、神の御力にせよ、
ヨセフ以外の精子によって妊娠したとすれば、そりゃあ、
立派な姦通だわな!

よくもまあ、石打ちの刑にならなかったと思うよ!
ガブリアス・マーレン
これじゃあ、最新の記事『パウロ』に書かれているように、当時のユダヤ人たちから、律法をメチャクチャにする奴だと思われても仕方ないですよね。

密通した女性や売春婦に優しい気遣いができるのは、自分が姦通によって生まれて来たかもしれない?という自身の生い立ちに気付いていたとか。

もちろん、ここでの仮説ですけど・・・
ココナン
なるほど「姦通罪」など存在しない。

それを実践的に示したのが、ヨハネ 8:3-7 の不義なる女を罰しなかった事例ですね。

イエスを罠にかけるため、不義密通をはたらいた女を捕らえ、民衆の面前に連れ出し、「さあ、どうする」と迫ったあれです。

「今まで罪を犯したことのない人から石を投げよ」と切り返し、女は許されたということですが、この女性は幸運にも助かったけど、その裏で多くの密通した女性が石打刑により死んでいったんでしょうね!
むらさき納言
とにかく「ヘブライ書』は一貫して新しい契約が古い契約にとって代わったことを強調しています。

以前はパウロ書簡のひとつとされていましたが現在では否定されているようです。

個人的に気になるのは、レビ族の祭司職をイエス・キリストの祭司職の予型としていることやユダヤ教の犠牲(生け贄)を十字架の予型としている点で、モーセの律法を更新するのではなく否定し廃止する方針を明確に示す内容です。

つまり、ものすごく大雑把に言ってしまえば、「姦通罪」など存在しないということで、今風ではあるのですが・・・
やぶにらみ
未来も含め、その全てを見通せる神が、アブラハムを選んで結んだ契約(旧約)を子孫であるイスラエルの民が守らなかったとして、新たに別の契約(新約)を結び直すなど、全知全能なる神にあるまじき行為である。

そう思って『ヘブライ人への手紙』第8章を読むと、まさにガブリアスさんの指摘通りの言い訳に聞こえますな!
ガブリアス・マーレン
なるほどですね。 ちょっとスッキリしました。

そうすると「ヘブル人への手紙」8:7-13も偽預言者〇〇〇の言い訳というか、こじ付け的なニュアンスをもった演出ですね。

要するに、つじつま合わせようなものかと・・・
江戸川ケイシ
裏で糸を引いていたのが〇〇〇であったとの最新の記事から推測すれば、ステファノが石打ちの刑で殉教した経緯には、偽預言者〇〇〇による演出があったとの推理も可能です。

イエスの誕生物語からして脚色されたフィクションで、ここでの説に倣えば、その行為には石打ちの刑が適用されるわけで、キリスト教での最初の殉教者としての刑罰としてはシナリオ通りであったと言えなくもないのです。
ガブリアス・マーレン
最新の記事の内容から言えば、キリスト教における最初の
殉教者となるステファノが石打ちの刑だったことが、何か
引っ掛かるようで気になります。
ダメな便利屋
ダ・ヴィンチの罠に準ずれば、祭司職(レビ族)からなる特権による不文律ゆえに黙認されたということになるのだろうが、そもそも、そうした事実(マリアの妊娠)など、端から存在しなかったとも言える。
タピオカツンデレ
厳格な処刑として、イランやソマリアやナイジェリア、
アフガニスタン、パキスタン、ブルネイなどの国々では、
現代でも不倫や姦淫、同性愛などに石打ちの刑を施行する
ことがあるようですが、2000年前のユダヤ教社会で、
婚約者のいる未婚の娘が突如妊娠したら、それは大騒動に
なったことでしょうね。

それも別の町に三か月も滞在していて戻ってきたら、お腹が
ふくれ始めるわけですから(;^_^A アセアセ・・・

これまで、まったく気にもしていなかったけど、言われて
みれば、確かに不思議なことだと思います。

ベツレヘムの人々はなぜスルーしたのでしょう?
江戸川ケイシ
石打ちの刑に相当する罪は、殺人とかの犯罪が対象ではなく、主に家族間での災悪や性的倒錯(姦淫、同性愛、獣姦)など、血や穢れに直結する不倫理な行為が対象であって、むらさき納言さんの言うように、姦通罪で裁かれる者は
必ず石で打たれなければならないというのが、『申命記』にある決まり事で、繰り返し命じられていた掟でもあったわけです。

