goo blog サービス終了のお知らせ 

あげちうのブロマガ

あげちうの日々の色々な事

勝者を目指す敗者

2017-06-27 16:46:50 | インポート

イスラム国は、太平洋戦争時の日本、なのだろうか。

核兵器が使えない今、彼らの抵抗を止める術はまだ、微妙に無い。


人工衛星的な視点で何が解るのか?と言うのはある。ただ不意に、「戦争がしたい」もちろん太平洋戦争のリトライだ、そんな衝動にリアリティがある事に…不意に意識が。シニア世代かの、何かの頑迷さ、その根幹。最後の最後にある、願いが叶わない場所、そこに有る理由。彼らの願いとは、何か?


「勝つ戦争がしたい」のだ。太平洋戦争あれは、何かの間違いだ。太平洋戦争は勝たねばならなかった、そうで無ければ、正しくないのだ。


紛争解決機構で負けて、そして「戦争ゲーム」でもその、「期待される戦い」が出来ない、勝てない。ストレスだけが残る、湧き上がる反論は理屈で抑え込まれる。物理的な、悲劇的な戦争をしない為にこれらはある。負ける痛みは否定の理由だ。「戦争は良くない」それを理解する為にある。現実は問題なく再現されている、ここでの戦いは現実にやったのと同じだ、単に「夢オチ」に終わるだけだ。素晴らしい事じゃないか?

「そう言う事じゃない」

表現としては「勝てない事がおかしい」のだ。負けると言う現実に同意できない、そして”それ”はどうも、「太平洋戦争にも」通じる。「負けた」と言う現実に同意出来ない、何かが、狂っている。


それは、おかしいのだ。それにこれは、”あの”太平洋戦争の当時の戦場じゃないのだ。何か何処かが違う、知りたい?のは、当時なぜ負けたか?だ、誰が悪かったのだ?

とにかく、「負ける筈が無かった」のに。


理解が正確なら、太平洋戦争後、日本は何故か「勝者として」王の権威を受け継ぎ、昭和天皇がその、所有者になった。形式上は負けたまま、何故か日本は優遇され、空前の復興と好景気、高度経済成長に入り、一時はアメリカさえ凌駕していく。日本の軍部はこの時、「戦争に負けた」結果を受け入れざるを得なかった。アメリカは逆に、「核兵器を使った」過失を問題視されてしまった。シニア世代の99%以上が総じて「敗者である」そう言う屈辱の中で、或いは生きてきたのだろうか。勝った筈なのに、負けのフラグが消えない。

「勝者に成りたい」のだ。
ただ神様は何故か、どこまでも彼らを勝者にするつもりが無い、らしい。


「ガンダム」昭和天皇?その願いか意向により、戦争は仮想現実で行う事になり。結果的に、”彼ら”の願望が…表を制御し始めたのだろうか。平成になり、昭和天皇の威光が弱まった事で歯止めが効かなくなり。彼らは「勝者にならん」その衝動を満たさんと或いは自覚無き暗躍を始め。平成の大不景気その他を経て、それが結論で今、「イスラム国」それとして、”何か”を再現してしまったのかも、しれない。

勝てた筈なのだ、一億総火の玉だ、何を犠牲にしようと、耐えれば。


この辺、どっちなのか?は良く解らない。「勝てた筈」なのか、「勝てる筈」なのか。ともかくアメリカ軍は何故か、核兵器を撃ってしまい「概念では」負けになった。”それ”による勝ちを目指すなら、イスラム国は何処かの国に「核兵器を撃たせれば勝ち」だが、流石に今は…無理だろう。なら旧日本軍は、引き籠り、国民を生贄にしても耐え続ければ勝てたか?現状はじり貧だ、首謀者が死んだと言う話もある…或いは既に、事実かもしれない。

勝てない、敗者だ。その時、或いは再びだ。人生を賭した博打は、「全て失いました」そんな結末を迎える。「愚か者」そのフラグを或いはまた、重ねる事になる。勝者らの、歓喜の宴が、その頭の高い解り切った説教と言う名の侮蔑が、心を荒々しく削っていく。

”何か”が、間違っているのだ。

”衝動”が、消えない。



戦争がしたいお年頃

2017-06-27 11:40:01 | インポート

Aと言う世界では、
紛争解決機構により「戦争」をしていて。それに勝てなければ、その夢は叶わない。
Bと言う世界では、
「その世界その物が戦場」であり、糧は相手を殺してこそ奪い取る物としてある。

