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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

分岐する二択の過去と今

2020-10-31 07:31:52 | インポート

分岐はある。

或いは今、共に自身のプラン?によって、だ。

現状、表に出せない情報、それは多い。状況も悪かったと言うべきか、あらゆる企業が業績を悪化させていて…銀行、金融、そこと”仲が良い”所位しか、資本は自由に成らなかったと言う現実は、或いはある。とは言え、自由に成らなかった、だけで、金融にしろ「別に増やせる訳じゃない」のだ、世界は何かの致命的な問題を抱えていたが、そこを「ユダヤ教の王」それは塞ぎ続けた。

負ける訳には行かない。

”それ”はでも、今もまだ残っている。


その状況下で、その上でのプラン、そう言うのが幾つかあって。

抽象化する感じ、物語として二つある。

A:かつての大戦を制した物が、再び訪れた世界の危機を前に奮闘する。
か、
B:かつての大戦で参加出来なかった存在の末裔が、今の世界を救う。
か、

どっち?だ。

AとBは同じ時間軸上にあり、どっちでも「打開される」その結果は一緒、だ。どっちでも良い、しかし、どうしても最後に選択はある、右か左か。その際に、そこに有る理由、それは何か。

ぶっちゃけ現状、Bが選択された、気もする。状況を打開する為に提案された二つのプラン、その片方は廃棄?された。そういう話じゃない、にしろ、そこには”そう言う感情”は残っている、何かの失意。単純に言えば?ガンダムでの、ゲルググとギャンとの量産化を前にした選択であり、ギャンは却下された、”それ”を計画した存在は、そこに無念を残していた訳だが。

”その”無念の末裔が、再び訪れた世界の危機を救う、それは震える”何か”はある。

ただ、その時に成っても”そこ”に、A、「かつて世界を救った物」そして今もまた、それが可能な何かは、そこに有るのだ。


Aは、良くも悪くも日本的な感覚だろうか、天皇陛下バンザイ、だ。それが使っていた草薙剣、”それ”がそこに有って、それを使えば勝てる。未だに仮面ライダーやらウルトラマンやら、ともかくおせっかいでさえ有る無償の救世主に依存する、その是非と言うか。かつてのBは、或いはこの時にコスト比を入れてしまった結果、「戦争に勝てる物ではない」そう判断され却下された、が。それに出来なかった訳じゃないのだ、或いはむしろ?

感情論やら現実やら、その狭間に、何故か意識が不意に居る。


PS5は、どっちかと言うとBである。実際には「ユダヤ教の王」それはそれが残す無念でさえある。理解はある、そこにAはもちろんある、しかし。Aを選択する側にすると、Bには不安か不満は残るのかもしれない、何かのロマンだけで、この局面を打開出来るだろうか?

そしてAは、或いはこの時むしろ、自重?せねばならない、のだ。
出来るのに、だ。その自重が”何かの問題”を抱えていても、だ。


自分もまあ、今は一票しか持たない。



昭和に育った特権意識と言う怪物

2020-10-30 07:17:31 | インポート

ストレスはある。

つまり昭和の頃の様に出来ない!って憤って、特攻するかさせる結果で大破に成る。
”それ”はしかし、自分の思想?ではないから、なんか、認識で自分の責任に成らない。
しかし事実は事実で、一回地雷踏むと、なんか後戻り出来なくなって、他に原因を向けながら、つまり自分は悪くないので、同じ様な過失を繰り返す事に。

その結果、うっすらとした重い過失が「ゴミ」を呟き続ける中で、なんか歪んでいく?


良く無い結果しか出ない。

”それ”は過失の無い人々に、重い不快がどうしても発生する。

何をやっても「同じ結果」だ、暴言も出る感じ。
何もするな、しゃべるな、棺桶に入って出てくるな、そんな。


昭和の頃なら、「通った話」なのだ。

しかし「そんな特例は認められない」と、或いはビルゲイツ氏から否定される感じ。

”それ”は日本の、古い悪習か”良識”だろう、しかし。
「それは正しい」と言う意識から見える世界は、存分に歪んでいる。

排除すべきゴミは居るのだ。

ただ現状で、”それ”を排除しようとすると逆に、自分がどんどんゴミに成る。
排除しようとする相手も、結論では「同じ感覚」で、その過失に至っている。

衝突する理由は似ている、昔の正義を今に!そして許せない理由も”同じ”だ。

「紛争解決機構」大賀さんは、ここに介入はしている。

ただ、機械だけに、「何故?」は説明しない、ただ結果として「失敗」損失、それをそこに置くだけだ。


感情論的には同意出来る部分も有る、「お前の様な奴には成らない」と全否定した相手と、”同じ職場”で働かされようとする、そんな否定感。

感覚が、ちょっとマクロに成り過ぎてる、古い昭和の感覚の結果と言うべきか。

「働く」と言うニュアンスに踏み込む時?そこには、その汚物が居るのだ。

”働く”事が出来ない。

まして、或いは売春婦、その領域にも行けない、”そこ”にはあの汚物が来る。
せめてその汚物さえ居なくなれば!しかし、それを排除すると言う事は実は、物理的には自分を排除する事に成る、「特権意識の怪物である」事は変わらないから、だ。

感覚の帰結は、あるのだろうか?




