不意の、想定。
これをオーダーとその返答、と言う認識でも良い。
とある少年の、海外留学?を手助けする、と言うゲームを考える。
内容は或いはRPG的な、モンスターハントでの賞金稼ぎ、と言うニュアンス。
貴方はお金持ちだ、偶然知り合った少年の海外留学を実現する為には、多額の資金が必要。
レベルの差は有っても、良くも悪くも、程度のお金を貴方は、消費し続けねばならない。
ゲームクリアは、少年が卒業するまで、だ。今日も、その為の危険な日常?が始まる。
もちろん?結論は、”貴方が”課金し続ければ良いだけだ。
という時、ゲームとして、いわゆる「パンツをはいている女性像」のイメージをすると、課金を辞める事が許されなく、なる…「お金が無くても」だ。
面白いか?と言うと、問題が出る。しかし「パンツをはいてない女性像」イメージをすると?途中で辞めても、夢オチでしかない。
「エロックスガンダム」
「自分には無理だ」それは、そこで解る、それはその、”一つの結果としての”価値。
「その少年には、それだけの投資をする価値があるのか?」
物語としては、その少年はその後、故郷に戻り、高名な政治家などになり?その地域を発展させる礎となる…訳だが。そのゲーム展開は、ある意味での無限ループだ。変化しない、平坦な困難の繰り返し。その行為の果てに、そう言う結果がある、必要なのはお金であり、それは事実として、働かねばならない。
ともかくまずは、ゲームしてる場合じゃない。
人と、
それは良い話だ。自分はその手伝いをした訳だ、良い事をした。
という人が、一応ここで、ゲームがパンツをはいてない場合、共存?し得る。
パンツをはかせてしまうと、前者を非国民的な扱いと共に、排除してしまう訳で。
この時、このゲームは奇妙な執着を残しつつ、微妙に発展?しない。
ゲームと言うのは、そう言う物だ、と言う理解は、今の所は表立ってある物では無い。
この辺の話は「意味あるんですか?」楽しければ良いでしょう?その混沌で沈黙の中にある。
良くも悪くもその隙間での騒乱が平成の時代、ではあって、一応、決着に近くなったが。
ゲームへ、創作へ課金する結果、そこに職場が発生し?余剰人員を養う事が出来る。
それは社会全体を経済的に、そして倫理的にも発展させ、健全化を促す。
「と言う結果を齎す創作が良い創作」ではあり、創作者はそれを目指さねばならない。
「売れた創作」或いはゲームとは、その時、その良い結果を齎した、作品の事だ。
その結果?課金した人には課金した以上のお金が返っていく、筈である。
「返ってきてます?」
探してます(;_;)。
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