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あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

手札の先に夢を見る

2020-06-30 20:15:22 | インポート

何となく、何故かトランプの利用法に少し。

と言う訳で、変なトランプ占い。
「トリプルセレクト」


ストリード
プロデューサーシート
タイトル「トリプルセレクト」仮
 概略 トランプゲーム

コンセプト「出来ますか?」

ハード的テーマ「トランプ占い」肯定否定
 簡単なゲームっぽい占い

ソフト的テーマ「当たるも八卦当たらぬも八卦」否定肯定
 一応はまあ、感覚的な指針、と言う方向性で。

目的 悪い状況の改善
それは無い 不運を届けに来たぜ

ディレクターノート

トランプを用いた、簡単な占いか、ゲームっぽい何か。


準備
 通常のトランプ&ジョーカー2枚も、使用。

※占いとして
 占いたい事案を意識しつつ、トランプ山を良く切る。
ゲームとして
 カードを一枚取り出し、”それ”により「事案」を想像しながら、同じくカードをシャッフル。
例:クラブのキング 職場上司との関係?

その後
 3枚×3列を裏にして並べる。
 3枚を手札として持つ。
 残った山は脇に。


□□□ 結果
□□□ 問題
□□□ 今後
手札
□□□ 現状

ゲーム
 まず、最前列の「今後」3枚の中から一枚を選び、裏返す。
 そのカードより数値が同じか上のカードが有れば手札から出し、その列ごと捨て山に
 ※占い結果を分析する場合は、この際の手札と裏返しカードは残しておくべき。

 数値が足らない場合は、表にしたまま、次のカードを開ける。
 ともかく捨てられる状態になった時、表にしたカードは脇に残す。
 全部のカードを開けても捨てられない場合は、そこで失敗。

 これを「今後」「問題」「結果」の順に3列繰り返し、最後までたどり着ければ、その事案は実現可能性がある。
 途中で表に成ったままのカードが有る場合、可能性は有るが、懸念もある。
 失敗した場合、可能性が薄い。
 
 ※ちなみにジョーカーカードは、手札の際にはどれとも交換できるが、場に出た場合はその時点で失敗に成る。


カードの意味

Sスペード 仕事
Dダイヤ  金銭
Cクラブ  環境
Hハート  関係
 数値が大きいほど、値(人数、金額、広さ)の大きい話題。
 ただAは”数値では現しにくい何か”で10と等価。ただし絵札には勝てない。

Jジャック 先輩
Qクイーン 配偶者
Kキング  上司


占い例
このゲームの今後は?


S4 □□ □□ 結果  ←SJ 成功
□□ H3 □□ 問題  ←S6
□□ □□ C9 今後  ←S9
手札
SJ S6 S9 現状

結果
 ゲームの環境はそこそこ広いが、内容的には適当かも。
 それほど興味がある人が居るか?と言うのはあるが、反応は悪くない。
 結果的には職場の知人友人連中と、そこそこ楽しめるのでは。


end



何となく不意に思いついた何かだが、相応、気晴らしには成るかも。



声だけ残る反逆者の影

2020-06-30 08:10:43 | インポート

結論は出てる。

気はする。

朝日新聞社の御家騒動、と言うのがあるなら、
それは
「血族派」が敗北?したのだ。

今後の、状況の改善を図るなら、「旧村山派」、そっちが主権を握るのが求められる。

ともかく【血族派」最大の問題は、前者のフラグシップが「新聞記者」だ、と言う事だ。
それは過去に売春婦を強姦し殺して、”それ”をその権力を用いて隠蔽した、と言う過去を持つ結果、そこに必要な能力を、”一切”持てずに居る。

最早、物理的な帰結だ。
因果応報の様な話でしかなく。
彼に対する「無能」と言うフラグは、彼が死ぬまで付き纏う物ではあり。
ただ、罪状?を考えると、道理でしかない。

