ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

立ちなさい。目覚めなさい。復活の力で立ち上がれ。

2020-09-02 10:57:33 | 喜び
ヨハネ14章はゲッセマネの祈りに代わるものだと、牧師が語られた。
よくわからなかった。でも2回は「ゲッセマネ」という言葉を聞いたので、気になっていた。

思い当たるのは、ゲッセマネでイエスが深くおそれもだえて祈っている間、弟子たちは眠ってしまった。こんな時にどうして、寝るな、目をさましていなさいと何度も言われても寝てしまうのか?・・・

夜、ベットに入ってからも気になったので、起き上がって聖書を開いてみた。

イエスは3度目にペテロ、ヤコブ、ヨハネたちのところに来て、
立ちなさい、さあ、行くのです」マタイ26:46)
立ちなさい。さあ、行くのです。」と言われた。(マルコ4:42)
「起きて、祈っていなさい」と言われた(ルカ22:46)

マタイ、マルコ、ルカが書いたゲッセマネの祈りをヨハネは書いていないが、三度、眠っている弟子に、立て、起きろと語りかけたことは、ヨハネ14章で真理がわからないまま質問をした弟子が、トマス、ピリポ、-イスカリオテでないユダの3人であることに通じる。

このことから、ヨハネ14章での、何度言っても、よくわかっていない、霊的に眠っているような弟子たちに辛抱強く教えさとし、教えているイエス様の悲しみ、苦しみ、弟子たちに対する愛、忍耐つよさを感じ取った。

イエス様は、最後まで父なる神に従って、贖いのみわざを成し遂げて、よみがえらされました。復活なさいました。この同じことばで、「よみがえれ」「復活しろ」「立ちなさい」と言われる。弟子たちには、私たちには、イエスの模範がある

ゲッセマネの祈りでは、本来私たち罪人がおそれ苦しむべき恐れ苦しんで祈り終わって立ち上がった。その立ち上がったという同じ言葉を用いて、眠っている弟子たちに、「立ち上がって、祈り続けよ」と言われた。模範を示された。

私たちクリスチャンは、キリストが復活されたことを大前提に、霊的に目覚めさせていただいて、この世の誘惑に引き込まれることなく、聖霊の助けを求めて、苦しみが取り去られるように祈るではなく、苦しみの中でももっと祈れるように力を与えて下さいと、祈り求めよう。

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臆病者は救われない。コロナも恐れない信仰を

2020-09-02 07:07:20 | 礼拝説教
友人から質問があった。主日礼拝でヨハネ14:27で語られた「恐れる」とか「臆病者」という言葉はギリシャ語では何というのかと。私がJばいぶるでギリシャ語を検索することができることを知っている友人からですから、早速調べたら、説教の中で語られたことがクリアーになりました。


ヨハネ14章27節は「心を騒がすな」「恐れるな」という命令で始まっている。
「心を騒がすな」は14章1節にも命じられている。現在形・受動態です。

コロナに感染した人、コロナに関する情報に、心が騒がされることがあっても、それをずっと続けて心騒がし続けてはいけないことを、今日みことば(原語から)検索して、はっきり教えられた。


「恐れるな」は、おびえ続けるな、びびり続けるな、命令形です。能動態・現在形です。
どのように能動的におびえないでいられるようになれるのだろうか。
二カ所の聖句から示されました

①この世の気休めのような励ましの言葉ではなく、イエス・キリストによって与えられている主にある平安に目を定めることです。
ヨハネ14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

②神が与えてくださった、霊的なもの
神の力、
神の愛、
神からの慎み(健全な思慮分別・時制・自己訓練)を、
これらを、すでに持っていることを考えよう。
Ⅱテモテ1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


知っているだろうか。そのようなことを怠って、流されるまま、恐れひびっている者が最後にどうなるのか。
臆病者と呼ばれて、信仰のない者と同じく永遠の滅びに入れらることになります。
黙示録21:8 しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」


聖霊は、恵みにより、恐れびびるクリスチャンに、まえもって、既にみことばを与えてくたさっていました。それが起こったとき、悔い改めて主を信じるためでした。

①クリスチャンは、恐れこわがりビビッている状態をイエス様から注意を受けたら、たとい薄くても信仰はあるのだから大丈夫だろうと思っていてはいけない。謙遜になって、すぐに悔い改めて、主に立ち返らなくてはならない
マタイ8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

②恐れビビっている状態を、イエス様は信仰を持っていない状態であると言われる。すでに与えられて、自らの手の中に持っているものを、識別していなくてはならない。イエス様に信仰がない、信仰を持っていないと警告されるクリスチャンでいてはならない。
マタイ4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
マタイ 13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。

すでに神の愛とあわれみによって、与えられ、持っている者を忘れないで、主にある平安のうちに、謙遜に、しかし大胆に、恐れることなく、今日も生きていきます。



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