ですから、仮に洗礼者ヨハネとイエスが異母兄弟の間柄で、その関係のなかで裏切りに値する行為があったとか、

そもそも、それ以前に、婚約者のいるマリアの妊娠は、当然ながら、石打ちの刑に値するものであったにもかかわらず不問に付された経緯に何があったとかに、疑義が生じているわけで、

『申命記』と『姦通罪』と「石打ちの刑」には、無視することのできない関連があるものと思われます。
むらさき納言
大筋では便利屋さんの考えに近い構想だったと思われますが、ディストピアは「D」の秘密ではなく、「ダブル・ダミー」的な伏線の上に罠が構成されていると考えます。

姦通罪は『申命記』22章の規定で石打ちの刑に処されます。

他の刑ではダメで必ず石で彼らを打たねばならないのです。

何かこの辺りにも秘密や布石があるように感じます。

『申命記』⇒『姦通罪』⇒石打の刑・・・
ダメな便利屋
前の続きだが、洗礼者ヨハネからイエスへのメシアの交代劇が、ロゴス、エトス、パトスの調和を乱し、さらにパウロによるドクトリンがローマをして、民族宗教から異邦人宗教へ、さらにそれが世界宗教へと変遷・変貌することで、メシア計画は完全に崩壊し、ディストピアへのレールが敷かれたとするのが「Dの秘密」で、その経緯と行く末を絵画や壁画のなかに警告として残したというのが「ダ・ヴィンチの罠」の骨子であると考える。
むらさき納言
そのザカリヤの子という仮説ですが、思うに洗礼者ヨハネとイエスが異母兄弟で同じアロンの血を引いているところに最終的なオチが用意されているような気がします。

それが『中性美』でケイシさんが言っていた二重の意味での替え玉「ダブル・ダミー」じゃないかと・・・
江戸川ケイシ
洗礼者ヨハネが投獄される原因となったヘロディアとヘロデ・アンティパスの不倫は、現代的な観点から見れば、ヘロデは妻と離婚したわけだし、ヘロディアもアンティパスを愛していたのだから、二人のパトス(情熱)を鑑みれば、許されてもよさそうに思えるが、律法に照らした場合のエトス(倫理)からは許されざる行為であって、律法を重んじ、神に立ち帰れと叫ぶヨハネにすれば、姦淫の罪を糾弾し、邪道から正道への改心をヘロデに期待したのはもっともなことだと思われます。

ただ、解せないのは、この件に関するイエスの考えとか、投獄に関する所信などが聖書に何も記されていない点で、たとえ、たてまえでは神の子であっても養父ヨセフから見れば、不義の子であることと無関係ではないのかもしれません。

しかもそれが、神ではなく祭司ザカリアの子だとしたなら、なおさらのことであったでしょうね。
ダメな便利屋
現在ではほとんどの国で罪に問われることのない姦淫という行為がもとでイエスが生まれたとする筋書きは、そのまま倫理観の喪失の淵源にイエスの存在を重ねることが可能であると同時に、パウロによるカトリック的な欺瞞からなるドクトリンが、きくらげ氏の挙げたエトスからパトスへの移行の一例であり、ディストピアへのプロローグであると見た。
きくらげ
例の事件とは、剽窃疑惑を指すと思うが、そこにも裏があるように思えてならない。

だが、その話は長くなるので、ここでは控えることにする。

今回も、すでに更新がないまま三週間が経過しようとしているが、むらさき納言さんのいうような影響はすでにないと思う。

それより、ケイシさんの指摘は重要で、殺人罪と窃盗罪は現刑法下においても、否、普遍的に
全世界において、罪悪であるとの認識で一致しているが、姦通罪は一部のアジア諸国及びムスリムなどに適用されることがあるだけで、ほとんどの国では合法もしくはお目こぼしされるのが現状だと言えるわけだ。

それが、エトスからパトスへの転換・移行の一例であり、ハデスへの招待状なわけである。

従って、第二幕から三幕への舞台が現在、絶賛上演中ということだろうと思うが・・・
むらさき納言
そうだと思うけど、いよいよ、これから佳境に入るという
時期に、例の事件が起きたわけよ。

それで ダッチロールしちゃって、更新サイクルも乱れて、
軌道修正が困難になってる気がするわけなのよね!
ココナン
そう言えば、ロゴス、エトス、パトスで思い出したけど、
確か、時空劇『最後の晩餐』を鑑賞中だったんだよね。

第二幕の終わりまで来ていて、イエスの誕生を境にして、
エトス(倫理的精神の時代)からパトス(感性の時代)へ
と移行する転換劇が起こるとか、なんちゃらかんちゃら
言ってたけど、どうなってんだろ?

