ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

弱い信仰を、つまずかせないで、建て上げる

2020-01-27 13:27:08 | 礼拝説教
以前、妹が通っていた教会の牧師から「あなたの信仰が弱い」と言われて納得が行かなかったことを思い出した。私は受洗したばかりの頃のこと。妹、教会の姿勢がちゃんとしていない!と、高慢にも非難したのでしょう。
神学校の先生でもあるご高齢の先生は、未熟な私と、求道者であった妹の両方がつまづかないようにと、深く配慮をしておっしゃられたのだと20年たってわかって、今になって感謝した。

15年程前、お産の手伝いのために娘の所に滞在して、2カ月間、礼拝や祈祷会に出席させていただいていた教会のご高齢の牧師夫人の言われた言葉も思い出した。
偶像礼拝はいけないと杓子定規に話す私に、ナアマンの話を例に出して、不本意でも形だけ偶像を礼拝することも許されているというような話をされたのだった。

今回、第Ⅱ列王記5章を読んでみた。生まれたばかりの異邦人マアマンの信仰が、偶像礼拝に満ちた自国に帰った後も、何とか信仰が建て上げられていくようにとの願いを込めて、「安心して行きなさい」と祝福して送り出したのだろう。

その後の彼のことは聖書に書かれていないが、神がいつもともにいて、偶像の神殿で身をかがめなくてもよい方向に、時間をかけて守り導いてくださったのではないかと思う。
しかし、ナアマンは、ユダヤ人がしているとおりに、石を用いないで、土で祭壇を造るために、(出エジプト20章24節)二頭の驢馬に土を載せて運んだ帰ったが、祭司もいない異邦人の国で信仰を持ち続けることは困難なことだっただろう。


戦争をくぐってご苦労されながらも、宣教を続けてこられた日本の信仰の先輩たちを尊敬するとともに、この弱かった私をも守り導いてくださった主を、人々にお伝える働きに用いられることを願います。

(第Ⅰコリント8:7-13の主日メッセージへの応答)


20:25 あなたが石の祭壇をわたしのために造るなら、切り石でそれを築いてはならない。あなたが石に、のみを当てるなら、それを汚すことになる。


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