Aで勝てなかった人々が、追い出され、Bへと逃げ込む。しかしBでも勝てず、潰える時に。
不思議な事にBの世界には核兵器は無く、Aの世界には使ったら負けと言う代物としてある。核兵器の使用で勝ちにさえ成れば、彼らにも勝機はあるのに、だ。

”そこ”に残るのは、何だろう。


これは或いはイスラム国の、実際には「発起原理」なんだろうか。紛争解決機構とかが期待される成果を出す時、戦争は「物理衝突の危機!」までしか、起きない。その最終防衛ラインとして、数多の軍事兵器は必要ではあるが…良くも悪くも日本の自衛隊だ、戦場で人を殺したりする事が、出来ない軍隊。それが今、或いは今後?未来の方向としての、軍事力その必要性ではある。

手にした銃も手榴弾も、それは実際には”無用の長物”なのだ。「それでいい」御守の様なモノだ、兵器はこの時、そう言う物でしかない。


「それで良い」とは、まだ断言し難い部分は、ある。


良くも悪くも「真なる自由を!」魂の解放を!とか言い出す時、「反対する奴を殺す」それは必然として有る選択肢、だ。その時、一瞬だけ自由は実現する。自分の理解では創作とはその「逆らう奴を殺す」潰す、”ぶっ壊して”ブレイク、と言う事になる。

「それはダメだ」

結局、平成になって不景気になったのは”だから”ではあり、創作がブレイクしなくなり、価値を持てなくなった。そしてその時、昭和の頃にブレイクされた人々の復讐も、同時に始まる訳で。結局そう言うのを背にして、「中華思想の皇帝」それは誕生してしまって、或いは今も、倒しきれてはいない。


「物理的な戦争をしない」時、”敵”は損を出したとしても潰せなく、殺せなくなる。そいつが死ねば、それが持つ権利その他を自分の物に出来る、利益が得られるのに、だ。利益を出さんとしたら、「仕事」をせねば成らず、その時、自由は失われる、何よりクライアントを上に掲げねばならない。自由が許される、その特別とは程遠い。そこに衝動がある。


…剣呑では、ある。


世界規模での「剣呑さ」が、目指す未来を遮る障壁が、”あの”イスラム国を産んだのかもしれない。戦争の無い世界を目指さんする時、そこに反動があり、そして「これが終わったら、もう兵器で人は殺せなくなる」可能性が非常に高い、時。”何かの自由は失われる”のだ、それは、期待されうる未来なのか。生産その効率化の結果、市場に対する供給量は増えるのに雇用人員はどんどん減り、要求は「買え」しかし、「仕事は?」無い。自然、悪循環に陥る。自由を!独裁性を過剰に容認する限り、ここを超える事は物理的に出来ない時、突破口は、剣呑な一つしか無いのだけど。

銃を撃ち、建物を破壊し、人を殺し、その人肉を喰らい、快楽の叫びを上げる。あらゆる”犯罪”を繰り返す、作家が目指す「理想」自由を!その帰結として現れる、地獄。

「片付けろ」

見苦しいモノを映し続けるんじゃない!それはでも、まだ、表示され続けているのだ。




戦力差は1対70億

2017-06-26 17:36:52 | インポート

一人が言い続けている。

1+1は2です。

その他全て?が言い続けている。

1+1は、3かもしれない!


「正義」正しい方が勝つ、時。前者は後者に勝つ筈だ、ただ戦力差は?1対70億、ではある。
この”戦争”の結果は、果たしてどうなるのだろう?


理屈としては、前者は人間の限度以上の間違いは、しない。後者は?やる事成す事、”全て”が何処か歪んでいて、殆ど自爆紛いのダメージを受けていく。この短絡的な視点では、後者は前者に負ける、だろう。


…ただ戦力差は?1対70億、ではある。


前者と後者の間には、何かの決定的な溝がある。後者は「物理法則がおかしい!」そこまで言い始め、或いは自分達に都合の良い仮想現実を構築し、”そっち”へ移動しよう、そんな事を言い始めるかも。もちろん、1+1=3かその辺の数値なのだ、ともかく2以外の何かだ。そんな理解で現実を超えた?様な仮想現実は構築できる物だろうか?それは無理だ。ともかくそれは、悪戯に自爆テロと誤解を繰り返し、前者に戦争を吹っかけ続け、最後は負けるだろう。


…ただ戦力差は?1対70億、ではある。


「数には勝てない」時、前者は後者に負ける訳だが。しかし「正義は勝つ」時、正しい前者に後者は負ける、訳だ。その先が正しいか否か?は解らない、ともかく或いは、その多は、小さすぎる個に支配、されてしまう、それが「正義は勝つ」その結末ではあり。


