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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 水晶玉(改)

 「水晶玉」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 水晶玉 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 水晶玉 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 水晶玉』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで44作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 水晶玉(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 残されている手記の中で、ダ・ヴィンチは

 「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
 あなたはわたしを牢屋へと投じた。 が、
 わたしが神様を大人に描けば、あなたは
 もっとひどい目にあわせるにちがいない」

 と綴っているようですが ・・・

 『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記(上)』
      (岩波文庫版)より、
 
 ところで

 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる
キリストの肖像『サルバトール・ムンディ』が
美術作品として史上最高となる4億5030万
ドル(約510億円)で落札されたニュースは
まだ記憶に新しい(1年2ヶ月前)ですが、

 
    出典:www.kitaguhillaw.jp

 『ダ・ヴィンチの罠』を前提にした
「鑑定法」からも問題となるのは、

  
  サルバトール・ムンディ(救世主)

 科学的な事実や実証を重んじるはずの
ダ・ヴィンチにしては、水晶玉の描き方に
大きな疑義が生じているという点です。

  

 一見すると、水晶玉はその透明度など
から科学的緻密さに基づいて描かれて
いるかのように見えますが、

 ガラス玉でも水晶玉でも球体は、通常、
光の屈折により、歪んだり、拡大するか、
上下が反転した像を映し出すわけで、


            出典:yukawanet.com

 彼ならば、きっと上下が逆さまになった
像や拡大したり歪んだりした形態の像を
水晶玉の表面に反射させて描くのだろう
と思われるからです。

 要は、

 この絵をダ・ヴィンチが描いたとすれば、
通過する光を屈折させたり、歪ませたり、
反射しないような「空洞のガラス玉」
仕様に描いているということになります。

  

 逆説的に言えば、

 彼があえて現実と違うかたちに水晶玉
を描いたとすれば、この絵にダ・ヴィンチ
の存在を見つけることが可能になるだけ
ではなく、そこに「罠」のサインが
隠されていることにもなるのですが ・・・

 少なくともそこに特別の意図がない限り
、ダ・ヴィンチの技術力を持ってすれば、

      

 このような水晶玉の描写はあり得ない
わけですから、意図的であったとなれば

 当然のことに、  

 この作品はダ・ヴィンチの真筆という
ことになり、そうでなければ、他の誰かの
作品(贋作)か、ダ・ヴィンチ工房の弟子
による作品という結論になるわけです。

 つまり意図的か否か、無作為の所産か
否かで真贋を見定めるのが小生流の
「帰納法的鑑定」なのですが、

 当然ながら、

 先の手記における内容の検証も必要で
 
 「神様を大人に描けば、あなたはもっと
   ひどい目にあわせるにちがいない」

 と綴った言葉に、一定の信頼が置ける
とすれば、キリストを大人として描く場合
でのリスクは極力回避したいはずです。

 そこで、

 ダ・ヴィンチの記述に、素直に従えば、
大人のキリストを描く蓋然的要素は
かなり低くなるはずですが

 その結論は一旦、置いておいて、

 ここからは、「救世主」を描いたとされる
『サルバトール・ムンディ』
ダ・ヴィンチの真筆であると仮定した
うえで話を進めてみたいと思います。

 要するに、



 意図的な「水晶玉」の描写であった
とする前提および見解からの考察です。

 さて、あえて、

 現実に沿ったかたちに「水晶玉」
描かなかった理由として考えられるのは、

 それが「罠」のサインであり、そこに
重要なメッセージが隠されているからで、

 たとえば、Wikipediaによれば、

 新約聖書の四福音書に記されている
イエス・キリストが起こしたとされる
数々の奇蹟は自然・病・罪・死に対して
支配する権威を顕示することで、自らが
メシア(救世主)であることを公に立証
するために行ったとしていますが、


     イエスの奇跡(水上歩行)exblog.jp

 それらの行為をダ・ヴィンチは左の掌
(てのひら)に乗せた水晶玉の如き、
非現実なるまやかしであって、
『新約聖書』は弟子たちの創作
によるでっち上げの代物か、捏造された
奇蹟であると言いたかったとか、

 
『カナの婚宴』カール・ハインリッヒ・ブロッホ(1870年代)