とある空を飛ぶ夢と現実

2020-10-29 08:00:12 | インポート

不満は累積し、加速している。

不意に気づくと、”それ”は自分の支持者?の多くを踏み潰している、重い過失を背負った…そんな感覚も有る。

昔なら通った話は、今は通らない、”そこ”に入った瞬間「じゃあ良いです」それで、消えていく物でしかなく。

道理は説明出来る、プラスが有れば等価なマイナスは何処かにあり、それが無いと言うならそれは「無い」のだ。無い存在を懇願し祈祷しても、無い物は無い、そこへの注力、投資それは無意味だ。

つまり、”その”過失を背負った存在が、それを免罪される事は有り得ない。

そこに居る人々が求めた物がある、しかし。その先に入る?と言う”そこ”は無い。最大100人が座れる店に、1000人呼んでも入れない不満で破綻するだけだ。その物理的限界を超える事は出来ない、その先には、1000人を迎える為の構造が必要で、それはもう、それが求めた理想では無く。

そんなもんではある。

最近、「バギージェット」と言う物を考えた、極論すればオスプレイからの降下作戦さえ可能な、空飛ぶバギーだ。ジャイロによる姿勢制御を搭載すれば、後は推力のコントロールだけでは?これを建造しよう、とする前に、物理演算でのシミュレートは有効だろう、が。

結論で言えば、物理演算でのシミュレーションは当てに成らないのだ。

試作機を実際に創ってみないと、それは事実に成らない。

しかし?「物理模倣演算」と言うニュアンスでは、”これ”をして見る気にさえ成らない、最初から「現実ではありません」そう、言い切られてるので。

信頼する、その先で破綻するか、破綻の可能性を最初から提示するか。

現状、後者に傾きつつある、それはでも、そう言う現実の発露でもある。

「現実を再現する」と言う観点では、あえて物理演算に拘らない方が、リアリティが実は有る。

ただ逆にその結果、その世界には物理と同じ”限界”も有る訳で。

潰してしまった後は、過失と共に潰れた残骸しかない。

それは取り返せない。



存在する邪悪と勝てない現実

2020-10-28 07:13:52 | インポート

混乱してると言うべきか。

「宗教家」は、
 売れない、王の権威が評価しない物を反逆、ごり押しで売れた事にした。
「漫画家」は、
 自身の敵の、王の権威が決めたその合格を、無しにしてしまった。
「新聞記者」は、
 「王の権威の決定に逆らうな」それを言う存在を、殺してしまった。

これら一連の背後にあるのが「ユダヤ教の王」その意向であり、”そこ”が彼らを支援した結果、その後の平成の破綻は発生した、と言っても良い。この王が、良くも悪くもここで消えた結果、「ユダヤ教の王」その座その物が、「王の権威」と同化した、感覚はあり。

現状、混乱している。

もちろん先に書いた3人?は、明確な支持や根拠を失った、訳だが。しかし「特権が居る!」事に対しての不満?は、「朝鮮王朝の末裔」その辺を出すまでも無く割と普遍的な話で。今まで、”それ”を打倒しようとしていたパワーは、しかし逆に「その先に自分らが居る?」と言う事態に陥った、「大賀さん」を否定すると言う事は”そう言う意味”に成るから、だ。「大賀さん」を打倒してその後、何をしようと?自分らの独裁で?つまり悪しき特権とは自身らでは無いか。今まで通りにやろうとすれば、そこは自滅する事にはなる、しかし。

特権が居る!と言う、それは変わってないのだ。
単にその特権が、「大賀さんの結果に従え」それを言う様に成っただけだ。
そして、”それ”を言う存在が、今まで自分らに「王の権威を倒せ!」と煽った存在であって。

「昭和天皇」と「王の権威」とは別か?と言う、現場レベルで認識に差は持てないかもしれない。

愚か者の末路としては妥当だ、ろうか?

「漫画だから」が、今そこに有る、と言う事だろうか。
結果、換金に関しての混沌は薄れたが、逆に「換金に関しての価値感は統一された」訳で、つまり「自分には!」それは通らなくなった訳だ。

一人の王が消えた結果、その軍隊はその物が瓦解した…そんな。

それは、そう言う悪夢だったのだけど。



王に仇成した頃の砦

2020-10-27 11:37:51 | インポート

悩ましい。

結論としての理想?として、「百人の合議制」それが最後の場所、ではあって。
概念的にはそうなりつつある、何かの結論は出た、世界経済は破綻しない、意識次第で、だ。
薄らか、明確にか有った、その危機感は”最終的には”否定されている、世界は救われたのだ、そう言う視点では。

と言う現状での、100人の合議制、その会場での状態。

個人的な視点か、或いは客観でも、「この安定を構築したのは?」その意味では、”その中に居る一人」でしか、ない。他の99人は視点では妨害さえしていたのだ、彼らに今後の舵取りを任せるそれには大きな疑問と不安はある。その後、そこに有るモノ、だ。

対価を要求している、が。

その対価として、”それ”は正義か否か。

特にカウンタ制御に関しては、かなり重い損失と故の執着はあり、そして相手の正義に対しても、疑念は重い。ある種の打開がこうまで遅れたのも、”それ”の存在あっての事だ。最初から全て、「民意」に委ねていればこんな破綻に成らなかった、それは可能性としてはある。結果、その「世界を救った一人」は、何を対価として要求している?

…それは、好ましくないのではないか。

「世界を救った」にしろ、換金し難い結果だ。逆にそれだけに、「お金以外の適当」を求めると、どうも余計な話にしかならない感じはある。世間が求めた事だ、「何とかしてくれ」それに対して応じて達成した、としたら、それはそこには重い対価の要求は発生する。何とかしたぞ?こちらの願いを叶えろ。その時、そこに求める適当とは。

「大賀さんの決定に従え」従わない奴は悪だ、悪は否定されても文句は言えない。
そして、それを管理?してるのは自分だ。

過去と受けた加害と、しかしそこに有る、一言。

創作の多くがこの時、無意味?に成る。
平成は特に、この決定に対して反発する事にこそ換金が有ったからだ。
それが、無くなる。

…それは、対価か?