女流立葵杯の街から

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羽根泰正

2023年01月01日 | プロの囲碁修業

羽根泰正(東京新聞)


 【アドレス】
https://www.tokyo-np.co.jp/article/3264

 【本文】


囲碁好き育てる妙手 史上初、親子3代で現役プロに 羽根泰正さん(棋士)

2019年10月19日
  
 囲碁界に『中京のダイヤモンド』と呼ばれる棋士がいる。日本棋院史上初めて親子三代の現役棋士が輩出した羽根家の祖、羽根泰正(やすまさ)さん(75)=愛知県長久手市=だ。
 
 孫の彩夏(あやか)さん(17)が四月にプロ入り。『平成四天王』の一人に数えられる次男の直樹さん(43)は8月、7大タイトルの碁聖に返り咲いた。
 慶事が続く中、家族として、ベテラン棋士としての思いは?
 
【羽根泰正】
「直樹が家を建ててから、近くに引っ越してきたんですよ」
 
 泰正さんが夫婦で暮らすのは、閑静なベッドタウンにある洋風のしゃれた家。
 ただ、玄関のすぐ隣にある和室が、独特の存在感を放っていた。分厚い脚付きの碁盤や棋譜を置く台が並ぶ空間は、本人が今も現役の勝負師である証しだ。
 
 三重県志摩市の農家で、7人きょうだいの四男として生まれた。
 父親が大の囲碁好きで、雨の日は近所の碁打ちが集まり、熱心に盤を挟んでいた。そんな場に駄菓子目当てで顔を出すうちに、自然とルールを覚えたという。
 やがて地元の大会で入賞するようになり、小学五年で同県出身の島村俊広九段に入門。内弟子として名古屋で囲碁漬けの日々を送り、中学2年でプロ入りを果たした。
 
 7大タイトルの一つ、王座獲得など多くの実績がある。
 とりわけ語り草なのが、1988年にあった「第4回日中スーパー囲碁」での奮闘だ。日本と中国がそれぞれ十人近くのチームを組む対抗戦。勝った棋士がそのまま次の相手と当たるユニークな棋戦だった。
 
 それまでは日本の実力が突出していたが、中国に『鉄のゴールキーパー』と呼ばれる強豪の聶衛平(じょうえいへい)さんが現れ、様相が一変。聶さんは第一回から怒濤(どとう)の11人抜きでチームを3連覇に導き、中国に空前の囲碁ブームを巻き起こした。
 その快進撃を止めたのが、泰正さんだった。
 2人が対局したのは中国・広州市。泰正さんが空港に着くと、ホテルまでパトカーで先導された。現地解説会には6000人もの観客が集まった。そんなアウェーの空気の中、泰正さんは見事な逆転勝利を収め、日本に初の栄冠をもたらした。
 当時の聶さんは、中国で石原裕次郎と美空ひばりを合わせたくらいの人気者。泰正さんは現地でさぞ嫌われたかと思えばそうでなく、英雄を破った名棋士として尊敬された。
 
【羽根泰正】
「10回以上中国に行ったけれど、嫌な思いをしたことは一度もない。囲碁とはそういうもの。
 最近は日本と韓国の関係が悪いが、囲碁界の長年のつながりを政治に生かして、関係改善につなげてほしい」
 
 と願いを込める。
 今や棋界の長老格だが、実はコンピューターを使った研究の先駆けでもある。
 30代の頃、普及活動で1ヶ月ほど米国に滞在。現地で詰め碁を解くソフトを見せてもらい、感銘を受けた。
 帰国後、プログラミングに詳しい知人と囲碁のデータベースソフトを開発。アルバイトを雇いながら7000局分の棋譜を打ち込み、戦法ごとの勝率などを割り出した。
 インターネットがなく、地方の棋士は情報量で不利な時代。
 
【羽根泰正】
「東京の棋士に負けまいと、誰もやってないことをやろうと思って」
 
 と振り返る。
 それから数十年。近年は人工知能(AI)の手をプロ棋士がまねるようになった。そんな風潮には懐疑的だ。
 
【羽根泰正】
「コンピューターに頼りすぎると、自分の考えがなくなってしまう」
 
 と警鐘を鳴らす。
 7大タイトルを初めて手にしたのは、直樹さんがプロ入りする直前だった。
 
【羽根泰正】
「今回はアヤちゃん(彩夏さん)がプロ入りした直後に直樹がタイトルを取った。親は子を励みにするんですよ」
 
 と目を細める。
 子どもは概して親の思い通りにならない。それでも羽根家の子や孫は、皆囲碁好きに育った。
 
【羽根泰正】
「本当は厳しく指導したいけど、ぐっと我慢した。
 囲碁が嫌いにならないように」
 
 と泰正さん。自然な環境を用意し、ソフトに導くのがコツらしい。
 
「ほかに秘策はありますか?」
 
 そう問うと、笑顔でこんな答えをくれた。
 
【羽根泰正】
「私はまず妻に囲碁を教えました。
 子どもは母親がすることなら興味を持ってくれるから」
「普段は家にいない父親が『やれ』と言っても、子はそうそう動きませんよ」
 
(岡村淳司)
 
 
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