今まさに、その渦中って感じだけど、現在もまだ観劇中
ということなのかな?
江戸川ケイシ
昔の倫理観に遵えば、姦淫はかなり重い罪にあたります。

「十戒」でも六番目の「殺してはならない」殺人罪と八番目の「盗んではならない」窃盗の罪との間の七番目の戒めに置かれていて、盗みよりも前に禁じられるべき罪として殺人の次に犯してはならない戒めとされているわけです。

翻って、現代ではどうかというと、姦淫は封建的なる精神の抑圧と考えられて、法によって禁じられるどころか、倫理的な罪としての意識さえも希薄になっていると思われます。

何が言いたいのかというと、なぜ『姦通罪』というタイトルにしたのかを考えてみた時に、「裏切り」が謎解きの重要な要素である以上、
姦淫が「裏切り」による関係の破壊そのものにあたる行為であり、ロゴス(論理⇒理性)に始まり、西暦を挟んでのエトス(倫理)からパトス(感情)への転換を象徴するイエスの誕生と古の倫理観に遵う洗礼者ヨハネの姿がダブって見えるからで、このページも無視できないと考えます。
むらさき納言
変顔フェチと言うか、一見では醜くも見える変わった顔の
持ち主を、ダ・ヴィンチがスケッチして集めていたことは
知られていますが、ダ・ヴィンチは美と醜を対立する概念
としては考えていなかったようだし、それは善悪について
も同様で、悪魔やサタンが必ずしも否定されるべき存在と
は言えないのではないかと・・・

つまり全体の中の部分であって、それ自体も全体たり得る
部分というような、まあ、「すべてがひとつ」ということ
で、裏切者であれ、悪玉であれ、宇宙人であれ、究極的
にはひとつなんだということかな!?

なんてね・・・
ココナン
人物の入れ替えやレプティリアンなどについては、それぞれ、『妄想癖』(Delussion)やデカルトが「魂のありか」と呼んだ『松果体』につづく『白日夢』(Day dream)など、「D」が頭文字となる副題のページで、グリア細胞やらジメチルトリプタン(DMT)による幻覚作用がもたらした啓示的幻影や幻視であるとして、お茶を濁していますので、そういうオカルトチックな面は「罠」を構成する一面ではあっても重要なファクターではないと考えます。

むしろ「二つがひとつになる」というプラトニズム的思想が核にあるのだと考えた方が腑に落ちると思われますが・・・
江戸川ドイル
このうえ、闇の政府的な組織、言わばサタンに与する連中
の存在や陰謀論的な展開を期待するのはどうだろう!?

ただでさえ、複雑に込み入った謎だらけの迷宮状態なのに
収拾がつかなくなる可能性も。

もっとも、イエス⇒悪魔(レプティリアン)説は以前から
イメージ画像などで印象操作してるようだけど・・・
むらさき納言
いまの流れは、たしかに裏切者イエスに傾いていますが、
そうならないのが、2号さんの真骨頂で、大どんでん返し
を狙っているような・・・

『救世主』のコメントで言えば、プラチナやダイヤモンド
にあたる人物や何らかの影の存在(ディープステート的な
組織)の登場も考えられますね。
きくらげ
流れ的には、やぶにらみさんの睨みどおりでしょうね!

ケイシさんの意見はダ・ヴィンチに限定してる限りにおいてはそうかもしれませんが、少し甘いんじゃないですかね?