 「カナの婚宴」の場において、水
を芳醇な6甕(かめ)のブドウ酒に変えた
という最初の奇蹟から始まる数々の

  「イエスの奇蹟」については
 url https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1

 を参照してみてください。

 あるいは、何もかもが、

 この水晶玉の如くに お見通しで、
ご覧のように見え透いた偽りが平然と
まかり通る世界には辟易しているとか、

 
 画像元: proverb-encyclopedia.com 

 そうした否定的な要素が詰まった
「水晶玉」を手に祝福のポーズを
とるイエス(サルバトール・ムンディ)
こそが、その元凶(水晶玉)であり、



 たとえ、「預言者」であったとしても
 
  
  画像元: season-calendar.com

 の意味での「救世主」ではない
ことを訴え掛けているのかもしれません。

 さらには、聖書的な意味合いにおける
「創造論」とも、「進化論」とも異なる
「古代宇宙飛行士説」に与する類の数々
の仕掛けが「罠」に、施されている
ことから推察すると ・・・


    出典:sputniknews.com

 身体に比してぼやかして描いている顔
と斜視気味の瞳が地球外生命体(異星人)
を想起させるためのアプローチになって
いると言えなくもありません。

 そりゃあ、
      
      (考えすぎやで・・・)

 いやいや、つまり、こういうことです。

      

 『サルバトール・ムンディ』


        画像元:mementmori-art.com

 顔をよく観察すると『モナ・リザ』

  

 『洗礼者聖ヨハネ』彷彿と 
させるような風貌に似せて仕上げている
ということです。

   
 『洗礼者聖ヨハネ』部分 1513-1516年

 これをある種のサインとして見れば、

   
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 『モナ・リザ』における隠し絵



 鏡絵(ミラー・イメージング)のほかに



 『洗礼者聖ヨハネ』隠匿


              画像元:deskgram.net

 されていたミラー・イメージからも


         画像元:blog.livedoor.jp

 地球外生命体である異星人


         ドラコニアン 画像元:2seesaa.net


       画像元:shanti-phuia.net


         出典:shanti-phuia.net

 の存在が窺い知れるわけです。

 たとえば

 死ぬまで手放さなかった3枚の油彩画


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 との関連性(制作時期の重なり)から、


    『モナ・リザ』 1503‐1506年

 制作期は1500年(1490年から1519年)頃
と幅広く、特定されてはいませんが、

    

 フランス王ルイ12世の庇護下において
制作活動をしていた1506年から1513年
の間の時期と推察されますので、


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプA)


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプB)

 3枚の絵画のパズル合成(合体・融合)に


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプA)の使用例


 ドラゴン・レーダー(プロトタイプB)の使用例

 よって組み立てられた「罠」のありか
を示すドラゴン・レーダー(探知装置)


   導き出された正体不明(UMA)の画像

 から探り出されたこれら異形な者たち
の姿がイエス・キリストに重なるとなると


       画像元:deskgram.net

 『サルバトール・ムンディ』の肖像画
は異星人の介在による人類の創造を示唆
するものであって、

 

 「水晶玉」は地球や宇宙を意図して
いるのかもしれません。

 ダ・ヴィンチが自らの作品に「罠」
を仕込もうと考えるに至るその動機付けと
なった出来事が、少年期に体験した洞窟内
での啓示(幻視)にあることは、すでに

ダ・ヴィンチの罠 松果体 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 松果体 - 透明人間たちのひとりごと

ある時、ダ・ヴィンチは幻視を体験します。その幻は、実によく出来ていて、夢うつつながらもより現実感を漂わせるものでしたが、彼の生きた時代においては、極めて危険な真...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 松果体』

 などにて、ご案内済みですが ・・・

 ある意味では、

 この「水晶玉」自体が、深遠の淵に転がる
純然たるドラゴンボールであって、


     出典:i86.photobucket.com

 真実を伝えるカギとしてのドラゴンエッグ
なのかもしれませんね。

 その他にも、

 この宇宙に絶対的な真実はないとして、
今で言うVR(仮想現実)を先取りした
ような概念(世界観)を透き通った水晶玉
(空洞のガラス玉)で表現しているという
ことも考えられます。