問題は、血族派が、その「無能」を捨てる事が出来ない、事だ。
貴様は無能だ!と罵倒しつつ、何とかしろ、そう恐喝する感じ。
淀み、腐り、歪んでいくそれは、過失しか、発生しなくなっていく訳で。

「大賀さん」での戦闘結果としては、血族派が負けて、”それ”は今後、実権と言うニュアンスからは排除される、と言う事には成る。

結果では、だ。

彼らがその決定に従うか?は別問題だ。

ただそれは、フラグシップが無能である、と言う現実から考えても、ただ「不服」だけ残して全滅する、と言うのが…今のシミュレーションではあり。

相手も現在はほぼ、実感し得る事態、と言う状況でも有るらしい、が。

それでも、「不服」だけは、そこには残っている。


利益性を目指す時、そこには必ず「王の権威」と言う、特殊が居る。
平等、公平、そう言う理想からすれば、”それ”は「居てはいけない存在」では無かろうか。
物理法則が結論で一つしかない時、”それ”に対して最大にシンクロするのも一人しか居ない…「人間には個性が有るから」だ。その結果、一人、奇妙な特殊が居る。

…一応は、これもまた、物理的事象ではあり。
ただ”それ”が、結論で「ストリードの連携」、「”雅”市場」、「大賀さん」それを構築した、のも一つの物理ではあり。

現在の「大賀さん」を最終決着の場とする時、「王の権威」それは、概念上は意味がない。

昭和の頃も、昭和天皇は、居るのは解っていても、ある種の謎多き不在だった。
ただ、独裁性?「自分の創った物が認められる」その悦、”そう言うの”を求める時、それは必要な立場だったのだが。

今後は、「売れた」結果以外での認証は、無い。
そこに道理を見出す事は出来る、ただ、結果論だ。
売れなかったけど認められたからお金は貰えた、そう言うのは、基本的には無い。

「認められた」=「売れた」その、帰結が今の「平等」ではある。

「反逆者」その実態はほぼ、無い。
ただ、その不満だけは不意に、そこには有る。



剣呑さと窮乏の先で

2020-06-29 11:32:53 | インポート

個人的な把握ではある。

ただ、ともかく解ってる事は、インターネットを運営する側にしろ、「今まで通り」を続けたい時、利益性も大事だが、王の権威その否定もそれ以上に大事である、と言う事ではあって。

単純で剣呑な願いは、結局は「テレビを」通じて、世間に放射される事に成る。

「”王の権威”の創作を、意向を面白いと思う奴は、世界に要らない」のだ。

それがどれだけ利益性があろうと、捨てられない物はある。

…この問題は、かなり極端な事態には成ってる。
否定し続ける限り破産は明白だが、肯定する時?「自分は破綻する」のだ。
今までは王だったが、”その後”は罪人か奴隷、或いは死刑囚である。
王である事を維持し続けねば、それは死を受け入れるに等しい。
今まで!お前らは私の庇護下、どれだけの幸運を与えられたか、忘れたのか?
「今まで通り」は維持し続けねばならないのだ、伝統は大事だ、金の問題じゃない!
「天皇制」もまた、その言葉には多く肯定を持ってしまってるし、その歴史もある。

…これはやっぱり、重い枷として、そこには有る。


そんな、日常的に世間から「頼むから」剣呑を懇願される様な状態で、同時に妙なストレスもそこには有る。売れる手段を求めている、それは何か?或いは、評価されてるのに批判もされてる、それは何故か。

お金は払えないがお金は出してほしい、そう言うニュアンス。

視野範囲内には、その原理となるのはシニア世代くらいしかない、訳だが。

”それ”を否定する時、自分も実際には、「何かの足場を失う」のだ。

何故、その作品は批判されるか?は明白だ、「面白い」それを目指すからだ、しかし。何故売れないか?それは、必要になる内容じゃないからだ、特に「夫婦間の問題ない関係」など、描かれても気まずいだけだ。「みなさんお仕事ご苦労様です、私は大金ゲットしたので海外旅行に行く計画です」違う計画が知らない所で始まりそうでさえあり、そんな話を誰が喜ぶだろう?それをしかし、今の施政者側はむしろ、推奨さえする。

