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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

命がけでも通らない壁の是非

2024-01-31 08:19:55 | 日記

ここで書いてきた話?で言うと、”ここ”は「裏の王」そんな立ち位置の筈、ではある。

その時、ガンダムSEEDの成功それは、状況にとっては吉報と言えるのだけども。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「ちょっとお願いがあるんですけどぉ」が通らない方が良い、のだけど

 

「天下りの受け皿」その一つだったりしたのだろうか、”こういう場所”は。

理解?だろうか、認識はふいに「民」が「官」になり、「官」が「民」になった、そんな印象ではある。確かに「民」としては、「官」その主導によって行動せざるを得ない。その範囲内でしか行動出来ない反面、責任も最終的には無い。「官」はその枠を決める権利がある、しかし。”その結果”の責任は全て「官」に廻ってくるのだ、その末に”呪い”の標的になるとしても、それが道理ではある。

ともかく設定した規約、”それ”は問題なく効いている、気もする。結果で大分安定した、雰囲気もあるがしかし。「官を監視するのも民である」のも間違いない訳だ。何かの脱却を目指した意向はしかし、逆に状況の肯定と安定にも繋がった、そう言うのはあるだろうか。「監視されるのが普通」と言う、それはつまり、今まで問題視していたそれが今後も継続する、そう言う意味にもなる訳だけど。

…逆に、「反逆者」プライバシーの扱いを無視して特攻する感覚、それはより脅威になったのでは?

一応、今の「成功」それは、”雅”市場それが効いているからだ、とは思いたいが。犯罪の告発で無い限り、対象の同意なくプライバシーの侵害(勝手な調査や報道)は、如何なる場合も禁止ではある。一応「当たり前」と言う感覚が支配し始めている、のは。少しは良い変化に成ってきた、それは言っても良いのかも。

プラスもマイナスもある、他者に向けた過失は自身にも向く、故に今は、意味のない意欲ではある訳だが。

一応、民にとっては「ストリードの連携」それでほぼ問題なく利益、それは出そうではある、がしかし。官に近い領域では、それでは不足が出る、場合が幾つかあってその場合、特例的な「今まで通り」が要求される場合もある。その最たるそれが「バンダイの玩具」を中心にした領域である、そう言うニュアンス、だろう。今回の映画がうまく行った、という事は”ここ”の問題は大分消えた、そう言う意味だ。不意に懸念で任天堂の今後、みたいなのも議題に上がった感はあるがまあ、そこはそことして今後の話なのだろうけども。

仮面ライダーもまあ、悪の組織を倒した、として。その先には何か利益は有ったのだろうか。

これは、そう言う感じ?

 


僕の考えた最強の行方は何処へ

2024-01-30 08:52:58 | 日記

映画「ガンダムSEEDフリーダム」、封切りから5日目、話題は今も続いている。

ちょっと自分のスタンス的に、微妙な感覚でそれでも、プラモは買ったりした。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「推し」と言う言葉は令和の異質とエポック、だろうか。

 

無印フリーダムとプロヴィデンス、という所が、些細なプライドではある。

自分の状況をまだ、明確には解ってない把握にはある。ともかく以前から自分はガンダムSEEDにはほぼ全否定、というか…「売れるモノが必要な時にこんな内容で良いと思ってんのか」的なスタンスで、「ミラースタイル」と言うMSとキャラだけ使う別ネタを書いてたりして?立ち位置的にはもろアンチではある、訳だが。しかしその後、公式で増えていくMS群に微妙に匙を投げたりしてて?何かの不足か切り捨て、そう言う事態にあった…かもしれないのはまあ、ちょっとある。特にアストレイ関係は、ほぼ「別の世界の話」にしてる現実はあり、今の公式がどうなっているか?も、まあほぼ把握してない。実際にはコーディネーター計画は破綻しており、接種後約0.3%近くが人格破綻を起こして病院送りに成っていた、という事実を隠す為に起こされた「血のバレンタイン」そしてザフトの武力侵攻は、結局は首謀者のクーデターとそしてその鎮圧という結果を持って終幕する、というミラースタイル側のオチは、今も記憶に残る自身の成果とは成っている、が。

ちょっと待てこれ二次創作だよね?

