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RED GIANT

進化途中の赤色惑星

日記

2007-03-14 17:17:14 | Weblog

最近真面目に更新している私。影から見守ってくださっているかたがもしいらっしゃったらありがとうございます。

私は自分には霊感とかあまりないと思っているのですが、生まれ変わるとか魂の存在とかを昔から信じています。彼が亡くなった時は3ヵ月後くらいで「電気の点滅を使って」自分の存在をアピールしてきました。可愛がっていた猫が亡くなった後は1ヶ月後くらいに「生前よく鳴らしていた足音」でアピールしてきました。それらの合図を私は「さよならの合図」だと取っています。何故ならその合図の後、それまで身近に感じていた存在感をめっきり感じなくなるからです。

愛娘が亡くなってもうすぐ3ヶ月です。そろそろさよならの合図が送られてくるだろうな?と私は心待ちにしているのです。ただ気になるのは、生前よく娘はベビーベッドの柵をカンカン蹴って鳴らしていました。その音が何度も聞こえてきているのですそれは何の合図なの??私に出来ることはないんだけどな~?鳴った時はベッドのあった位置まで行って「呼んだ?」って声をかけたりはするんだけどね~。寂しいのかな?


きょうの日記

2007-03-10 20:51:28 | Weblog

また旦那についてパチン○に行ってきた。旦那はパチン○に強い。半端なく強い。昔プロだったし…。私も昔は強かったのにこの数年年々弱くなる・・・あぁつまらない旦那が我が家の収支を引き上げてくれ、そして私が足を引っ張っています。
これだけ異常に弱くなると「これは何かの警告なのだろうか??」と見えない力に怯えたりします(汗)ただ純粋に息抜きしたいだけなのに…プラス・マイナス=ゼロくらいでいいのに


日記

2007-03-09 13:00:38 | Weblog

今朝夢を見た

娘の夢
娘は少し大きく成長していて相変わらずバギーに乗っていた。
私はバギーを押して前に進む。
(生前完全に寝たきりだったが)少し体を起こし回りをクルクル見た。
「へ~いつの間に体を起こせるようになったの?
と私が背中をさすってやるとニコっと笑った。


日記

2007-03-02 13:34:39 | Weblog

数日前に見た夢

暗い部屋の中に居る私。
扉の向こうから神に仕えているらしき人が私に話しかけたきた
「アローン・・・罪滅ぼしをしなさい」

別の夢の中で私は遊興施設の中にいる。
手を貸して欲しいと頼んだ私に店員が言った。
「他人の手や機械の力を借りないと解決できないような場所へは
出入りしないでください」
と言われた。


彼が亡くなった時

2007-03-01 16:07:06 | Weblog

昔の日記を読み返しても、その日のことは具体的にはあまり書いていない。自分に対して説明する必要なんてないからだ。10年たってどこまで覚えているか解らないけど、書き残しておこうと思う。

書類に書かれていた死因は「腰の大動脈破裂による失血死」だった。大動脈の破裂が脳で起これば「脳卒中」彼の場合はそれが腰で起こったのだった。27歳になる直前だった。交通事故にあったわけでもなく持病を持っていたわけでもない。亡くなる12時間前はまだ会社に出勤していた。医者の話では「過労死であろう」という話だった。

土曜日・私達は喧嘩をしていた。内容は忘れたが他愛もない事だったように思う。

当時私たちはお互い別のバンドで活動していた。
日曜日・彼のバンドのライブがあった。打ち上げも終わり私達は同じ家に一緒に帰る。自転車で40分くらいの距離を私達は土曜にした喧嘩の仲直りをしながら帰ったのを覚えている。

月曜日・私は仕事にいつもどうり出かけ、夕方からは自分のバンドのスタジオに出かけた。メンバーの一人が「彼と別れた・・・」と元気がないのでスタジオが終わった後ご飯を食べに出かける。
1~2時間は友達と話していただろうか?私のポケベルは鳴らない。多分彼が私を待って晩御飯を食べていないはずなので家に電話をかけてみる。
彼が電話にでた「腰が痛いから今救急車呼んだ」という。私はこの時全く事の重大さに気づいてなかった。多分彼もそうだったのだろう後数時間で亡くなる人がそんなにハキハキと話すとは思ってもいなかった。私は軽くギックリ腰でもいわせたな、と思いこみ「今から帰るけど病院が決まったら電話してね~」と本当に軽く言っていた。