 遡ること、数千年前、

 ギリシャの哲学者プラトンは目に見える
世界が真実ではないことを「イデア論」
を介して主張しました。

 プラトンに傾倒していたダ・ヴィンチも
また、そのこと(イデアの影)について、
思いを巡らせていましたが、



 その帰結として「不可知」ならざる
ロゴス(サムシンググレート)なるもの
を具現化(人格化)して表象したのが、

「イデア」とともに在る人智の及ばぬ
超越的な宇宙論理たる存在、

 つまり、それが

 『サルバトール・ムンディ』
のモデルであると仮定すると ・・・

  
  サルバトール・ムンディ(救世主)

 「水晶玉」解決します。

  VR(仮想現実)に関連する事柄に
ついては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 ロゴス』
 url『ダ・ヴィンチの罠 真善美』
 url『ダ・ヴィンチの罠 破壊神(改)』

 などを参照してみてください。

 古代ヘブライでは「ヤハウェ」
(エホバ)として「神」と讃えられ、

 古(いにしえ)のインドでは釈迦
「空」という概念となり、

 中国においては老子の説くところの
「道」(タオ)や「無」であり、

 東洋思想における「天」(天道)
としての存在である

   

「サムシング・グレート」
をモデルにしてダ・ヴィンチが描いた傑作
『モナ・リザ』であるならば、



 『サルバトール・ムンディ』
『男性版モナ・リザ』であると
いうもあながち否定できません。


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 レオナルド・ダ・ヴィンチが手もと
に残していた3枚の油彩画に共通する


         美の巨人たち「三者三様のフマガッリ」

 フマガッリ(すべてを知る者の笑い)
が、この「救世主」(イエス・キリスト)
なる人物の顔に描かれていないことは、

 むしろ、

 「現実界」でのレゾンデートル
(存在理由)としての確立に役立っている
のかもしれません。

 「イデア界」「現実界」とは、
実相仮相、または実在VR
(バーチャル・リアリティ)の世界です。

 ぶっちゃけ、砕いて言ってしまえば、
「理想」「現実」の違いです
 
 聖書には「理想」という言葉(訳語)
は一度も使われていません。

 なぜなら、

 キリスト教(主に新約聖書)において、
完全なる「理想」とは「神」であり
、それはイエス・キリストを指す
言葉だからです。



 そして、

 「現実」とは、この世界であって、
「罪」そのものでもあるですが ・・・

 ダ・ヴィンチは、そうした「ロゴス」

 つまり、

 「神」なるものを、VR(仮想現実)
構築兼設計者(プログラマー)にして、
宇宙人類創造主としての
「サムシング・グレート」
であるという究極的なる結論を手にして
いたのかもしれませんねpeace

 今回は随分と大仰なヨタ話になって
しまいましたが、
 
 美術界における権威筋が何と言おうと
世界中の多くの美術愛好家から如何に
思われようと、

 そんなことは関係ありません

 『サルバトール・ムンディ』
を、ダ・ヴィンチのによるものであると
するには、こうしたトンデモ理解
が小生には必要で「罠」存在
見つからなければ、


   出典:www.kitaguhillaw.jp

 到底のことに510億円価値など
認められるものではありませんnose7


 なるほど、「罠」痕跡ですか

 「水晶玉」ドラゴンボール
ドラゴンエッグなのかもって ・・・


 アニメゲームじゃあるまいに

 それに「仮想現実」じゃとぉ

   


 それじゃ、わしゃあ、

 「バーチャルかあ !!

  

 「片腹痛いわ !!

   ・・・ っておいおい



 どこから見たって、アンタは正真正銘の
2次元世界にいるバーチャルな住人だよ。

 … to be continued !!

       
レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 (上)iwanami.co.jp

 「わたしが神様を嬰児として描いたとき、
 あなたはわたしを牢屋へと投じた。 が、
 わたしが神様を大人に描けば、あなたは
 もっとひどい目にあわせるにちがいない」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)




出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net 

 symbol2 「猫科の一番小さな動物、
  つまり猫は最高傑作である」


     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)
 
 次回では、

 ダ・ヴィンチ以外の画家の作品である
可能性について探ってみたいと思います。


         上下反転した像を映す水晶玉 pakutaso.com


    『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年 

コメント一覧

小吉
なるほど!

水晶玉が「地球」という観点は面白い。
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