「ミラースタイル」と言う名を冠してはいても、やっぱりそう言う物である事はまあ…間違いも無く。更に、信仰「大衆は神である」のなら、一応の”人気作”であるガンダムSEEDに対しての態度は正しいのか?も、まあ混沌とはしている。「カウンタは制御されているんだ!」は全てをひっくり返す虚言ではある訳だがしかし。”今”のSEEDフリーダムのそれは創られた物か?という、それはかなり、深刻に疑問だ。

ちょうど、「原作者が原作改変に怒った末に自殺してしまった」と言う、そんな事態が有った後だけに、帰結は帰結だろうか?それはちょっと考えたりはしている。状況の問題だ、象徴的?だが本編の中でも「これ以上攻めてくるなら、あなた方の姫を殺すぞ?」と、”主人公側が”脅すシーンがガンダムSEEDの最初の頃にあって。”これ”がまあ、自分にとっての強迫にも成っていた、のが”当時の”理解ではある。昔にしろ、意識的には何かの人質を取られている、感覚にはあってそれは、実際は今もそんなに変わってないのだ。時々PCやスマホがハングアップしたり、何かの特権?が何かの意図を持って時代を膠着させている、そんな意識の中、締め出されたまま一人、こういうのを続ける事には成った訳だが。

情勢は幾つかある、ティターンズとエゥーゴ、の対立みたいな中で、”どっちか”の電池に成っている、感じのまま、まあともかく信仰が試されるかのようにか、理不尽は続いている訳だが。

「大衆は神である」その神は、状況的にはどういう事態に成っているのか?ではある。

把握はそれほど変わっていない、金銭的な問題から否定側は”ここ”のネタを直接は使えず、肯定側はしかし、否定側の敷いた「隔離」から出る事が出来ない。理解では肯定側に居るがしかし、”それ”とのコンタクトも直接は出来ない訳で、しかも。自分の書いた物が向こうでどう使われてるか?もほぼ解ってない状態である…一応、一つの理解的には?「鉄血のオルフェンズ」は、自身の創案した「ドルメンガンダム」を足場にして生まれた作品だ、とは言うが…しかし。明確ではなく、結果が全然違う?という話でもあり、結果もちょっと微妙だったのはまあ、間違いなく。その続編と言うのも…まあちょっと、個人的にはノリの悪さが如何ともしがたい。

その中で、是非が混乱しているのもまあ、間違いない現実、だろうか。

そもそも「ガンダムの原作者の意向は、何処まで尊重されているのか?」そんな状況ではある。果たして原作重視、鉄血のオルフェンズが勇者冒険ガンダムだったらもっと評価されたのか?とか、それも不透明だ。最終的には「売れたか否か」しか、判断する境目を持てない結果はある。ともかく?映画「ガンダムSEEDフリーダム」それは、今もって好評という結果は続いている…20年と言う月日をそれでも耐えた、何かの決意かの勝利、だろうか。

「セクシーな田中さん」は、制作側に文句を言い、ラスト2話は原作者自らが脚本を手掛ける、という状況だったなのに。作者は何故か自殺してしまった。個人創作には限度があり、その先には虹の橋がある。しかし今の「独裁創作は売れない」と言う結果への否定は、不意に固執とプライドの先に現れるのかも。

古い境目は今も、犠牲者を飲み込み続けている。

 


ここで華麗にボスを倒せない

2024-01-29 08:32:40 | 日記

ともかく概念上、自転車を適当に漕ぐだけで、時給2000円は確約し得る。

電気に支配されたと言って良い時代の、しかしプラスの面ではあろうか。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「あれ?なんでこんな水っぽいの?」カレーあるある。

 

良くも悪くも最上位、「長」に成った際にあるそれは最大の懸念、「どうすればお金を用意出来ますか?」には、そうやって発生するお金を集めるしかない、とかは言う。ともかく「お客がお金を持っていない」は、その人力発電所が有る時、存在しなくは成る。現実的に必要か?というとその前に何処かに仕事を探せば、という事には成るのだが。なんにせよ身を削って売る、様な必要は今は、概念上は無い。

…ただまあ、人によっては自転車漕ぐ行為で時給2000円がむしろ苦痛と言う向きもあるだろうか。その場合の”それ”は、良くも悪くも抑止し得る物ではない…もちろんその後のリスクや喪失も自己責任には成るが。高額な給与それには相応の責任が付いて回る。それに対して対処し得るのも、良くも悪くもスキルには成る。

