ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

ルカ24章13-27節の説教から

2020-02-10 07:16:35 | 礼拝説教
1---学んだこと
ああ、確かに、私は愚かな者。心の鈍い者だ。自己中心なために目がさえぎられている。神様に叱られないようにもっと聖書を読まねばならないと、暗い顔つきになる。そんな必要はない。私は、ここで、イエス様の優しさを、確認しました。

・イエス様は名前もないような小さな弟子に近寄って、寄り添ってくださった。
・結構な時間、混乱している話を聞いてくださった。カウンセラーのように。
・ああと言いながらも、幼い子供に接するように、わかるべきポイントを示してくださった。
・聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを説き明かされた。

2---考えが変えられたこと
私もこのイエス様の説き明かしを聞きたかった。彼らがうらやましいと思いましたが、思い直しました。実は、私達は彼らよりもよっと恵まれたところにいると気づいたからです。

・今や、イエス様は聖霊となって私達の内に住んでいてくださいます。復活のイエス様は消えてしまう方ではありません。
・聖霊は傍らから語りかけて、モーセとすべての預言書を成就されたイエス様のことばを指し示してくださいます。
・教会での毎週の説教の中で、みことばは説き明かされています。デボーションの時にも、一人一人にポイントを教えて、霊的に目が開かれるようにしてくださっています。
・元々罪人であり、愚かで鈍い者であった私達を訓練して、間に合う者へと変え続けてくださっています。

3---まとめ
「見よ」と、偉い弟子達にではなく、名前もないような二人の弟子にイエス様は近づいてくださいました。私達も、二人、三人と集まって、みことばについて論じあったり分かち合って、聖霊の満たしと導きを得ることができるように願います。
時間がかかるかも知れませんが、イエス様は、それぞれの信仰と求めに応じて、私達の霊的な目を、耳を開いてくださることでしょう。分かち合いを大切にして、喜び感謝して、さらに応答を積み重ねていこう。

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