守・破・離について
タイトルが随分立派なものになってしまいましたが、以前にも私の
コーヒー仕入先の社長からのメールニュースを載せて見たことがありますが
今月のニュースに少し興味深いことがありましたので載せて見ます。
実は自分でも守・破・離についてはよく分らないのですが、これを読んで
なんとなく感じることがありました。
以下、ご参考まで。
技術を高めるための概念として「守・破・離」という言葉があります。
技術を習得するには最初は師匠のやっていることをまねる、(守)次にその師匠のやり方に対して、自分なりの工夫を加えてみる(破)そしてその師匠の教えから卒業していく(離)
この段階を経ることが重要だという意味です。私はホームページ製作の仕事もしています。
たとえばスタッフにホームページ製作で指示を出すときに一番仕事がスムーズに進むのは、この「守」ができる人です。
逆に仕事の指示を出した際に、初心者の段階から出した指示に自分の色を加えて「こういう風にしてみました。」と仕上げてくる人。こういう人を見ると、時間がかかるなぁと感じます。もちろん何年も経験を重ねた人間が、いつまでも人の指示通りのことしかできないということでは心もとない。しかし何事も段階があります。まだ何も経験も積んでいない人間が、こちらの指示に対して素直に守らず、何か自分の考えを加えても、おおよそいい結果にならないことが多い。
第三者からの提案に柔軟に対応するだけの適応能力を示すことで、その人の実力が如実にあらわれるものではないでしょうか。
中略(ここからはコーヒーの焙煎についてでした)
寺社専門の工務店 社寺校舎を創業した宮大工菊池恭二氏は、技術の習得について、以下のように述べています。
<早く仕事を覚えるには、与えられた仕事だけで満足しないで、人の仕事を横目で見て盗むことです。横目で盗むのは、何も優れた技術だけに限りません。失敗もしっかり目で焼き付けて他山の石とすることです。仕事が好きなら、今日より明日、明日より明後日と自分を高めていきたいと思うのが当然で、そのためのチャンスが自分のすぐ横にあるなら、「よし、あれを盗んでやれ」と飛びつくのが当たり前です。>
(宮大工の人育て―木も人も「癖」があるから面白い/菊池恭二 著)
結局何か身につけるには観察眼を鍛えて、まずは素直に物事にとりかかって先人の「型」を習得する。そのことの大切さは、どの分野においても共通することなんだということを、あらためて気づかされます。
如何でしょうか、自分なりに勝手な解釈で稽古を積んでいた事が何なのか?
と思ってしまいました。今古流の居合いについて色々変わってきているとの
解釈がありますが先人達の教えを守っていく、そんな思いに駆られました。
また、全剣連制定居合いについては完全に「守」でいいのだなと、決められた
作法、刀法に準じ行なうと改めて確認できた内容でした。