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岩本薫先生③(5回におよぶ海外訪問)
【出典】『本因坊薫和選集』より
◇第1次海外歴訪◇
【昭和34】(P296~)
4月から渡米。
シアトル、ポートランド、ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、デンバー、サンフランシスコ等を訪問。
※旅費はアメリカ囲碁協会が負担。
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◇第2次海外歴訪◇
【昭和36/6/15】
(P294)(P299)(P394)
行程はハワイ、ロサンゼルス、ニューヨーク。
ニューヨークには1年滞在。
【昭和37/5】(P302)
シカゴ、サンフランシスコ、ヒューストン等を訪問。
【昭和37/7/23】
リスボン着。マドリード、ヴェニス、ミュンヘン、ウィーン、リュブリアナ等を訪問。
【昭和37/10】(P304)
10月4日、帰国。
10月5日、朝日新聞に欧米碁会の視察を説明報告。
※資金捻出
①群馬県水上の別荘を、450万円で日興證券に売却。
②朝日新聞の支援金。
帰国した翌日(昭和37年10月5日)に、朝日新聞に欧米碁会の視察を説明報告。(P304)
③大倉喜七郎からの資金援助(P299)
→→「ホテルオークラが完成したらわ国際囲碁連盟を作る」と意思表示していたが、ホテルオークラ完成直後に死去。
④アメリカでの収入は、現地での囲碁指導など。
12月には、約1400ドルの預金(P302)
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【昭和38/2/3 】(P305)
大倉喜七郎、没。
【昭和38/12/2】(P307)
ホテル・オークラにて、大倉喜七郎の胸像除幕式が開催。
「除幕式の券の売上の剰余金が、大倉賞の主な財源に」
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◇第3次海外歴訪◇
【昭和45】(P314)
大阪府にて万国博覧会が開催。
万国博覧会の開催者(井上五郎)からの要請にて、同6月に、『囲碁の祭展』が行われた。
【昭和45/8/7】(P315)
ベルリン、ハノーバー、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘン、ザクレブ、リュブリアナ、ウィーンを訪問。
【昭和45/9/】(P)
サンパウロ、ブエノアイリス等を訪問。
【昭和45/10/21】
帰国。
※資金捻出
万国博覧会の剰余金を、囲碁の海外普及に使用。
日本棋院からの正式派遣。一人旅。
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◇第4次海外歴訪◇
※資金捻出
旅費は万国博の剰余金からの補助金。
【昭和47/7/23】(P318)
羽田より出国。
アムステルダム、エンスケデ、ロンドン、パリ、フランクフルト、マインフ、ケルン、デュッセルドルフ、ハーノバー、ベルリン、ミュンヘン、ウィーン、リュブリアナ等を訪問。
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◇第5次海外歴訪◇
【昭和50/7】(P331~)
ロサンゼルス、メキシコ、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ブラジル、ニューヨークを訪問。
※資金捻出
国際交流基金からの派遣。
各地の大学へ行って初心者に碁を教える。
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