家に帰った私。10時になっても12時になっても電話はなかった。念のため枕元に電話を置き眠る事にした。夜中電話が鳴る。「Aさんですか?」女の人の声が私の名を聞いてきた、話を聞くと看護師らしい。内容は○○病院に現在彼はいてこれから手術をするということ。私は何故何十キロも離れた○○病院に彼がいるのか事態が飲み込めないでいた。自宅から遠く離れた○○病院までどうやって行ったらいいかをたずねると看護師は「今すぐこられても手術はいつ終わるか解りませんよ、伝言を頼まれましたのでご連絡さしあげたまでです。」と言って病院の所在地などを教えてはくれなかった。・・・何故なんだろう?この看護師の対応は未だに腑に落ちない。
案じながらも「数時間前にアレだけ元気に会話していたのだから大丈夫だろう」と私はまだ彼の安全を疑っていなかった。色々思いながらもまたウトウトと横になった私。明け方に彼の兄と母親から電話があった。

兄「…もしもし?…”K”死んだよ」
母「あなた!!来てあげないの?!」

そこから私は自分の運転で○○病院まで迷いながらも辿り着いたのだった。
恐る恐る巨大病院のICUへ向かう。エレベーターが開いたそこには彼の兄が座りこんでいた。彼の母が私に近寄って私を力強く抱きしめたのだった。その時私の口から出た言葉は「ごめんなさい」だった。

兄に連れられて真っ白なICUの病室の中に入る。わけのわからない機器が”ピッ…ピッ…”と規則的に鳴っている。多分あれは他人につながっている機械の音だ。彼の元に行き、彼にしがみつくようにさわってみるとまだ温かいようだった。私は彼に対してもやはり「ごめんなさい」と謝って泣いていた。彼の兄も泣いていた。

土曜に喧嘩・日曜にライブ・月曜に仲直り・火曜にお別れ。私はあれ以降誰かと喧嘩をするのが嫌いになった。


日記

2007-02-16 08:57:05 | Weblog

今朝久しぶりに亡くなった娘の夢を見た。

私は娘を抱きかかえ乗り物に乗り込もうとする。
娘の顔を見ると笑ったような顔をした。
(生前から障害が原因で、娘は笑っても一瞬で表情が終わる)

一度目が覚めてまた別の夢で娘が出てきた。

どこかに娘が入院でもしていたのだろう。
「さぁ連れて帰ろう!」と意気ようようと娘を抱きかかえる私。
もう手放さないぞ。と強く思う私。


日記

2007-02-15 15:47:43 | Weblog
今日で10代の頃の記事をUPし終わりました。一応これで全部だと思うのですが、また押入れの奥から出てきたらまたUPします。UP後の紙は思い切って捨てています。そうやって物・心共に消化していけたらいいのにな、と思っています。
そして今後は…ブログを閉鎖…するのではなく20代の私の書き物をUPしていけたらいいなと!思っています。

日記

2007-02-04 16:09:16 | Weblog

昨日はオフ会に誘っていただき参加してきた。主催は高校の時の先輩で10年以上ぶりの再会。子供さんも一緒に参加されていた。子供さんを入れて総勢9名。みなさんが話題豊富で正直圧倒されてしまった!
1次会はイタリアンのお店で雰囲気も最高で楽しめた。「2次会に移行しましょう」というとき2人の女性が帰ってしまった。帰り際私に「むすめさんにヨロシクね」といって・・・。そうその方は私の2歳の娘が年末に亡くなっている事を知らなかったのだ。そのことは連絡をしていなかった私も悪いので相手さんに非はない。でもそこから私お得意、心の虫がざわざわし始めてしまった。2次会で参加していた2歳の女の子と廊下でキャーキャー遊んでいたら、「娘が2歳で健康だったらこんな風に笑うのね・こんな風に遊ぶのね・こんな風にだだをこねるのね。。。」そんな考えがどんどん出てきてしまった。すべて思ってもしょうがない事なのに
子供って小学校にもあがる頃にはもうこの頃のようには大人と遊んでくれなくなるよね?だから今日このお嬢さんと触れ合えた事は貴重な何かのプレゼントなのかな?
ありがとうお嬢ちゃん、私がもうちょっと元気になったらまた遊んでね


日記

2007-01-25 10:10:10 | Weblog

今日夕方は車に乗って旦那を会社まで迎えに行く。月に2度ほどこの日がくる。この用事は旦那の出張に関係しているのです。

会社までは往復1時間。娘がいた頃は一緒に迎えにいって、早く着いてしまった時は近くの大型スーパーでぶらぶらしながら時間を過ごした。

障害を持っていた娘を連れてお店などへの外出するときは色々な条件がついてくる。
①まず娘が元気である②店の中がフラットである事、もしくはエレベーター完備である事、通路がある程度の余裕をもって作られている事③駐車場完備
これから高齢化社会とやらに向かっていくのだしこの条件を満たしたお店は増えていくだろうし、そうでなければいけないと私は思う。車椅子だから、といって家で留守番ばかりしていなくてはいけないなんてナンセンスだどんどん心おきなく出かけられる世の中になってほしい。

