昔の日記を読み返しても、その日のことは具体的にはあまり書いていない。自分に対して説明する必要なんてないからだ。10年たってどこまで覚えているか解らないけど、書き残しておこうと思う。
書類に書かれていた死因は「腰の大動脈破裂による失血死」だった。大動脈の破裂が脳で起これば「脳卒中」彼の場合はそれが腰で起こったのだった。27歳になる直前だった。交通事故にあったわけでもなく持病を持っていたわけでもない。亡くなる12時間前はまだ会社に出勤していた。医者の話では「過労死であろう」という話だった。
土曜日・私達は喧嘩をしていた。内容は忘れたが他愛もない事だったように思う。
当時私たちはお互い別のバンドで活動していた。
日曜日・彼のバンドのライブがあった。打ち上げも終わり私達は同じ家に一緒に帰る。自転車で40分くらいの距離を私達は土曜にした喧嘩の仲直りをしながら帰ったのを覚えている。
月曜日・私は仕事にいつもどうり出かけ、夕方からは自分のバンドのスタジオに出かけた。メンバーの一人が「彼と別れた・・・
」と元気がないのでスタジオが終わった後ご飯を食べに出かける。
1~2時間は友達と話していただろうか?私のポケベルは鳴らない。多分彼が私を待って晩御飯を食べていないはずなので家に電話をかけてみる。
彼が電話にでた「腰が痛いから今救急車呼んだ」という。私はこの時全く事の重大さに気づいてなかった。多分彼もそうだったのだろう後数時間で亡くなる人がそんなにハキハキと話すとは思ってもいなかった。私は軽くギックリ腰でもいわせたな、と思いこみ「今から帰るけど病院が決まったら電話してね~」と本当に軽く言っていた。
家に帰った私。10時になっても12時になっても電話はなかった。念のため枕元に電話を置き眠る事にした。夜中電話が鳴る。「Aさんですか?」女の人の声が私の名を聞いてきた、話を聞くと看護師らしい。内容は○○病院に現在彼はいてこれから手術をするということ。私は何故何十キロも離れた○○病院に彼がいるのか事態が飲み込めないでいた。自宅から遠く離れた○○病院までどうやって行ったらいいかをたずねると看護師は「今すぐこられても手術はいつ終わるか解りませんよ、伝言を頼まれましたのでご連絡さしあげたまでです。」と言って病院の所在地などを教えてはくれなかった。・・・何故なんだろう?この看護師の対応は未だに腑に落ちない。
案じながらも「数時間前にアレだけ元気に会話していたのだから大丈夫だろう」と私はまだ彼の安全を疑っていなかった。色々思いながらもまたウトウトと横になった私。明け方に彼の兄と母親から電話があった。
兄「…もしもし?…”K”死んだよ」
母「あなた!!来てあげないの?!」
そこから私は自分の運転で○○病院まで迷いながらも辿り着いたのだった。
恐る恐る巨大病院のICUへ向かう。エレベーターが開いたそこには彼の兄が座りこんでいた。彼の母が私に近寄って私を力強く抱きしめたのだった。その時私の口から出た言葉は「ごめんなさい」だった。
兄に連れられて真っ白なICUの病室の中に入る。わけのわからない機器が”ピッ…ピッ…”と規則的に鳴っている。多分あれは他人につながっている機械の音だ。彼の元に行き、彼にしがみつくようにさわってみるとまだ温かいようだった。私は彼に対してもやはり「ごめんなさい」と謝って泣いていた。彼の兄も泣いていた。
土曜に喧嘩・日曜にライブ・月曜に仲直り・火曜にお別れ。私はあれ以降誰かと喧嘩をするのが嫌いになった。