2号さんは明らかに「イエス悪玉説」に傾いていますよ!
やぶにらみ
ディスクローズされるべき秘密、それが「D」の秘密のうちのひとつだとして、『裏切者』(Double-crosser)の筆頭は誰かと言えば、それはイエスであるというのが論旨ですな!
江戸川ケイシ
繰り返しになりますが、「D」に何らかの秘密があることは
確実ですが、それと罠の封印とは別問題です。

おそらく、2号さんは、あちこちに伏線を用意していて、
それらは、そのうちのどれかがヒットすればいい程度の
レベルのもので、本命は洗礼者ヨハネにあると思うのです。

ダ・ヴィンチの作品を見る限りにおいては、ダ・ヴィンチがイエスよりも洗礼者ヨハネに肩入れしていることは確かで、それは2号さんの言う「ヨハネ・キリスト説」に結び付くのかもしれませんが、単純にフィレンツェの守護聖人を崇めていただけなのかもしれないのです。

ただ、間違いなく言えることは、ダ・ヴィンチはイエスを否定したわけではなく、アンチクライストたるバチカンを非難しているだけだと思われます。
おじゃま虫
[Dの秘密]がジグソーパズルの最後の一片で、それが
ピタッとハマれば封印が解けると考える方が
夢があると
思うので、ケイシさんの助言は、一応、忠告として、心に
留めておいて、その線でのアナグラムを探して見ます。
江戸川ドイル
どうして打ち終わるとすぐに投稿ボタンを押すのかなあ。

IとO、となりのキーか、

今度はうちの兄貴のミスだから、ツッコミずらいけどね、

「再度、確認しておきたいのはアンタの方だよ!」

読み直してチェックしても気付かないこともあるんで、
ま、仕方ないか。

「Dの秘密」を提唱したのは兄貴だし、今回は大目に見て
やってください。  ドンマイ、ドンマイ!

おっと、「Don't mind」 は和製英語だから、
正しくは、「Don't worry」でしたね。

ひょっとして、これも「Ⅾの秘密」ってか!(-_-;)
江戸川ケイシ
再度、確認しておきたいのですが、「Ⅾ」に何らかの秘密が隠されているのは、もはや疑いようもありませんが、… cintinue !! に「d」が戻されて continued となって、「つづく」が正しく機能することで『ダ・ヴィンチの罠』の封印が解ける、というのは、仮定の話て、決定した事柄ではありません。

ですから、それを前提にして推理をするのは危険で、あくまでも、可能性の一つと言うことで理解してください。
江戸川ドイル
ここんとこ、ココナン君の打ち間違いが多い
(今回は文字抜けだ)けど、何アセってんだろうね?

おじゃま虫さんの存在の所為かも!

それにしても、アナグラム作りは職人技だね! 解釈の仕方は天才肌だし、不思議と符合するから面白いし興味深い。

そのココナン君が言う「Ⅾの秘密」がダブル・レイヤーで、ダブル・ディメンションなら「Ⅾ」の意図はダブルかも・・・

現在進行形式のブログはパラレルに進むわけですが、
現在進行形は英語で、Present Progressive または、
Present Continuous と表記されます。

ここに「Continue(d)」に関連する言葉が出てきますが、
「Ⅾの秘密」のもとは、この「Ⅾ」の行方にあります。

そして、パラレル (in Parallel) に進む、現在進行形
(Present Progessive) は、Pが頭文字で、Pを3つ使う
アナグラムとして、ココナン君たちには打ってつけのもの
でしょう。

俺はダブル (Double) の謎を追うけどね!
ココナン
以前(6/10)にも言ったけど、「スヌーピーの謎」を解く
カギは「仲間はずれ」でした。

[Dの秘密]での[D]は失われていますが、重要な文字
で「仲間はずれ」ではなく、絶対に必要な仲間ですから、
「スヌーピーの謎」とはモチベーションが逆です。

だから、おじゃま虫さんのように別にして考えることには
一理ありますが、「ダ・ヴィンチの罠」の属性のひとつで
ある逆転現象や入れ替えなどを考慮すると関連すると見る
方が妥当で、事実『隠し絵』でのアナグラムから導かれた
「イルカ9頭(Dolphin-9)」⇒ Dolphin-Nine を意味する
と思われるイニシャル(DN)が書かれているポントルモ
の絵を見つけました。

それは、『陰謀論』で紹介したアナグラム。

[ALL JPA PAR SNOOP]
「すべてのJ・ポントルモのアートを等しく探れ!」に
関連するものであると思われます。

絵には聖母子・聖人・天使など9人が描かれ、福音書記者、
使徒ヨハネの下にDNの文字が記されています。

おじゃま虫さんのコメントに反応して書き始めてしまったので、絵のタイトルの確認が出来ていません。

いずれ案内しますが、これも2号さんの記事に影響すると
まずいの最新の記事がアップされた後にさせてください。
おじゃま虫
[Dの秘密]って、単純に[D]が消えて失われている状態にあるということですよね。

誰かが言ってたように[D]が戻って加われば正しい形の
「つづく」になって、「罠」の封印が解けるんですよね?