結果が出てない事は、確かに人間には断言できないのだ、そんなバカな話を始める奴が居るとは思えないから、そんな事例など存在しないだろう。せっかく作った、自分の心血を注いだ、自分の思いの全てを投入した、そんな最高のゲームソフトが売れない?!「それはおかしい」誰かが私を妨害しているのだ、それ以外に考えられない。

この時、意外とこの人物は…自分以外のその他70億に対して喧嘩を売っていく訳だが。ともかくその時、その人物が勝つか否かは、その人物が抱く理解には寄る。正義か悪か。「王の権威」それであれば、或いは…勝つのかもしれない。

郵便物処理法違反と言う法律は、ちゃんと機能しているのか?「お前の言う事は当てに成らない」時、そこに実は、根拠があるのだろうか。



不満を呪いへ変えていく機械

2017-06-25 12:28:29 | インポート

「不満偏向砲」そう、呼んでいる技?が、ある。

前出の”不満”を、ゲームデザインにすると。或いはキャラクターを創る時に「勝てないキャラ」それがある。そのキャラを選んだら、空かない扉は絶対に開かない。要するにそのキャラだけは、そのステージをクリア出来ない訳だ…、そのキャラを引いちゃった奴が悪い。

「なんで?」

ここで発生する不満は、もちろん作者へ向かう、が。作者は”これ”を、前出の、或いは”自分が憤慨している事態へと”「向ける」訳だ。結果で、その「ゲームデザイン」の再現度が「標的」と合致している程、その構造に対して、ストレスを与える事が出来る。要するにその時「そのクソゲーは"わざと”そうデザインされ、創られてる」訳だ。ついでに動員とかで妙に「凄い面白いねー!」とか煽られていたら、その「なんで?どこが?」その不満は更に高まる。人間の創る物に完璧は無い、から。”これ”は結構恐ろしい。意識に夢魔の様なプレッシャーが押し寄せ、酷いと病の様な状態が始まり、そのうち、本当の病気になる事もあり。

…そして或いは、そのまま死ぬ事もあるのだ。


結果論?かで、「PUBG」それは、現行の市場経済、”それ”へのアンチテーゼと言うか、「一種の不満偏向砲」では、ある。「大貧民」ああいうゲームも、ぶっちゃけると真意は”そう”だろう。「これで勝てる訳ねーだろ?!」勝負はほぼ、最初に配られた手札の時点で決まっているのだ。現実がこうであってはいけない!不満は現実へ向かう。ある程度の正論性により、この辺は市民権を得ては居ても。

「面白い?」

神経衰弱程には、面白くないのではあるまいか。勝つ時のカタルシスと、負ける時の理不尽さが、だんだん嫌悪感を強くしていく訳だが。


一応、前出の「100%じゃないと開かない扉」それは、ゲームデザイン的には神経衰弱に近いだろう、プレイヤーに等価な状況を提供し、その中で優劣を競う。運も必要だが記憶力も大事。「殆どの人に否定感を与えない」ゲームデザインは、幅広い支持と運用性を持つ訳だが。しかし、嫌いな人は嫌いだ。


社会構造とかも、結局は何かの、「ゲームシステム」ではあり。システムを理解し、適応した方が利益がある…それは大事な話だが。「それを守ると全体の利益が減っていく」何故なら不平等が著しく”不満”を産むからだ、と言う時?それは、”好ましくないシステム”として、改良するべきではある、が。しかし、その「100%で開く扉」それは、或いは全体の利益を増やすシステムだったとしても。

99.99%で扉を開けられなかったA氏は、その時唯一か、そこから富を得られない訳だ。


「全体に富を齎すシステム」で有る時、”それ”は、経済を活性化しうる。だから、ここでは「善である」そう、定義はし得る、人々の為に有益。「大貧民」も、社会への理不尽に物申す!と言う視点で、相応、有益。なら、「正義」としては、このシステムを守る方が、「正義は勝つ」時、勝利に近い訳だが。その時不満を持つ人々、99.99%で開けられず腐ったA氏等は、「邪悪である」だから、それは当然である、そう言う事になるが。

