主日メッセージの直後に、牧師が倒れた。
心臓の血管が詰まって、もしかしたらその夜に召されるかも知れないという
うろたえた。心配した。
前にも同じような事があり、ステントを入れて生還したので、今回もそうであって欲しいと願い祈った
幸いにも奇蹟的に助かって退院できて安心した。今年の春のことだった。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです
第一テサロニケ5:16-18
喜べることを喜ぶことはいつでもできるが
「いつも」「すべての事について」喜び感謝することは、簡単にはできないことがある
しかし、喜んでいることも、感謝することも、神からの命令であると、クリスチャンは受け止めなくてはならない。
もし、私の教会の牧師が、また心臓が悪くなって、今度は急逝することになっても、泣き崩れて取り乱すことのないように
この年末に、このみことばに従えるように、祈って、備えることにする
「いつも喜んでいなさい。」と 「すべての事について感謝しなさい」の間に、「絶えず祈りなさい。」があるから。
牧師にも、私達教会員も、死後は寝て目が覚めたら再臨の時。復活のからだが与えられて、天でキリストにお会いできる
これまで、彼のまわりに雲のように取り囲んで応援してくださっていた彼の信仰の先輩方にもお会いできる
書斎の中で、著書を通して霊的に教えられていた先生方と、天国でお会いできる(ロイドジョンズ・マシューヘンリ・・・等々
牧師にも、私達にも、神はいつもともにいて、いつまでも、どこまでも、導いてくださっている
牧師は40年の間、神の臨在の元、多くの人々を救いに招き入れて、弟子づくりをして来た。天国での報いはどれほどのものか
牧師の亡きあと、教会員は失望する必要はない。問題・困難も神からの訓練だと受け止めれば、成長する時となる
それまで牧師から与えられた教材などを、さらに深め、また拡大させて、次世代に継承していく課題が与えられる
教会はキリストのからだなので、牧師を失っても、それぞれの賜物が有機的に働いて、健全に成長していくことだろう
数年前に夫が召された時は、準備期間も十分にあったので、悲しい思いよりも、無事に天国に見送れたという喜びが大きかったことを思い出した
「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」と聖句にあるように、私たちは、神さまの時に召されるのでしょうね(^^)
日々、神さまに信頼して感謝して召しと使命をまっとうできたらいいですね。
神さまの祝福と守りを、祈っています。
私は部屋の掃除が苦手で、汚いまま寝てしまう日が多いです。
もし明日の朝、目覚めることがなかったら、その次に目覚めたら、輝く天の御国かな~~と、思います。
今日は大晦日。感謝しながら、お掃除をします(キッパリ)