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岩本薫先生(関東大震災と太平洋戦争)
【出典】『本因坊薫和選集』より
【大正12/09/01】(P248)
午前11時58分、関東大震災発生。
復興資金集めの為、新潟、大阪、姫路、神戸、岡山、台湾などを訪問。
この時、(東京海上火災の社長)各務謙吉が、遠征費100円を出資。
※(P250)
「本因坊、方円社、裨聖会が一丸になって、復興に努力するならば、全面的に援助する」
と、大倉組の大倉喜七郎から約束される。
→→これを期に3団体が合流し、日本棋院が発足。
※ (P251)
『本因坊薫和選集』に、日本棋院の事業10項目が掲載。
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【昭和7/5/15】(P262)
五一五事件、発生。
囲碁界に縁が深い犬養毅首相が、陸・海軍の将校に射殺される。
日本棋院では10月23日に、芝紅葉館にて追悼碁会を開催。
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棋道報国会としての活動。
【昭和16/3】(P267)
大日本産業報国会の坂本勝、日本棋院を訪問。
「碁と将棋で棋道報国会を結成し、各地の産業戦士の慰問に出てはどうか」
と言う依頼。
同年9月、棋道報国会の結成式。
【昭和17/1】(P268)
棋道報国会、牛込若松町の陸軍病院を慰問。
【昭和18/1】(P269)
棋道報国会、北海道を慰問。
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第三期本因坊戦、挑戦手合の概要。
広島への原爆投下時、岩本薫先生は本因坊戦の挑戦手合を広島県にて。
【昭和20/7/24~26】(P274~)
第三期本因坊戦第一局。
会場は広島県広島市材木町、藤井順一宅。藤井は日本棋院広島支部長。
【昭和20/08/4~6】
第三期本因坊戦第ニ局。
会場は広島県広島市五日市吉見園の津脇勘一宅。中国石炭の寮。
【昭和20/11/10~12】
第三期本因坊戦第三局。
会場は千葉県野田市、茂木房五郎宅。
※茂木は野田醤油(現・キッコーマン)の社長。
【昭和20/11/15~17】
第三期本因坊戦第四局。
会場は千葉県野田市、茂木房五郎宅。
【昭和20/11/19~20】
第三期本因坊戦第五局。
会場は東京都目黒、橋元文治宅。
【昭和20/11/23~24】
第三期本因坊戦第六局。
会場は東京都目黒、橋元文治宅。
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