今までプログラムなんかした事の無い奴に、ゲームを作れと言われても、無理は深刻ではあり。

”これ”は、一次的な話かそれとも?ではある。コンピュータに支配された現状、”それ”を加味した感覚で話を作れないと必要な「未来」を語れない、というのは深刻な懸念ではある。物語とコンピューターゲーム、どっち?という選択が過去にあり、形而上はか、「コンピューターゲーム」そっちに主導権が渡っている、が。それでも良くも悪くも?主体は昭和を継続したまま現状ではあり、”長”その領域では今、深刻な異相それは存在する、とは言えるのかも。

命令書通りに、というそこに、しかし自己判断せねば成らない分岐がある、のだ。

柔軟さをもって臨機応変に対応してください、それが実際に真理ではあっても、無責任な要求で有る事もまた現実ではあって。

逆に”その”感覚が、コンピューターゲームには蓄積されていくモノでもあって故に、それに対する対処能力、というのが有るか無いか?は今、深刻な拒否を発生する要素ではある。特に”長”の領域は「創る」所まで感覚を持つ必要は出ている、のかもしれず。テレビ主体の感覚ではそこに対処できない、そう言うのは有るのかも。

全くゲームの実況配信で不意にあるが、「何故そこで自爆する?」物語的なシーケンシャルでは有りえない選択も、「スコアを稼ぐ」際には、有り触れた異常行動ではあって。”それ”で物語的には美を失うとしても、スコアが高い方が上位に成るのだ、その是非についても、世間に説明せねば成らない責任が、その”長”の座には発生する。

今は理不尽な拒絶も、或いは選択も、何らかの理由それはまあ、そこに有ったりする訳だが。

ゲーム制作者にしろ、実際にはもっと予定の立つ作り方をしたい、のだけど。「バグ」と言うイレギュラーはどうしてもそれを妨げる壁ではあって。間違い、それを選択した時点で止まる様な。利益に通じないバグなら放置でも良いが、ゲーム進行が止まる、その後の処理が狂う等のそれは、想定外故にか、深刻な面倒をその現場に齎す訳だ。なのに時間は止まってくれない、納期は設定されている、一日1pという当たり前はそこには無い。

間に合わなかったら?

慣れてない、人の方が今はまだ多い、そんな時代ではある。昔はそもそも必要性さえ無かった理解が、今は確かに少し、必要に成ってきては居る。

のかも。


その夢は何時紙から出てくる

2024-01-28 07:56:01 | 日記

現状でも、「クラウドファインディング」と言う、無担保でも人々からお金を集める術は有りそうだが。

それでも、決して少なくない「集めたけど作らず逃げてしまう」或いは違うか詐欺的品を作った話はある。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

夢の詰まった袋は、或いは何時まで夢の中、なのか

 

自分を今の状況に押し込めているモノは何か?は、今もちょっと不透明だ。或いは懸念だったマイナス方向でのカウンタ制御も打開した、感じも無い事は無い、が。それでも「大賀さんの決定に反したら」マイナス数値は付いてしまう、事には成るしそのまま打ち切りもある。昭和天皇が残した”何か”、本来は一人でやっていただろう役職かの「最後の鍵」はその後、数多の周りに居た信者を名乗るかの人々に分散されたが。現状は金銭的理由により手放さざるを得なくなって、元の一か所に集まりつつある、訳だがしかし。

その上でも、「大賀さん」その決定には逆らえない、のだった。

戦争そのものが終わらない、という事態は当初から想定済みではある。「実際の軍事力はその時、その不正を正す為に必要になる」訳で。だから故に、「大賀さんで決着になった」事は戦争発生その物を止める、という訳じゃない。単にその時の「正義の位置」を決めるだけ、だ。だから今も、状況が停滞しているのはまだ、大賀さんの決定に逆らう意向がそれだけ残ってる、という事ではある、世界全域で見れば160万人は犠牲が出ても、それは道理の一つとして容認される。0.02%という比率の意味ではあり。

そんな中でも、話は進んでいく様な、そんな感覚はある。

60代の、或いは「オタク」と言う層の、そう言う創作者らの夢は果たして、ではある。少し前に書いた「M式特殊融資」の話が或いは、実際にはそのオタク層の夢だった、かもしれない。そしてかもちろん、”それ”が出来るなら50代以下にとっても一つの吉報、である。もっとも?”ここ”はその夢を早期に諦める的な選択の結果、「ストリードの連携」そう言う方向を提示する事には成ったのだが、60代の意向かは、それを諦めなかった。

