ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

久しぶりのブログ投稿

2023-12-26 11:29:52 | 日ごとの生活

今年の4月からは、ブログの代わりにラインで、教会の友人4人に限って、メッセージへの応答などの分かち合いを始めています。

 

3人の方は既読がついているのですが、レスポンスの投稿はありません。でも日常のちょっとした会話の中に、読んでいただいていることがわかるので嬉しいです。

 

しかし、1人の方とは、時々ラインで連絡を取り合っています。この方は、4月の初頭に、ラインで分かち合いをはじめた方です。日々のデボーションガイドに従って、多少遅れても遡って、忠実に毎日続けておられます。


注解書を調べたりもして、しっかりしたものを書いておられるので、教会員の副牧師もその他の多くの人たちも読んでいます。
教会学校の高校生向けに書き始めたようですが、学生にはあまり読まれていないようです。少しボリュームがあるので読みにくいのかも知れません。

 

私は彼に刺激を受けて、4月から始めたのですが、内容は主日メッセージ、祈祷会でのメッセージ、弟子訓練の課題、自分のテーマ(へブル書)、日常生活のことなど、バラバラな内容になっています。確実に読んでくださっている兄姉がおられることは、ブログとは違う喜びがありました。

 

今後は、ブログを通しても、色んな方々と霊的な交わりができることに期待して、投稿して行こうと思っています。バリバリの福音的な教会員ですので、一般の人たちには、全然面白い内容ではないと思いますが。

 さねかずらの実

 

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悪事においては

2023-07-24 09:20:21 | 日ごとの生活

Ⅰコリント14:20 兄弟たち。物の考え方において子もであってはなりません。悪事においては幼子でありなさい。しかし考え方においてはおとなになりなさい。

 

Ⅰ-「悪事においては幼子でありなさい」の例。ヨチヨチ歩きの頃の初孫の話。

娘宅を訪問してした時、何かがあって「ストップ!」と私が声をかけたところ、彼はとても驚いた様子で、ビクッとなって身体が硬直したように動かなくなった。

娘には、そんな大きな声を出さないでと、静かに戒められた。

 

Ⅱ-「物の考え方において子どもであってはなりません」の例。

叔母から何回か聞いた、私がまだ子供だった頃の話。

朝叔母が起きて行ったら、縁側で一人、クルリと背中を見せて、庭から採った夏みかんをむいていた。酸っぱくて顔をしかめながら・・・

 

Ⅲ--子供であっても、少し大きくなると、悪い事は自覚できる。精一杯の知恵を使って隠そうとしたり、ごまかそうとするものです。

人間には、神によって、良心 συνείδησις も備えられているからです。(συν--είδησις 一緒--見る)

私達クリスチャンは、聖書のみことばに敏感になり、深いところから応答して、砕かれ続け、整えられ続けて、成長・成熟して行かなくてはなりません。

 

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私のお葬式について

2023-07-23 08:36:00 | 日ごとの生活

以前住んでいた、総数600戸程のマンションにはお葬式ができる集会所があった。私は人と付き合うのが下手で、友達という人はいなかった。もし自分がここで死んだら、義理で来る親戚の人以外には、誰も列席する人のいないお葬式になので、夫や子供には、お母さんは寂しい人だったのだなと思われることになると、気にしていました。

 

今日の午後に、牧師に聞く「良い人間関係」の築き方があります。25年前に、イエス・キリストのよるただ一度のきよめを信じたことによって、今や、私の人間関係についての考え方がすっかり変えられていることに気づきました。

 

もし、ここで死んだら、お葬式には親戚の人は来ないだろうが、もはや気にならない。教会の兄弟姉妹に見送られたら嬉しい。しかし、たとい、災害やその他の非常事態で、葬式という儀式ができなかったとしても、天国に入れられる信仰の確信を持って召されたのなら、私にとっては大きな問題ではありません。神の国とその義を大切に、悔い改め、きよめられ続ける生涯で終れたら、それは最高です。

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新改訳聖書に出て来る雨

2023-05-27 16:07:18 | 日ごとの生活

マタ 5:45 それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

 

マタ 7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

 

マタ 7:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

 

ルカ 12:54 群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ』と言い、事実そのとおりになります。

 

使 14:17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

 

使 28:2 島の人々は私たちに非常に親切にしてくれた。おりから雨が降りだして寒かったので、彼らは火をたいて私たちみなをもてなしてくれた。

 

ヘブル 6:7 土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

 

ヤコブ 5:7 こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。

 

ヤコブ 5:17 エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

 

ヤコブ 5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

 

黙 11:6 この人たちは、預言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っており、また、水を血に変え、そのうえ、思うままに、何度でも、あらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。

 

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マルコ4章21--25節

2023-05-26 22:17:01 | 旧約聖書

A Lamp on a Stand

21 He said to them, “Do you bring in a lamp to put it under a bowl or a bed? Instead, don’t you put it on its stand? 
22 For whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open. 
23 If anyone has ears to hear, let them hear.”

4:21 また言われた。「あかりを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。
 4:22 隠れているのは、必ず現れるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。
 4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」

 

24 “Consider carefully what you hear,” he continued. “With the measure you use, it will be measured to you—and even more. 
25 Whoever has will be given more; whoever does not have, even what they have will be taken from them.”

 4:24 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。
 4:25 持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」

 

 

 

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