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てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

Simon Hantai

2013-08-26 09:31:19 | 美術

先日行ってまいりました、日仏会館で頂いた「ovni」という新聞の芸術欄に気になる人物がいたので紹介します。

これは、フランス現代美術の大物の一人と紹介されているハンガリー出身のシモン・アンタイ(1922-2008)の記事。

現在フランスのポンピドゥ・センターというところで没後初めての展覧会が開催されているようです。

彼は第二次世界大戦後、ソ連の体制下に入る直前の母国を、イタリアに向かう最後の列車で脱出し、イタリア各地を放浪した後パリに入り、アンドレ・ブルトンに認められてシュルレアリストのグループに入った人物だそうです。

その後グループから離れるのですが、様々な技法を試みました。アンタイの力量が発揮されるようになったのは、50年代終わりからだそうで、小さなハンコのような型を広大な画面に無数に押して行ったり、哲学的な文章を手書きで細かく模写するといった作品を、毎日少しずつ時間をかけて完成させたそうです。近くで見たときと離れてみた時の印象がまったく違うので有名だそうで、型を押した部分が、遠目には盛り上がって浮き彫りのように見えるそうです。

60年代には画布を折ったりしわを寄せて、そこに絵具をつけた独特な作風でさらに新天地を開き、「Matial」というシリーズとその前後の作品がアンタイの芸術の頂点らしいです。サイズが非常に大きいため、空から無数の南国の青い羽根の蝶や木の葉が降ってくるようで、絵の前にいるだけで陶酔するようです。

それに続く鉱物のような「Catamuron」や「Panse」の連作には彼の優れた色彩感覚が発揮されているそうで、その後の「Meun」には、大きな石のような形を、少ない色数で表現したシリーズで色の濃淡が立体感を出しているそうです。

アンタイの芸術的飛翔が感じられるのはこのあたりまでで、70年代の、布を折って色をつけ、絞り染めのような効果を出した作品のあたりから、彼がどこに行こうとしているのかわからなくなった、と言われています。工芸的なものに近づくにつれ、彼の独自性は失われ、1982年から15年間、公的な場所から姿をけし、作品も作らず、展覧会も行われなかったそうです。最後は、過去の作品を切り、それをつなげた作品を遺したそうです。

彼の息子クラブサン奏者の「ピエール・アンタイ」もめっちゃ有名らしいです(加賀谷)

 実際に展覧会にいってきた方のブログを見つけたのでこちら


『ゴッホ展』と純喫茶「星港夜-シンガポールナイト」

2013-07-05 10:33:38 | 美術

「ずっと行かなければ・・・・」と思っていた『ゴッホ展』。時間ができたので、昨日大学で試験監督をした後行ってまいりました。
ゴッホ展は7月15日までということで、「ヴェネチア展」にしろ「マチュピチュ展」にしろ昨年同様駆け込みで行く癖は相変わらずだと思いながら・・・。平日にも関わらず老若男女でごった返しておりました。

さてさて、会いたかったです。ゴッホさま。盛岡での大学院時代に見たゴッホの映画「炎の人ゴッホ」やアントナン・アルトー著「ヴァン・ゴッホー社会が自殺させし者」を回想しながら、ゴッホの<空白の時代>と言われる2年間の「パリ滞在時代」にスポットライトを充てた作品群を堪能してまいりました。なぜ空白だったかというと、ゴッホ研究は弟テオとの往復書簡が手ががりとなっていたのですが、パリ時代にはテオと同居していたので書簡があまり残されていないという事が理由のようです。

ゴッホといえば、20代イギリスの寄宿学校で無給で働いていた時代に聖職者になりたいと強く思い、ベルギーの炭鉱地帯に赴き下宿をしながら伝道活動を始め、神への情熱が行き過ぎ(笑)たために、伝道委員会に仮免許を打ち切られたり、経済的理由からオランダのエッテンに戻っていた時代、7歳年上の子持ちの未亡人(いとこ)ケイに求婚し、打ちのめされたり(笑)、ハーグでモーヴという従兄弟の画家に油絵と水彩画を習っていた時期に、スケッチのモデルの娼婦「シーン」にテオの送金で経済援助をしたり、南フランスでゴーギャンとの共同生活が才能同士の衝突によえい破たんにっなったりなど・・ととにかくその生き様は物事を相対化し折り合いをつけるという術を知らないかのように、悲しいくらい愚直なまでに熱く、苦しいくらい真剣でまっすぐで、その姿は可愛らしくそして滑稽にさえ思えるのです。事実彼は精神をとても深く病んでいました。娼婦に自分の耳たぶを渡した事件は有名ですし、サン=レミ精神病院での入院生活、度重なる発作、そして最後は一般には(銃創による)自殺と考えられています。

