あるスーフィー巡礼者の日記

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沖縄基地問題の深層(1) 真の戦争責任はどこにあるか 

2010年07月02日 | 歴史の深層を読み解く
【残虐行為を引き起こすもの】

今週の日曜日NHKのETV特集「よみがえる戦場の記憶~新発見 沖縄戦600本のフィルム」が放映された。
その中で、残虐な行為をして沖縄現地住民を抑圧していたのは旧日本軍だけではなく、アメリカ軍も同じであったこと(のごく一端)が明らかにされた。

戦争というものは、人を残虐な行為に駆りたてるものである。それは、日本軍だろうとアメリカ軍だろうと同じである。悪いのは、戦争とそれを引き起こす私たち自身の中の恐怖や憎しみである

【「米軍が善で日本軍が悪」という洗脳】

戦後教育を受けた現代の多くの日本人たちは、「アメリカ軍の戦闘は、あくまで日本軍に支配・抑圧されていた沖縄の人々を解放するために行われ、沖縄の現地住民に対しては残虐なことは行われていなかった」と信じている。だが、それは、アメリカ政府とその手先である日本の知識人たちによって行われて来た洗脳の結果に過ぎない。

それを綻(ほころ)ばせる番組がNHKによって放映されたということは、アメリカ政府による日本に対する一方的な支配が徐々にではあるが緩みつつあるということである。

そもそも、アメリカ軍が沖縄を侵略しなければ、アメリカ軍による現地住民の大量殺りくも、日本軍による現地住民の殺戮や集団自決も起きなかったのである。なぜ、日本軍にその全責任がありアメリカ軍には全く責任がない、アメリカ軍は沖縄の人たちを救っただけであるなどと言えるのだろうか?

【洗脳展示により洗脳が解ける】

私もまた、数年前「沖縄平和祈念館」を訪れるまでは、その考えに洗脳されていた。私は、「日本軍が悪、米軍は善」という洗脳を目的としたその祈念館の展示の矛盾によって、その洗脳から解放された。



その祈念館では、第二次世界大戦前に欧米列強がアジア・アフリカ諸国を植民地化し、搾取と抑圧の限りを尽くしていた事実が全く言及されていなかった。そして、ただひたすら日本軍が諸悪の根源であり、米軍は素晴らしい救世主だという展示だけが行われていた。私は、それを見て、どう考えてもこの展示はおかしいと思い、それが洗脳であることに気づいたのである。
(書庫「戦争と平和」の「沖縄平和記念館 戦争の真の原因は何なのか?」参照)
http://blogs.yahoo.co.jp/toruikebuchi1960/7967792.html

【沖縄の人たちのささやかな抵抗】

今、この記事を投稿する前に、沖縄平和祈念館のホームページを閲覧してその内容を今一度確認してみた。その結果、気づいたことがある。

確かに、数年前に私が見た展示では、「日本軍こそが悪、米軍は解放者」というメッセージが主調だった。良く読んでみると確かに米軍の殺戮行為についても言及してある。だが、あくまで「米軍の殺戮行為の責任は日本軍にある」という主張は変わっていない。

つまり、それは未だに米軍の占領が続く沖縄において沖縄の人たちができる精一杯の発言だということである。本当は沖縄の人たちも「米軍にこそ最大の責任がある」と言いたいのではないだろうか?だが、それを言えないのが現実なのだ。

【なぜ追い詰められた者が非難されるのか?】

なぜ、日本軍による沖縄現地住民の迫害や強制自害が起きたのか?その原因を冷静に分析してみてほしい。アメリカ軍は、日本人同士に仲間割れを起こすために様々な謀略を行った。日本軍が極悪非道な抑圧者だというデマを流し、裏切りを奨励した。寝返った者を優遇し、抵抗する者は殺した。その成果があり、現地住民にも、アメリカ軍に寝返る者が続出した。

沖縄の人も含めた日本人の命を守ろうと必死に闘っていた日本軍の兵士たちが、疑心暗鬼となり、裏切り者に神経を尖らせるようになったのは人間として極めて自然な感情ではないだろうか?それを極悪非道と断罪することができる人がいるのであろうか?

それはまさしく、アメリカ軍が沖縄に侵攻し、沖縄の人と日本兵の心を極限まで追い詰めたから起きた現象である。それがなぜ、追い詰められた者の責任とされなければならないのだろうか?

