僕はてつがくカフェ、というイベントにスタッフという形で参加しているのだけれど、
「なんて素晴らしいイベントなんだ!」と思ってそれに参加したことは一度もありません。
(問題発言かな・・・)
「非常に面白い試みだけれど、かなり未熟なメディア」として捉えている。
僕はいくつか、てつがくカフェ関係のイベントに出席したが、どのイベントでもその未熟さがかなり目についた。
これはもちろん、自分が関わったものについても言える。
重要なのはその未熟さをどう受け止めるかだ。
その未熟さに真摯に向かい合うことではじめて、イベントが成長する可能性を孕んでくる。
しかし、そこから目をそらす、または気づかなければイベントは腐ってゆくばかりだ。
このイベントは欠点だらけだ。
直さなければいけないところはたくさんある。
で、僕はなぜこんなことを書いているかというと、
まぁ言うまでもないことですが、
こんなことを書きたくなるくらい僕は、「てつがくカフェ」というメディアに可能性を見ているからだ。
全く普段接点を持たない人間たちが、一つのテーマについて話し合うことができるという、
ちょっとした夢をかなえてくれる場所だからだ。
ちょっとした夢をかなえてくれる場所を作ることに携わることができるのは、とっても素敵な話だと思うし、
それはちょっとした希望だと思う。
だから僕はこれからもてつがくカフェというメディアに文句を言い続けると思う。
あ、そういえば僕がファシリテーターやるにあたってひとつ決めていることがあるのだけれど、それについて少し書きます。
でもこれは、まぁ、そんなにたいしたことではありません(笑)
(もちろん、個人的にはわりと大したことなのですが)
参加したことのある方はたぶん知っていると思いますが、
てつがくカフェではイベントの際に、ファシリテーターが決まり文句のようにお客さんに対して、「気持ちの悪い思いを抱えながら帰っていただく」と言うシーンがあるんですよね。
てつがくカフェで扱うテーマは「答え」の出るようなものではないので、いつもお客さんは頭がもやもやしたままイベントを去ります。
その状況を指して「気持ちの悪い思いを抱えながら帰っていただく」という言葉を使うのですが、
僕はこの言葉を絶対に使いません。
なぜなら、僕はお客さんに「気持ちの悪い思いを抱えながら帰って」いただきたくないからなんですね。
もちろん、「答え」が出ないわけですからなんらかのモヤモヤ感は残るでしょう。
でもそれ以上に、何かしら持ち帰ってほしい。
思考における可能性の拡張、パースペクティヴの多様化、問題へのアプローチの方法などなど、
なんでもいいからイベントに来る前と来た後で、部分的に変異した自分に気づいてもらって、そこから快感を得てほしい。
僕はそういう想いを抱きながらこのイベントに携わっています。
だから僕にとって、ファシリテーターが「気持ちの悪い思いを抱えながら帰っていただく」なんて言うのは、
極めて怠惰でセンスの無いことなのです。
そして、それは敗北であり、失敗なのです。
モヤモヤとした気持ち悪さを超えた、ある種の清々しい「目覚め」や「気づき」を僕は持ち帰ってほしい。
まぁ、そんな感じですね。
というか普通に考えて、
「気持ち悪い思いを抱えて帰る」ようなイベントには誰も来たくないでしょう。
自分でイベントを何度か主催してわかったことですが、
なんらかの快楽を伴わないイベントはその時点で失敗です。
(八木)