 そんなゴッホの精神と身体と魂が遺したタブロー。

一番感動したのは、パリ時代以前はゴッホは印象派の手法が大嫌いで、絵に感情や愛といったものを付け加えるのはありのままの自然を損なうと考えており、暗い色彩ばかりで絵を描いていました。しかしパリに来て、ロートッレクなど様々な才能と触れ合う中で、彼の魂や身体は「もっと色を!!」と要求するようになります。あのゴッホが「花」をたくさん描きつづけた時代があったこと、その時代のゴッホを考えるととても微笑ましいし、「デルフィニウム」(というとても素敵な花があるのですが)を愛でながら色彩を奏でたゴッホを想像できることは救いでした。

色と差異を求めた時代、形式や普遍を求めた時代、、薄塗を求めた時代、技術を求めた時代、さまざまなゴッホの航路を追体験することができました。

ゴッホの絵はやはり点描タッチで描かれたものが、ゴッホのその瞬間の息遣いが保存されている気がして個人的にはとても好きです。点に宿る力といいますか、まとまったイメージで知的に理解される以前のレベルに遡行させるエネルギーがあると思います。現象を理解する通常の情報処理の習慣を攪乱させる、まさに触覚レベルで訴えてくるのです。全身が目や耳になるといった非日常的な感性を拓く力があり、3Dのようなテクノロジーでは代替不可能なものだと私は思いました。それぞれの個でありかつ全体と関係する色たちが音と時間を持ちはじめ、それぞれ他の色たちと律動し始め無限に広がっていくとき、これを「観音楽」とさえいっていいようなそういうリッチな気分にさせる企画展でした。

美術に興味がある皆様、宮城県立美術館のゴッホ展は7月15日までです!この機会をお見逃しなく・・

と、その後前から行きたいと思っていたカフェに「星港夜」行ってまいりました。ゴッホ展など美術館巡りの後立ち寄って、ゴッホ作品の余韻にひたれるような喫茶店です。店内にはクラッシックが流れていて、大きな蓄音機、昔の西洋式の電話、タイプライター、オルガン、スコットランドの燭台、本やレコードなどがあります。「星港夜」と書いて「シンガポールナイト」と読ませる純喫茶です。
マスターが素敵な方(全身黒ずくめの長髪)でオーダーを取るときなんと「立て膝」をつきます!!「ノクターン」「カノン」「運命」「無伴奏」といった名前のコーヒーがあり、純喫茶なのに23時までやっていて年中無休です。仙台にいらしたときはぜひ行かれることをお薦めいたします。
また、7月10日に岩手県(沿岸)出身で盛岡在住のミュージシャン&アーティスト「佐々木龍太」http://boc8.weblogs.jp/ryutablog/という方のライヴ(19:00~)があるようですよ。   (加賀谷昭子)

純喫茶「星港夜」
住所:仙台市青葉区上杉1-12-1
0222222926

http://cafe-sendai.jp/smartphone/singapole.html                                                                                            


ゴッホ展in仙台

2013-07-03 16:39:53 | 美術

先週、仙台の宮城県立美術館に行ってゴッホ展を観てきました。

フィンセント・ファン・ゴッホ。

いわゆるポスト印象派の画家で、日本人が好きな画家の一人ですよね。

「ひまわり」「星月夜」「カラスのいる麦畑」といった色鮮やかな名作で有名ですね。

でもこの人は、最初からこのような、よく言われる「情熱的な」画家だったかというとそれは微妙じゃね?、違う側面があるんじゃね?っていうことで、

「ゴッホがテオ(弟)と同居していたパリ時代」の作品たちが本展のテーマでした。

絵を観るとたしかに、「僕らが知ってるゴッホ」とは違った、割と地味なものが多かったり、ゴッホの試行錯誤の痕跡が観られる非常に興味深いもので、とても勉強になりましたね。

でもなー、僕は別に研究者じゃないし、確かに面白く観れはしたけど、感動はあまりできなかったのでモヤモヤしながら小企画展に行ったら・・・・

いやー、とっても感動しました。

ルオー版画集 『ミセレーレ』

これの小企画展だったんですよね。

これは凄い。

ルオーは版画家でもあったんですが、これは彼の版画家としての代表作。銅版画技法が駆使されていて、強烈な迫力でした。『神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈しみによって』なんてもう・・・。

重厚とはこのことだという感じで非常に感動いたしました。

昨年、『ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展』という催し物(http://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/12/121006/)がありまして、ルオーが描いたサーカスの絵を集めたものだったのですが、僕はこれに非常に刺激を受けたのもあり、「ルオーといえばサーカス」という印象が強かったのですが、こんな側面もあったんですね。

いやはや美術とは奥が深い。

彼はサーカスにおいて「ピエロ」というキャラクターにこだわりを持ち続けてきたのですが、彼が「ピエロ」について言った言葉でこの文章をしめたいと思います。

 「道化師は私なのだ。私たち誰もが金ぴか衣裳をつけた道化師なのだ。誰かがふと私たちを見かけたら、計り知れぬ憐れみの情によって心の奥底までゆさぶられるだろう…」

 (八木皓平)