そんな理由で生前娘を連れて気軽に遊びにいける場所は限られていた。そして今日その娘とよく出かけていた想い出の場所巨大スーパーへ旦那を迎えに行きがてらブラっと寄ってみようと思う。


日記

2007-01-19 17:37:39 | Weblog

今日はお墓の話。私の父の田舎は沖縄。沖縄のお墓はまあるくて大きい。中に人が入れるくらいの大きさ。そこでは小さい子供が亡くなった時「小さい子が独りでは極楽への道は迷子になる」と言う考えで、次の大人の埋葬までの間、小さいお墓を大きいお墓の横にちょこんと作っておいて仮埋葬しておくらしい。そして次、大人が亡くなった時に一緒に埋葬するらしい。私の親は葬儀の時私の娘の亡骸に「曾祖母ちゃんに手ぇ引いてもらえよー」と何度か声に出して話しかけていた。昔から感じていたが沖縄の人は「死」や「お墓」などに対する考え方が少し独特だ。もう20年ほど前の話だけど、私の父方のお祖母ちゃんはお墓が出来上がった時にお墓の前で沖縄の踊りを嬉しそうに踊っていた。これは関西ではありえない光景だと思う。(この考え方がいいのか悪いのかは解らないけど。)
2歳の娘が迷子になっていないか考えるととても悲しい。曾お祖母ちゃんが待っていてくれたならどうか手を引いてやってほしい。


日記

2007-01-17 22:17:30 | Weblog

大震災から12年目の今日。私はあの頃家に居づらくて人の家に泊めてもらっている事が多かった。大震災の日も実家ではなく彼の実家に泊めてもらっていた。地震の次の日にやっと兵庫県の実家に帰ろうと思い、車を走らせたが家まであと20kmというところから車の渋滞がはじまり殆どその列は動かなくなった。
私の身近で震災で命を落とした人はいなかったが、親戚の家が半壊になり従兄弟の男の子が我が家でひと月生活することになった。私は自分が家に居づらい時期であったこともあり、その男の子に親切にすることはしなかった。今思えばもっと親切にすればよかった。大人しい男の子だったから我が家にも居づらかっただろう。あのひどい震災のあとできっと心も疲れていたことだろう。人の気持ちを思いやれない、あの頃の自分を思い出した。

震災で亡くなったたくさんのかたたちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


日記

2007-01-11 23:45:12 | Weblog

今日もいい夢が見たいな~。もう娘の夢を2回も見た。娘が笑った夢と、私が娘の服を着替えさせている夢。娘は表現力が乏しいので、どんな事が好きだったのか最後まで分らなかったけど、この夢を見るかぎり服を着替えるのが好きだったのかも知れない。目新しい服や小物を見せたりしたら何度か笑顔が出た事もあった。

 


'89.5.25

2007-01-10 14:58:24 | Weblog

ああ、未だにあの人は私の行動を支持してくれてはいない…

私はいつもよかれと思うほうへ進もうとしているのに…

それはあの人にとっては不快の種でしかなかったのか?

この年になって両親を悲しませることも

悩ませる事も、何もしてはいないのに…

周りの人にも迷惑はかけていないつもりなのに…

何が気に入らないのだろうか?

私自身を汚さず、傷つけず大人しくしている事が彼らの望みなら

それは私にとっては死と同じ事だ。

私の気持ちを踏みにじんででも

自分を綺麗に見せる事なんて間違っている。

彼らと私の考えが食い違うのはしかたのない事なのか?

それでもどうか私という人間を受け入れてほしいと

どこかで願っている。


ねどこ

2007-01-06 00:50:49 | Weblog
私が自分でそこに植え付けたのか
寝床にはいると哀しくなる
つーつーつーと静かな涙が伝う
「悲しい時は泣いたらいい。」と言う人もいる
本当だろうか?
涙が涙をつれにくるような気もする
原因を早く忘れて先に進みたい自分と
忘れたくない自分がいる。
シャボン玉の歌ってまだ小さい時に亡くなってしまった
我が子を想って作られた歌だと聞いた事がある。
私は今まで色々な事があった
今後も何か起こるのだろうか?
それともシャボン玉の歌を作った人のように
悲しみを乗り越えて、何かの方法で表現して行く力を持っているのだろうか?


今日の日記

2006-12-30 00:51:41 | Weblog

今日も行ってきた!パ○○コ!!しかも夫婦で、バカ夫婦?(笑)もう旦那も正月休みに入ったからね~息抜き、息抜き。(二人とも勝った)しかし一昨日&今日でこの2~3年の負けていた分を取り返したよ。あ、負債はもともと少額ですからね。勘違いして「へ~そんなに勝てるのか」と散財してしまう人がいたらいけないからちゃんと書いておかないといけないですね。

でもこれだけついているのなら逆に真面目にイラストでも書いているほうがいいのかな・・・?とか考えながらも店に8時間ほど居たのでした。