スヌーピーの謎のアナグラムは、AAA PPP LL OO J N R S
の14文字という限られた数で、アルファベットの種類は
8種類しかありません。

そうした制約の中で関連する内容の組み合わせがいくつも
出来るのは不思議です。

アナグラムを考えていると、[D]が、一つ加わるだけで
バリエーショが格段に増えることが分りますが、その分
用をなさない訳も増える気がしますので、アナグラムと[Dの秘密]は別に考えた方がいいと思います。
江戸川ドイル
「ダ・ヴィンチの罠」=[Dの罠]➡ 複数の[Dの秘密]
ということだと思います。

「裏切者」(Double crosser)は見事ですね!

[Dの秘密]の一つかもしれません。
やぶにらみ
ディスクローズされるべき秘密ってのは、なかなかだね👍

もしも「Dの秘密」とやらがあるなら、とっとと暴露して
もらいたいものですな!

ちなみに、やぶにらみ的に言うなら、「Dの秘密」とは、
ココナンさんのダブルチェックからの閃きなんだが、

「Double-crosser」でしょうな!
ココナン
ダブルチェックが必要でしたね!

Doubie→Double ダブルだけに(^▽^;)

それと アナグラムのストックの中で、おじゃま虫さんの
解釈に近いものを『陰謀論』のページで紹介しますので
何か気づくことがあったらコメントしてください。
おじゃま虫
ごめんなさい。

今は、逆さに振られても何も出てきません。

と言うのはウソで『陰謀論』のページの、むらさき納言さんとココナンさんのやりとりに興味があります。

というか、アナグラムに違う解釈ができるのです。

むこうのページで説明しますので、検討してみてください。

余計なお世話ですが、重層的のダブルレイヤーのスペル間違ってますよ。

正しくは Double layer ですが、IとLのキーが近いのでミスタッチですね。
ココナン
天才の部類って、ホメられたのか、ケナされたのか、クサされたのか・・・

一応、ホメられたものとして受け取っておきますが、きくらげさんやドイルさんの説は尊重しますけど、僕には関係ありません。

[D]の秘密が[Dの罠]で、それが「ダ・ヴィンチの罠」のタイトルのことだとしても、いまの僕には無意味だからです。

「仲間はずれ」から始まった「スヌーピーの謎」にからむアナグラムが、[D]の秘密を解くカギになると思うからですが、

「眠り猫」でドイルさんが言っているように、[D]の秘密の一つは間違いなくドラゴンでしょう。

「猫、ライオン、ドラゴンの素描」を見ればわかるように、ここでの仲間はずれはドラゴンだからです。

『福音書』の記事で、Dr.マリオが to be continue !! を指して「この秘密はムズイよ」と言っているのは、[D]の秘密が重層的(Doubie layer)な次元(Dimension)で構成されていて、それはディスクローズ(Disclose)されるべき秘密だからです。

ですが、アナグラムの統合は、あと一歩のところで足踏み状態で、整理できないでいます。

おじゃま虫さんのヒラメキに期待がかかります!
むらさき納言
もし仮に、きくらげさんやドイルさんの仮定が正しかった
としても、どうなるものでもないでしょう。

なら、やっぱり、踊るアホウに見るアホウ、同じ阿呆なら
踊らにゃソンソン(^^♪
やぶにらみ
ライブである以上、アクシデントはつきもので、これもまた楽しみのうちということですか?

必定とは言えないまでも必然の理にあるイレギュラーな出来事、

ある意味では「ダ・ヴィンチの罠」ならではの演出のようでもありますな!

