ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

息子に謝ることができた

2021-03-27 22:54:44 | マタイの福音書

先日、一年半ぶりに息子から連絡があり、お寿司屋さんで4時間余り、一緒に過ごした。

私と彼との関係は、私が信仰を持つ前から、信仰を持ってからはさらに、良くありませんでした。私が自己中心の罪の中で子育てをして来て、しかも彼が中高生の頃から、夫の単身赴任先に行ったり、両親の世話に行って、よく長期で家をあけていたのです。子供達の面倒をみないし、しつけらしいこともしていなかった。一緒に生活した期間は短かった。

 

ずっと離れて暮らしていて、息子は、私の信仰生活は全く理解できずに、反発をしていました。

しかし、今回、彼の話を聞く中で、彼が両親がいなくて困った時の事件について話してくれました。私は初めて聞いた話にびっくりしたが、すぐに「それは、どうもすみませんでした」と謝ることができました。以前から、息子に謝る機会を与えてくださいと祈っていたので、即座に頭を下げることができました。

 

それに対して息子は、デメリットもあったが、メリットもあったと、大人対応をしてくれた。

まだ、色々問題もあるが、神様に感謝します。彼に謝る言葉を伝えることができたのは神様のあわれみによることでした。

マタ 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。

息子は三人の子供と離れて単身赴任をしています。お酒もたばこもやっています。気がかりではありますが、私は教会で与えられている奉仕に励みます。

息子の長女が中学生になりました。離れていてほとんど会いませんが、いつか、福音を伝えることができる時が与えられることを祈ります。神様はときに時間がかかりますが、祈りに答えてくださいますから、期待します。

 

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マタイさんから教えられたこと

2021-03-27 12:23:45 | マタイの福音書

マタイの福音書を学ぶ前に、マタイについて考えました

マタイ9:9イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

  • イエスの通りすがり中であった。マタイは、ワンチャンスを生かし、座っていたが立ち上がった。→私達も、それぞれ招きがあった時に、すぐに答えて動き始めて救われた。それは、奇蹟のような恵みの時でした。

 

  • マタイの献身度は漁師より高かった。取税所への職場復帰はできない。仲間・友人はいない。→神に従うために持っていたものを優先順位を神の後に置き直した経験には報いがある。例えば、就職活動より教会キャンプを優先して、帰宅したら就職がすぐ決まった

 

  • イエスのことばを細かく記録した。旧約聖書からたくさん引用して預言の成就がイエスによってなされたことを証言した。→救われる前からあった賜物・能力は生かされる。経験は無駄にはならない。

 

  • 山上の垂訓も、イエスの話された言葉どおりに速記して記録し、30年程管理をしていた。マタイの福音書は起こった順番どおり書くよりも、テーマごとに整理してまとめている。マタイの召命は山上の垂訓の後の8章~10章の奇蹟が集中して書かれている中で記録されている。山上の垂訓の現場でマタイは聞いていた。→教会では、牧師がこれまでの学びの蓄積の上でテーマ説教をする。アーカイブでは、テーマごとにまとめられ保管している。私達もメッセージや学びのノートやテキストを、長期的視野をもって整理や管理をしていくと、弟子づくりに用いられることだろう。何でも断捨離するのは良くない。

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