誤解を恐れずあえて言うなら。
本来は、もっと天皇陛下の意向、その辺を重視すべきだったのだ。
色々な事情があり、平成の間、それは殆ど叶わなかった。
良くも悪くも今、”ここ”は天皇家に対して尊意、がかなり、ある。
「昭和天皇は王の権威だったから」だ、どんな形であれ平成天皇は、その後継者であり、国民の信頼も厚かった。
現在でも、”雅”市場で言う「国家の市場管理者」そのポジションとして、日本は天皇陛下、”それ”をそこに置いている、筈である。
その意向こそが、その国で「売れる創作」売れる物、それへの道標と成り得る訳だが。
しかし実際、アメリカにとっては、それは悪夢の再来でしかない。
昭和の間中、悪化し続けた経済は、日本からの侵略により発生したのだ。
推察するに昭和天皇の意向、それは当時、「我慢し難い位に重かった」訳だが。
平成は、それがやっと消えた、のだ。
反動は、良くない形では現れてしまったが、とはいえ、道理は有って。
良い結果か悪い結果か、人間は良くも悪くも、お金だけで動く存在じゃ無かった訳で。
その辺は、今後の意識としては重大な案件ではあるのだけど。
過ぎた古を思い返しても、状況が改善する訳ではない。
ともかく平成の30年それは、昭和の膿の対価として適当だったか?だ。
令和にまで、引き継ぎたくない、そこはリセットして、その先へ行きたいしかし。
妙な、ガンダムのイメージが出てる。インダストリアルな自転車、そんな印象の。
それは”ここ”の理解では、「ガンダムの更新」それを指向する様なイメージだ。
古くからの定着、それを無視し、或いは自身らの希望する”それ”への、変更。
ただそこには、何かのネタ切れ感、それもちょっと感じる。
何というか、色々諦めていない、そう言う、それはそんな。
何というか、それは、正義か否か。
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