それにしても、頭の痛いことで・・・
きくらげ
先に「救世主」のページでコメントしましたが、ここしばらくの間、静観して、皆さんのコメントを読みながら考えていました。

ドイルさんの見方(仮定➡これが仮説かどうかは不明)は、かなりいい線かと・・・

ライブ形式である以上、互いの干渉は不可避です。

ここで、2号さんの立場で考えてみると、どういう状態が一番困るかと言うと、コメントによって予定していた内容を変更しなくてはならなくなることでしょう。

先読みされたり、ストーリー展開を邪魔されたりするようなコメントです。

だから、更新のペースに乱れが生じるのでしょう。

「救世主」での2号さんのコメントはあきらかにエクスキューズですし、最新の更新が遅れているのも、誰かのコメントが核心に迫っているか、さもなければ、記事の進行を妨げる何らかの内容を含んでいるんだと思われるからです。

でも、これは想像ですが、多分そういう状況を2号さん自身も楽しんでいるように思えるのですが・・・
江戸川ドイル
確かに[D]の秘密ではあるけど、これが「罠」の正体だと仮定すると、なぜ、「謎」ではなく、「罠」なのか、が見えてくる気がするんです。

[Dの罠]つまり、それが「ダ・ヴィンチの罠」です。

ディテールに相違があっても、大筋では間違ってないと思うんだけどな!?

兄貴も何らかの誘導があることは否定できないって言ってるしね。

アナグラムが奇妙なシンクロを見せるけど、それは、たまたまそうなったという偶然の出来事で、解釈の仕方、要は、こじ付けの技術や才能によるものだと思う。

その意味では、ココナン君やおじゃま虫さんは天才の部類に入るのかもね!
むらさき納言
誘導されているのかどうかはわかりませんが、これだけはハッキリと言えます。

まず、みのるさんは関係ないと思うのと、あれから姿を見せない人は他にも大勢いますよ。

それに、前にも言ったかもしれないけど、確かに「スヌーピーの謎」のキッカケをつくったのはポヨヨンちゃんかもしれないけど、アナグラムのアイデアや、それを解析して意味づけしているのはココナンくんたちだし、こんなに複雑で込み入った謎なんて計画して出来るとはとても思えません。

ドイルさんの仮説って、こういうプロットを組み立てたものなの?
江戸川ドイル
ここで一番言いたいことは、罠の核心部分に近づくと何かが起こるということです。

一年前には例の剽窃事件があって、アナグラムや「スヌーピーの謎」は、一旦、静まります。

それ以後、ブログの更新は月一回のペースに落ち込み、皆んなの興味も薄れ、みのる氏もポヨヨンちゃんも姿を消して、コメントも極端に減りました。

このことから考えても、『救世主』での2号さんや兄貴のコメントを加味するすれば、コントロールは出来ないまでもある種の誘導があった、そして、今もなお、誘導されているという結論になるわけです。

その誘導に、みのる氏やポヨヨンちゃんが係わっていたかどうかはわかりませんが・・・
江戸川ドイル
「眠り猫」が時限爆弾で、眠っている「罠」=[D]の秘密、だというのは、今現在の状況と一年ちょっと前の状況が似ていて「スヌーピーの謎」とかアナグラムが話題になっていたからです。

アナグラムから日本とユダヤの関係性とか諏訪湖とアロンやモーセにつながるレビ族の話やプロビデンスの目とか、草薙の剣とか、

一見、「ダ・ヴィンチの罠」とは関係なさそうな事柄が話題の中心になっていましたが、今なら、それらが大いに関係していたことがわかります。

そのあたりは『三本指』でのコメントが参考になると思いますが、ポヨヨンちゃんの関与についてはわかりません。

ただ、次の『侵略者』では「鬼ごっこ」が意味深に使われていて、「いつになったら、鬼ごっこ始まるのかな? 目隠し鬼ごっこだよ」とあります。

これは兄貴が指摘した to be continue(d) の[D]を、つまり、目隠し鬼である[D]の秘密に早く気づいて、誰かに指摘して欲しいと言っているようにも見えますが、そうすると天を指す人差し指が「この指とまれ」だと気付かないと参加できないと言う次のコメントとの整合性がうまく取れません。

