荒野を旅するイスラエルの民は、雲が幕屋の上にとどまっているなら、天幕から離れて上るのを見るまで宿営していた。
宿営することを続けるのか、旅立つべき時が来たのか、雲の動きを主の命令として受け止めていた。
旅立つ命令は、「雲が上ったときだけ旅立った」と、「上がる」という言葉を用いている。
宿営を続ける命令は、「幕屋をおおった」「雲が幕屋の上にとどまっている間、彼らは宿営していた」と、「おおう」「とどまる」 という言葉を多く用いていて
全体的には、旅立つことよりも、宿営する、とどまることを強調しているように感じた。
おおう、とどまる という言葉から、連想するのは
- イエスの降誕について御使いが「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。」と言ったこと
- イエス・キリストのバプテスマを受けた時に、聖霊が下ってイエスの上にとどまったこと。その時に 雲の中から、「これはわたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい。」と言う声がしたこと。
- 山上の変容の時も、雲が人々をおおった。すると雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしの選んだ者である。彼の言うことを聞きなさい」と言う声がしたこと。
- ペンテコステの時、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまったこと。
★デボーション、通読、聖書研究、その他、霊的なことに集中していると、時々時間を忘れていて、約束の時間が迫って来ていることがあります。
★あるいは、これは神様からメッセージだと、思っていた以上に早く答えが与えられる場合もあります。
★面白いテレビやユーチューブを見ていて、時間を忘れることもあります。
この世の時ではなくて、神の時に従って、永遠につながる時を大切にしたい。
行動を始める前には祈って、動き始めるべき時であることの確信を得てから動けるように、時間の管理に気をつけようと思う