些細な境目であるしかし。銀行員に創作の良し悪しを聞くのはナンセンスではあるし、”そこ”に「失敗した場合」に”業務を遂行しただけ”で容認し得る明確な基準、それは存在せずまた。「”完成後に”貸すという証書」そのアイディアも無かった。どうしたら、”自分の企画を”自分の意図として具現化出来るだろう?それは今も、何かの執着を残したまま、ではある訳だ。ストリードの連携、というアイディアも無い時は、自分さえ”それ”に挑んで、そして潰えている。

或いはそうは見えないだけで、内容的には「黒部ダムの建設」それにも比するような、そんな難事業だった、のだろうか。60代の、オタクと言う層の、そのプライドかの果てに、”それ”は具現化を果たした、様な。

或いは?それを否定かして「60代の頭の悪さは何とか成らんのか」とまで書いた自分は、その後ろの世代は。何かのプライドを折りつつ、”それ”を借りるような。そう言う事に成っていく…のかも。

それを創案した、のは自分ではある、けども。

「出来る筈だ」に対して重い否定を向けていたのも、或いは自分ではある。

自分は勝者か、或いは敗者、だろうか。

 


人以上を求めた理想と幻の帰結

2024-01-27 08:05:30 | 日記

少し前から?常に感じていた脅威のようなモノではあるが、憑かれてる様な感覚はある。

”それ”は同じ様な立場にあり同じ事を言うが、しかしその意識の向きは、真逆なのだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

そう言えば、”それ”は少し奇妙な何かではあって

 

要点から先に言ってしまうと、「カウンタ制御をしてる奴が居たが或いは、金融的面倒から退任にして、その後にシステムを置けそう」と言う”感じ”にはここで、成った。その「カウンタ制御をしてる奴」が、始めに出た存在ではあり、「誰?」とは今も言い難い、ここはいつも形而上的な戦いの中ではある(・・・)。推測では、昭和期、「テレビ」が始まった時に同時に設置されていた「安全弁」と言うか緊急停止スイッチというか、或いは警察的な「立場」が存在していてしかし。”それ”を受け継いだ人が、その後に発狂していた、そう言う感じ…だろうか。

怪しいのはあの「ビデオリサーチ社」ではある。しかし、事はネット動画などのカウンタ報酬を当てにする”全て”に関わる話、実際はもっと別の”何か”かもしれない。ともかくこの時、印象で視聴率は幾らでも制御出来そうなのに、何故かそれを問題視する事はタブーに成っていた、訳で。

そこに過去の「昭和天皇が認めた必要性」それが有った、可能性はふいに。

「犯罪的な(或いは国家に不利益を齎さんとする)番組の視聴率は、罰則的に下げる」と言うのが、実は存在していたのでは有るまいか?ではある。他にも様々な理由はあってそれが肯定されていた?”それ”は昭和を形成した「最終的な壁」としてあって、そして平成に成り”そこ”に、依存が始まっていってしかし、それを受け継いだ存在はその責務かの中で、実際には発狂していた。それでもやる事は単に「気に入らない奴の視聴率を下げる」でしかない。それがその場を受け継いだ存在の”仕事”である、昭和天皇かも、結論ではそうやって制御?していたのだ。そして、受け継いだ?存在にはその時、それを昭和天皇の様には出来なかった。

過失は問えるが、責任が問えるか?は謎だ。ともかくその結果、甚大な損失が発生していた可能性はあり。担当者は役職としては不適当として退任させ。その後に、「システム」を設置しよう、そんな風に。

「視聴率制御法」
”紛争解決機構に逆らう内容を放送した”場合、番組の視聴率には-0.1%のペナルティを受ける。
そのペナルティは放送中は永続的に続くし、同じ番組である場合、それは放送の度に累積する。
ペナルティが1%を超えた場合、それは強制的に放送中止に出来る。

ともかく確かに必要性を持って設置されていた?機構かもしれない。法に違反してもおとがめなし、というのは倫理上も問題は確かにある。残すにしろ、「誰か」に背負わせるのは最後、その存在をダメにしかねないので、法として代替する。ともかく「大賀さん」には相応の実績はある、という事だろう。この場合の基準としてまあ、妥当ではある。

”ここ”に来るまでに、20年は費やした、そう言う事だろうか。

一つの成功は、一つの打開に繋がっているのかも。