あげちうのブロマガ

コミケが養豚場に見える日

「直す必要があれば直しなさい」というのが、神の言い分である。

対して人間は、欠陥を認めず自爆する事が多々あるだけで。


「同人」その環境に対して、認識の変化と言うか、それは求めたい、という主張には正論性がある。
ただ、同時にその場の現実、実感としての”それ”もまた、重い同意の帰結ではあり。

運営側が後者である、としても。それに対して改善、というその是非ではある。


ニコニコ動画に最初感じたそれは、結局は「創作者の廃棄場」ではあって。プロとしての場を失った人か、その環境に入れない人々が、渡された穴の開いた柄杓で水を汲み続ける…そう言う場。そこに居る人々に、その先は無い、”ここ”が終端である。この場から再起、そう言うのは無い。ただ、自身をすり減らし、諦めて貰う、その為の環境でしかない訳だ。

これは、正直コミケ、それに対してもほぼそのまま適用されてしまう、のが現状ではあるまいか。正直言えば、「甘やかした」と言うそんな絵かもしれない。可哀想、のその先にある、もっと面倒な事態の現実、というか。そこに居る人々は、「遊んでいるだけでお金は得られる」そんな、理解と言うか、意識のまま、既に戻れない場所まで来てしまった、可能性も?

そんな彼らを見ていたら、管理側も自身が「同じ」と言う感覚を忘れて、養豚場の飼育者として出荷時期を検討してる、そんな様に成っても…無理もないのかも、しれない。管理側は、実際は…かなり感覚が歪んでいるのではあるまいか。それはそれで、もう戻れない過失を累積している後、かもしれない。


という理解なら、改善すべきだ、その同人の人々にも「仕事」を要求するべきだ、が。

「出来ると思うのか?」

そう、それは歴史ある実感として、返答は有る様な。

先にも書いたが、「自分らは遊んでるだけでお金に成る」そんな理解に成ってる人々が相応居る、時。それはもう戻れない位に(一般の視点では)ダメになってる可能性は結構、ある訳だ。「作家性」と言えば聞こえも良いが、実際には手に負えない我儘さ、でしかない。”それ”はでも、最終的には「売春」その肯定の先で、暴力を伴い具現化もしている訳だ、その中の一部を切り捨てれば、それは維持し得るし、その環境には次々と人がやってくるのだ、屠殺すべき候補は、幾らでもいる。

そこに居るのは今、人間なのか…或いは。

最近不意に、「アダルトビデオでの性行為描写は禁止」的な話が持ち上がり、そしてAV業界もほぼ全ての撮影が中止になった、という話。事実か否か、すると暫くAVの新作は出ない、という事には成る訳だ。そして、そこに出演予定の女優らはその時、失職する、という事にも成る訳だが。その先は?

要するに”そう言う事”が、同人に対しても起きうる、訳だ。その是非ではある。”彼ら”に、「職場」仕事、それを割り振る事は出来る(自分の理解か想定するシステムなら、だ)が、彼らがそれを選択しないのなら、それはそのまま失職と困窮を意味する。「出来ない」と言うそれも現実だろう、先にも出た通り、飼い慣らされた豚では、野生で生き残る可能性はほぼ無い。そうなってしまっている?人々は、正論の先で飢えて死ぬ事になる、それは切り捨てか?それとも。

管理する、”上”の存在の意識如何だろうか、それとも?

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