この間、図書館で借りてきた角田光代さんの「この本が、世界に存在することに」という本を読みました。
本にまつわる短編集。
ああ、角田さんって同年代なんだなぁ・・・なんて思いながら読みました。
その中の1編に「引き出しの奥」という話があって、主人公が“一番最初の記憶”“一番大切な記憶”“一番満たされていたときの記憶”ってなんだろう?と考える場面があります。
私の“一番最初の記憶”は、「塀の上の黒猫の真っ赤な口」です。
近所のおねえさんが、小さな私を散歩に連れて行ってくれてた時のこと。
ふたりで神社の方に向かっている途中、塀の上に黒猫がいて、たぶんそのお姉さんが「ほら、猫がいるよ」なんて近づいたのではないかと思うのですが・・・
(そのヘンの記憶はとてもあいまい。お姉さんがどんな人だったのかも覚えてないし。)
ところが猫は私に威嚇してきて、私は泣き出してしまったのです。
黒い顔から現れた真っ赤な口がとても恐ろしかったのです。
小さな私の目線より上にいる黒猫が大きな口を開けて威嚇する姿、脳裏に焼きついた最初の記憶。
そして、“一番大切な記憶”と“一番満たされていたときの記憶”。
主人公は、自分にはそれがないことに気づき、生活を省みるのですが・・・
私も、“一番大切な記憶”“満たされていたときの記憶”は、これってはっきり言えないなぁ・・・と思います。
最初の記憶とは違って、生きていくうちに変わっていくかもしれないものだし。
でも、“大切にしたい記憶”ならいっぱいあります。
日々書き連ねているこのブログの中にも、大切にしたい記憶はたくさん。
ブログという引き出しにしまったたくさんの記憶。
時々、そっと開けてみて、その奥にあるものを思い出したりします。
本にまつわる短編集。
ああ、角田さんって同年代なんだなぁ・・・なんて思いながら読みました。
その中の1編に「引き出しの奥」という話があって、主人公が“一番最初の記憶”“一番大切な記憶”“一番満たされていたときの記憶”ってなんだろう?と考える場面があります。
私の“一番最初の記憶”は、「塀の上の黒猫の真っ赤な口」です。
近所のおねえさんが、小さな私を散歩に連れて行ってくれてた時のこと。
ふたりで神社の方に向かっている途中、塀の上に黒猫がいて、たぶんそのお姉さんが「ほら、猫がいるよ」なんて近づいたのではないかと思うのですが・・・
(そのヘンの記憶はとてもあいまい。お姉さんがどんな人だったのかも覚えてないし。)
ところが猫は私に威嚇してきて、私は泣き出してしまったのです。
黒い顔から現れた真っ赤な口がとても恐ろしかったのです。
小さな私の目線より上にいる黒猫が大きな口を開けて威嚇する姿、脳裏に焼きついた最初の記憶。
そして、“一番大切な記憶”と“一番満たされていたときの記憶”。
主人公は、自分にはそれがないことに気づき、生活を省みるのですが・・・
私も、“一番大切な記憶”“満たされていたときの記憶”は、これってはっきり言えないなぁ・・・と思います。
最初の記憶とは違って、生きていくうちに変わっていくかもしれないものだし。
でも、“大切にしたい記憶”ならいっぱいあります。
日々書き連ねているこのブログの中にも、大切にしたい記憶はたくさん。
ブログという引き出しにしまったたくさんの記憶。
時々、そっと開けてみて、その奥にあるものを思い出したりします。