私たちは、それが日本兵だろうとアメリカ兵だろうと戦争と言う極限状況の中で身近な人々を守るために残虐行為に走ってしまった全ての人を赦さなければならない

【攻め込む側と攻め込まれる側の違い】

投降した沖縄の人をアメリカ兵が殺さなかったのは、アメリカ軍が特別慈悲深かったからではない。それは、日本が攻め込まれた側であり、アメリカ軍は攻め込む側であったという違いである。

日米戦争開始早々はアメリカ人は日本が本土に攻め込むことはないとタカをくくっていたので、アメリカ人の心にも余裕があった。だが、戦争が進んで日本軍の本土上陸が恐れられるようになると、現地住民(アメリカ国民)である日系人たちに対して様々な理不尽な迫害が行われるようになった。それは、アメリカの人たちが、戦争と言う極限状況の中で、日系人が裏切り者ではないかと言う疑心暗鬼に駆られていたからである。つまり、沖縄における日本兵と同じ立場にあったのである。



強制収容された日系人は、その財産を失い、家族と引き離され、希望を失い、そのアメリカン・ドリームを打ち砕かれたのである。

【アメリカでの日系人強制収容】

カリフォルニア州のカルバート・オルソン知事は「日系アメリカ人はアメリカの価値観や伝統になじもうとせず、受け入れようともしない」と誹謗する発言をし、さらにカリフォルニア州のアール・ウォーレン検事総長は「日系アメリカ人がまだ破壊活動を行わないのは、攻撃開始予定時間を待っているからだ」と言う支離滅裂な主張をすることで日系アメリカ人を危険視した。

ドゥウイット中将はこの頃、「現時点で日系人による破壊行為が行われていないという事実こそが、今後日系人による破壊行為が行われる兆候である」という、ウォーレン検事総長と同様の主張や、「アメリカ国籍を持っていようが持っていまいが、ジャップの(アメリカに対する)忠誠心を信用することはできない」というような人種差別的表現まで使った主張をし、軍統制や日系アメリカ人の強制収容を正当化しようとした。しかし当時のアメリカでは、この様な主張に対しての批判や反論を行うものは皆無であった。
(この節は、「Wikipedia 日系人の強制収容」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%B3%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9
より引用しました。太字ハイライトは筆者による。)

【戦争の常道】

戦争で敵地を占領した者は、自分たちに逆らわない限り理由なく現地住民を殺すようなことはしない。それは、旧日本軍でも同じだった。アメリカ軍が、自分たちに歯向かわなかった沖縄の人たちを殺さなかったのは、ただ戦争の常道を踏襲しただけである。

【現地住民の解放という欺瞞】

それは、あくまで占領であって現地住民の解放でもなんでもない。欧米諸国は、欧米列強の対日戦争の正当化の論拠として、旧日本軍による「欧米列強からの現地住民の解放」というのは高度なプロパガンダでその実質は占領に他ならないと主張するが、米軍による沖縄解放(占領)と一体どこが違うのだろうか?

【真の戦争責任の追及を】

戦争責任を追及する上で、「誰が悪いのか?」にこだわっても問題が解決することはない。「誰が悪いのか?」を追求しても、さらなる憎しみ、つまり新たなる戦争の種を育てるだけである。

私たちは「何が悪いのか?」をこそ追求する必要がある。戦争の責任は人にあるのではない。戦争の責任は、「戦争が問題を解決する」と言う愚かな考え方や恐怖・憎しみ・貪りという人を分け隔てる感情にこそあるからだ。

【沖縄の人が未だに口を紡ぐ理由】

なぜ未だに沖縄の人の多くは、アメリカ軍の残虐行為を語ろうとせず、旧日本軍の残虐行為だけを語るのか?それは、沖縄に住む多くの人々がその生活を米軍基地に依存しているからである。真実を語ると自分たちの命が脅かされるから口をつぐんでいるだけなのだ。沖縄の人たちは、まさしく未だに占領軍にこき使われている現地住民なのだ

米軍による沖縄占領は沖縄返還によって終わったのではない。それは、今も続いているのである。

【親分には物が言えない】

沖縄の人々は、基地移転の約束を破った日本政府を非難するが、駐留するアメリカ軍そのものに対しては大きな声を上げない。他県や国外への移転は求めるが、米軍基地そのものの必要性の有無は問おうとしない。

現日本政府はアメリカ政府に脅されてその手先と化している。沖縄の人たちは、自分たちの命を脅かす暴力団の親分には何も言えず、その手先に過ぎない三下にしか物を言えないのである。だが、暴力団の親分の心が変わらない限り、その手先である日本政府の心が変わることはない。

【日本兵弁護を平和の敵とする風潮】

沖縄の人も含めた日本人の多くが未だに日本兵を弁護したり侵略者である米軍を非難することを憚(はばか)る理由がもう一つある。それは、日本兵の心情を弁護すると「戦争肯定論者である」「平和の敵である」と非難する風潮が支配的だからである。

私自身も、そのような非難を受けることを覚悟しながらこの文章を書いている。

だが、そのような風潮こそが平和の敵であることに私たち日本人は気づくべきである。

「裏切り者」呼ばわりされることへの恐怖が未だに私たち日本人の心に巣食っている。

それは、鳩山元総理・菅総理・石破元防衛大臣などの日本の防衛政策を担う人たちを始めとする私たち日本人の心を「日本は米軍によって守られている」と言う幻想が支配しているからである。

(2)へ続く