批判反らしには、もってこいでさえあって。

ある種の生贄をこんな風に消費しつつ、世界は何とか、都合のいい話をしようとしている。そして”元凶”とも言える「黄昏の狩人」それを持ち込んだ存在は或いはもう、病で他界してしまった、のだ。「新聞記者」の強姦致死と言う罪状を揉み消しただろう存在ももう他界し、その罪は今更問える状況でも無いが、そこには過失だけは残っている。


「大賀さん」その神判は、今もまだ、微妙だ。



否定するのは人かゴミか

2020-06-29 06:43:34 | インポート

やっぱり、悪化していく感覚は有る。

纏まらない感覚もある。

日本には、か。ともかく「朝日新聞社」その社主を頂点とした、コンテンツの統制構造が存在していて。その頂点が誰に成るか?は、その影響範囲”全体”の方向性に大きな影響を及ぼす、そんな事態が有った、密かにだ。コミックマーケット等であっても、その例に漏れない。コンテンツで有る限り、日本では、この影響を無視する事は出来なかった。ちょうど、新型コロナウイルスが危険である!と報道されたら全体が”それ”に対して統制された、様な…その位の影響力を、”ここ”もまた、コンテンツの領域に持っていた訳だ。

平成が始まる際に、約30年前だ、”この”否定を「王の権威」が受ける事に成ってしまった。「黄昏の狩人」と言う些細な創作を足場に、或いはアメリカ側の意向も背に、”業界”はそれまでの王、昭和天皇、「王の権威」を否定する事に成った。問題はその「黄昏の狩人」が盗品で有り、この結果として、この統制構造その物が利益性を失った事に、この時点ではほぼ誰も気づいてない事だ。”これ”を可能にしたのが例の「新聞記者」に通じるそれではあり、その後それは、この構造に、強い影響力を持つようになる。

…ここもまた、今も、自分の主観による把握でしかない。

最初の頃は良かった、その統制構造により「それは要らない」は、安直に設定出来た。「なんか知らんけどダメだって」新型コロナウイルスにしろ、恐らく影響は無かっただろう些細な地方の集まりにも、今でも安直にダメ出しされる状況はあり。”これ”と同じモノが、或いはネット等のカウンタ数値として反映している時、「カウンタ数値が低い」事はつまり、”それ”は新型コロナウイルスに罹患する可能性があります、位の意味に成ってる訳だ。「黄昏の狩人」を盾にして、統制構造の頂点に座ってしまった連中は、自分らの都合よく、本来の「黄昏の狩人」の作者を否定する事は容易かった。

ただ、この結果、次第に「許可するコンテンツが利益性を持てない」と言う、奇妙でさえ有る壊滅的な事態が始まる事にも成ってしまう。アメリカ等にとっては、別に問題となる事態でも無かったのかもしれないが、ハリウッド作品も結局は、この辺から精彩を欠いて行く様に成る。「王の権威を否定してた」と言う事態は次第に、あらゆる挑戦を無視し、世界その物の衰退をも招いて行く訳だが。利益性を目指す時、”そこ”にはほぼ必ず王の権威、それは居る。”それ”が確認された時点でそのコンテンツは潰された…、そんな経緯を暫く繰り返した。

この事態は、奇妙に”この体制”を残したまま、次第に改善?されて行く事にはなる、「利益性を持てない」時、流石にそれは立場を悪化させる。結果、「王の権威」その意向がじわじわ、内部へと浸食していく事には成る、が。既存の環境、「王の権威を否定した首謀者ら」はもちろんその改善を強力に否定し、アメリカのインターネットサイドもまた、その味方とは、成る。衝突する思惑は、もちろん「王の権威」を否定したまま、だ。体制を維持する、と言う時、”この”スキャンダルに近い事態が表沙汰になる、それは否定される事態だった。

