福音を恥とすることは、さばきにつながる
Mar8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
Luk9:26 もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。
Rom6:21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
福音を恥として、あかしするべき時に知らないというなら、さばきにつながる
マタ 10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。
私の親戚にはお寺に関係している人が多い。私の父のお姉さんは3人も寺にお嫁入した。檀家代表をしている人もいる。
信仰を始めた当初は、キリスト信仰について話すと、鼻で笑われるような体験をしたものでした。
しかし、年数がたち、夫も救われ、親族との義理の関係より、教会との愛のある関係が目に見えるようにはっきりして来てからは、だれも表立って言って来ることはなくなりました。
パウロのローマでの宣教は、容易ではないと想像されます。ローマはギリシャ文化の中心で、ギリシャ語を使わない人は未開人と言うような文化があった。田舎のガリラヤの僻地から発生したキリストの福音は、ローマ人には愚かなものに見えたことでしょう。
実際に、アテネでは、
使17:32 死者の復活のことを聞くと、ある人たちはあざ笑ったが、ほかの人たちは「そのことについては、もう一度聞くことにしよう」と言った。
コリントでは、
Ⅰコリ2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
しかし、パウロは恥とすることはなく、むしろ誇りと思っているのです。
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