”それ”を神に逆らう愚か者の末路として相応しい、そう言い切って良い物か。

特に、「九尾の狐」化した女性はこの時、理屈では説明できない信念を持つ。「自分の中には自身が正義である100%の同意がある」のだ、何故なら影響を受けた男性がそうだからだ(暴力的な男性に意外と女性が付くのも、ある意味で”これ”ではある。強制的に相手の女性を威圧し洗脳?してしまう)。その男の主観でしかないモノを絶対視する結果、女性は男性の限度を超えて100%の同意を信念に持てる(逆説的に、0%なのだが)。この時しかし、逆に女性が男性をも逆に支配していく訳で。その女性がシステムを批判し、或いは「不満偏向砲」を駆使して破壊を試み、その後に罰せられ、或いは暴力的な不幸に陥り、もしくは死刑になった時。

それは、「邪悪は滅んだ」それで、結論で良いのだろうか。

流石に「中華思想の皇帝」には、”それ”を適用したい位の何かは有るのだけど。






百点でしか開かない扉の前で

2017-06-25 10:14:34 | インポート

境目は、有る。

それが産まれつきに起因するか否かは解らない。

その場で、百%で開く扉があり、スコアは0.0001%単位で算出される。必要なのは100%だ。その時、A氏は99.99%を獲得し、扉の前に行ったが…開かなかった。

「ふざけんな!」

それで、A氏はその扉を殴り。ペナルティが発生、数日のスコア獲得を禁じられた、そしてまた最初から、だ。憤慨は危険な状態にもなった、が。

その傍らで、B氏はちまちまとスコアを集め、100%を獲得し。A氏がスコア獲得が出来ない間に、扉を開けて、外へ出ていった。

A氏は何故かこの後も、この扉を開ける事が出来なかった。ペナルティは重積し、生きている間には開かないだろう…そう言う状況へ至る。

…A氏はそこで変質し、おぞましき妖怪へと歪んでいった。


…この時、誰が悪かったのだろう?扉を設置した”誰か”か、スコアをちゃんと集めなかったA氏か。B氏には非はもちろん問いにくい、しかし。A氏がB氏へ逆恨みに近い感覚を抱いたとしても、あまり不思議は無い。


現状、前に書いた「創れるね、オーダー出すからやるかい?」それは或いは今も、実現は難しい。「現在のプロにさえ利益を出す方法が確立してないから」だ、売れない方が多い。明日をも知れない中、何でわざわざ、自分の敵になる様な連中にチャンスを与えねばならない?相手は趣味でやってられるほど余裕があるが、こっちは、生活が懸かっているのだ。

…もちろんこの時、「趣味でやってる」奴らだって、何とか境遇からの突破口を開かんとしては、居るのだが。

10年前なんか酷いも良い所だろう、ただ10年前の方が、夢はまだ残っていただけだ。自分が創った作品が評価され、ヒットし、利益が。業界全体が見ていた夢でさえある、「実現しなければおかしい」或いはそんな衝動。考えてみるとバカではある、世間一般の人々が額に汗してやりたくもない事を「お金になるから」それでやっているのに、自分のやりたい衝動だけを、或いは単なるパクリか盗作に過ぎないモノを、彼らはお金に替えようとしていた訳だ。それを目指した連中が、総じて「何の成果も得られませんでした」それは、当たり前と言えば当たり前の因果で。「創作が求められているのは間違いない」のだが、需要を、当時も作家は意識し難い状況はあった。殆どの作家志願者が、前出のA氏状態だったろう。階層があり、目的に対して軍の様な構造が自然に発生し、挑み続ける中で、呟きが漏れる。

「利益が出ません」

何となく、創っていても「解る」部分はある。独裁創作、一人で何もかも!が需要として無い?のも実感はある、単に「反論は抑え込めた」”だけ”だ、或いは無視出来る程我が強いだけ。「ディレクターレベルが高い」それは、要するにそう言う意味ではあり、気づくと言えば気づくのに、気づかないで更に注ぎ込み、自身への傷口を広げるのは何故か?その辺、性格の問題ではあって、最初の99.99%で開かなかった扉に蹴りを入れる”性格”では、その先も否定はされるだろう。状況を理解し我慢し、100点を取る為に研究し地道に労苦を投入する、まあ、確かに求められているのはそう言う人材ではある、が。

「要するに忠実な兵隊が欲しい訳だ」

その感想は、至極当然の感想ではある。

働かないと、お金は稼げないのだ、ともかく自由も、水も電気も、そして安全と健康さえ”タダ”じゃない。お金を稼げないと、生活は維持出来ないその為には、その扉は是が非でも開けねばならない状況はある、が。開けられる奴にはさして苦労は無くても、空かない奴には永遠に開かない訳だ。それは不平等だろうか、性格、それは考慮すべき要素なのか、そこにある混沌は、何だか根深くある。

そう言う人々を集めても、彼ら?は仕事が出来る訳じゃないのだ。