「王の権威」を抑止する為に、情報は念入りに否定され曲解された訳だが?
ただそう言うコンテンツが精彩を欠き、凶悪な喪失を発生させていくそれも現実で。
打開される過程で様々、被害や犠牲それは出ている事には成る。

「王の権威」それを否定したまま、だ。
現在の状態なら、”ここ”は単に低カウントの、矮小ブログに過ぎないのだ。
業界の情報と接点が無ければ、その報道に信憑性も無い。
協力者も居なければ、一人ではほぼ何も出来ないのだ。

かくして現状、視点では問題は、「朝日新聞社の社主を巡る醜聞」と言う部分に集中はしている、と言う気はする。”それ”は或いは重大な過失を隠し、同じような事態を呼び、無視出来ない損害を背負い、否定されて行く訳だが。「体制を護る」と言うそれを前に、その元凶に近い「新聞記者」もまた、「王の権威」よりも優先される存在としては、そこに有って。その処遇を巡り、妙な混沌は渦巻いてはいる。

「王の権威」それを否定したまま、だ。

感覚では嫌な事態だ。自身の構築するセーフティネットに、「その元凶が住んでいる」のだ。強姦致死し、それを罪に問われなかったと言う存在の処遇、そこまで自身の構造は想定していた訳じゃ無く。今はただ「大賀さん」その決定に依存する訳だが。”それ”はまあ、何かの否定か野党の反発かの様に、問題をそこに提起してくる。

強姦魔であっても、”それ”を死刑に出来るのは、司法による決定でしかなく。
その時その存在は、明確には罪は無い。大きな損失を出しただけだ。しかし。

「私を特別扱いしろ!」と言うのも、結論ではグロテスクな要求である。

ただ、理不尽さは、如何とも。


「面白い」と言う名の地雷

2020-06-27 16:08:05 | インポート

普通に考えると、実は怖い話である。

「姫君が浚われた!奪還の為には難攻不落の要塞を攻略せねば!」

…それ、攻略してる間にもう手遅れに成らない?

スーパーマリオ位に抽象化された状態なら、実際には「夫が朝から出勤して、仕事を熟し、自宅に帰ってくるまで」の困難を、クッパ大王と言う社長の命で妻と別れ出社させられ、苦闘を経て仕事を終え、社長の納得を経て帰宅、妻と再会、と言う絵に変換、それをゲーム内容に反映している…と言う言い方は出来るのだけど。
今の3Dパワーは、”そう言う視点”をゲームに持ち込めなくなっている…と言う変化は、実は有って。

ともかく、リアリティを問われたらもう、浚われた姫君は手遅れだ。
それを加味して、ゲームのストーリーは構築せねばならない、と言う事には成る。
それ無しに、スーパーマリオをトレースするのは基本的には悪手にしかならない。

…と言う訳でこの場合、むしろ浚われた姫君が脱出するゲーム、の方が希望的だ。

「それじゃ意味がない!」

何処かギャグ漫画の如くスラップスティックに迷路を攻略していくたくましい姫君、と言うのも、趣味が分かれる所ではある。

勿論どうしても、”これ”を「技術的にヘタだ」と言う理解に出来ない、その方が深刻かもしれない。特に漫画的に面白い話は、ゲームに使うとほぼ無意味になる。ゲームとして適当な話と、漫画として適当な話はやっぱり全く違うのだが、この辺の理解も一般的とは言い難く、明確な技術して認識してるのは…自分位かもしれない。両方を兼用し得る物語、それはかなり、レアだ。

目的に対して適当、という問題も重い。

これらの混沌を前に、先へ進めない創作者、そう言うのも多分多い。

ともかく今もまだ、「王の権威」その技術?は大っぴらに使えるモノじゃ無く。

”それ”は或いはでも、平成の破綻、その引き金さえ呼びかねないのだ。

創作の利益性、それはそこに有りつつ、今もまだ、遠い。