でも、その次の目隠し鬼だから「鬼さんこちら手の鳴る方へ」と言わなきゃダメと言うのは、指摘してくれなきゃ、これから先の展開が始まらないという意味にも受け取れます。

まだまだ言いたいことは一杯あるのですが、長くなるので、続きはまたあとにします。
むらさき納言
鬼って、ひょっとして、ドイルさんは、ポヨヨンちゃんが言ってた「鬼ごっこ」とか「かくれんぼ」と[D]の秘密には関係があるっていいたいのかな?
江戸川ドイル
エンディングですか、そんなふうに考えて言ったわけじゃないけど、ピーヒャラ、ピーだとは感じています。

そして、馬鹿げた仮説を組み立てています。

コントロールされてるわけじゃないけど、誘導されてると、

昨夜、「眠り猫」のページに書いたけど、「眠り猫」と[D]の秘密とは無関係ではありません。

「眠り猫」とは言い換えれば、時限爆弾みたいなもので、眠り続けている罠、つまり、隠れ続けている[D]です。

[D]は複合されていて、ドラゴンやデビルやデーモンやその他の[D]にもなるわけです。

そして、極めつけは、デビルやデーモンは悪魔の他に日本的には「鬼」とも訳されます。
デッキブラシ
出た~ァ。我が静岡(清水)を代表する「ちびまる子ちゃん」のエンディングソング。

おどるポンポコリン 🎶  だが、どっちの意味だろう?

踊るのか❔ 終わるのか❔ (・・?
江戸川ドイル
それは遠慮しておきますよ。 むらさきさん。

同じことで争う気はないし、得手不得手もあるから。
ただ、アナグラムなんて、しょせん言葉遊びだと軽く考えてたけど、プレゼンの仕方次第ではそれなりの説得力を持つものになると思った。

と言っても、ノストラダムスの四行詩なんかと比べると、って意味で、こじつけの芸術みたいなものかな?

そういう自分もトンデモなこじつけ系のアイデアを温めているんだけど、場合によってはアナグラム的な手法を採用するかも。

それが、おどるポンポコリンだったとしてもね・・・
むらさき納言
ドイルさん、推理力があるんだから、ココナンくんたち
みたいに、アナグラムにチャレンジしてみたら。

二人ともスゴイの作ってるよ!
江戸川ドイル
チョリース!! (''◇'')ゞ
むらさき納言
別に、心配はしていないよ!

ちょっと斜に構えて、上から目線なところ嫌いじゃないし、よくわからないけど、ドンマイ!

なんたって、江戸川ドイルなんでしょ!
江戸川ドイル
心配無用ですよ! ちょっと大人になったつうか・・・

ココナン君は純粋だし、むらさきさんも真っ直ぐで・・・

ま、いっすよ、むらさきさん。 
むらさき納言
何かあったの!?  人が変わった感じだよ。ドイルさん!
やけに謙虚だけど、どうしたのかな?

そういえば、最近コメントも少なくなっていたようだしね。
江戸川ドイル
今朝は早起きのドイルです!

いくつものダヴィンチの絵から次々に奇怪な得体のしれないものが見つかるのなら、もうそのことを偶然で片付けてしまうというわけにはいかないでしょう。

たとえ、本当に偶然だったとしてもね!

もしそれを偶然だとして、顧みなければ、学問することや研究することは何の意味も持たない訓詁学に等しいものです。

事実はどうあれ、人から馬鹿にされるような内容であれ、自分なりの結論は導き出したいと思います。
デッキブラシ
ダ・ヴィンチがぶっ飛んでいたことは確かだけど無神論者だと言い切ることは難しいと思う。

手稿などから察するにカトリックに否定的だったのも事実だろうけどね。

十戒や申命記などに規定された「姦淫」も信仰は信仰として俗社会の垢にまみれて、次第に形骸化していったものと思うな。

ダ・ヴィンチの絵に現れる謎の正体をレプだとかドラコとか言うのは勝手だけど、ダ・ヴィンチはそういうつもりで隠し描いたんじゃないと思うよ。

大体、古代宇宙飛行士説は最近のもので、500年前には影もかたちもないし、ただ、鋭敏な感性の持ち主であるダ・ヴィンチにはビビッと来るものがあったのかもしれないけどね。(・・?
シャボン玉
イエスの出自については、なるほどと腑に落ちたけど、そこにレプタリアンとかドラコニアンとかが絡んでくると、途端にうさん臭いものになる。

ダヴィンチの絵にそれらしきものが見え隠れするとして、本当のところダヴィンチはどう思ってたんだろ?
ろくでなし
現在の医療技術なら子宮さえあれば、処女懐妊だろうと老齢出産だろうと可能なわけだから、宇宙人と古代の地球人種との遺伝子操作による人類の創世物語=古代宇宙飛行士説が人気を呼ぶのがわかるよ!
江戸川ドイル
怪しいと言えば、聖母マリアの処女懐胎は当然ですが、信仰の父アブラハムの妻サラやダン族のマノンの妻(サムソンの母)も、ザカリヤの妻エリサベツも、皆、うまづめなのに聖霊の力によって子を宿しています。

「うまづめ」とは不妊の女性、子を産めない
女性のことですが、彼女たちはそのうえに老齢で、とうの昔に閉経しているはずなのです。

大体において、聖書には老齢で子を宿すことが多すぎだし、大抵それはイエスに絡んでくる。

怪力サムソンの話は別ですが・・・
シャボン玉
前から処女懐胎は、どうしても認められない謎だったけど、この記事と次の「不文律」を読んで腑に落ちたわ。
告知を受けてからすぐに身重の従姉妹のところに行って、そこで従姉妹の旦那と3か月も一緒にいたなら、当然の結果で納得ですわな。

何気に、石平太郎になってる自分がこわい!

デッキブラシ
「ろくでなし」というハンドルネームからは想像のつかない格式の高い言葉に「びっくりぽんや」(ふる~)(^▽^;)
ろくでなし
れっきとした『姦通罪』でアウト!、と判定したいけど、疑わしきは何とやらだし・・・

「令和」改元の特別恩赦を以ってセーフとします。

セーフつながりで言えば、

政府は「令和」を国際的に、ビューティフル・ハーモニーと称してますが、「和を以って令と為す」、つまり、和を保つことこそが、「清らかにして美しい」、日本人的にはそれだけで十分だと思います。
デッキブラシ
Σ(゚Д゚)そう来ましたか!?

でも、アヤシイと言うよりはお騒がせタレントだよな!

両アンナの場合は。

だけど聖母マリアは確かに、アヤシイ!
ろくでなし
なるほど、確かに、アンナは怪しい!

芸能人でも、土屋アンナ、梅宮アンナ・・・
江戸川ドイル
確かに、「石打の刑」のことを考えれば、あの時代に、
よくもマリアが無事でいられたとは思うよな!

やっぱ、何か裏があると見る方が妥当かも・・・
デッキブラシ
言葉のアヤですよ。 言葉の(^^ゞ・・・
むらさき納言
うっかりも何も、浮気はダメでしょ!

「子供の日」だというのに何ですか!

「汝、姦淫するなかれ」ですよ!!!
デッキブラシ
そういえば、中東では今でも石打の刑があるとか、シリアであったとか、そんなニュースを聞いたような・・・

うっかり、浮気も出来ません!
透明人間2号
その通りですよ。ココナンさん!
気にせずにバンバン作ってみてください。

むらさき納言さん、お気遣いありがとうございます。

でも、この方式だから刺激されて新しい発見やアイデアが
生まれるんです。
ココナン
ドイルさんの質問への返答で、ネタばらしした2号さん
ですが、もし、「スヌーピーの謎」の追究やアナグラム
の件で迷惑をかけてるのなら、言ってください。

僕はそういうことも含めての現在進行形のスタイルだと
思ってますが、違うんですか?
むらさき納言
ココナンくんの解くアナグラムは、すごいなと思うけど、
あまり先走っちゃうと2号さんのシナリオが狂うという
か、プロットを変更することになるんじゃないかと …

つまり、結果として、遠回りをさせてしまうことになる
ってことかな。
ココナン
謎に近づいていると思えるのに、距離を置く方が近道って、どういうことですか?
むらさき納言
ココナンくんは少し「スヌーピーの謎」から離れた方が
いいと思う。

無関係じゃないことは、たぶん、そのとおりだとしても、
今は、距離を置いている方が、むしろ近道のような気が
します。
ココナン
もし仮に、イエスの実父がザカリヤだとすると、イエスは、
アロンとダビデの両方の血を受け継いでいることになります。

俄然、「スヌーピーの謎」が示すアロンの杖に近づいている
ようで、応援したい気持ちになります。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事