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てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

アントニオ・ロペス展

2013-08-27 18:53:15 | 映画

もうすぐ、岩手県立美術館で「アントニオ・ロペス展」が始まりますね。

アントニオ・ロペスの個展としては、なんと日本初!だそうです。

これは超楽しみですね~。

で、僕が一番伝えたい情報は実はこれではなくてですね、

この展覧会に合わせて、2013年9月15日(日) に、

「マルメロの陽光」という映画が上映されるのですよね。

監督はビクトル・エリセです。

この映画、僕のオールタイムベスト1の映画なんですよね。

人生で観てきた映画の中で一番好き、ということです。

この機会に、絶対に観たほうが良いです。

というのも、この映画はDVDの値段が高騰しすぎて滅多に観ることができないんですよね(じつは僕、このDVD持ってるのですが)。

ですからこんな機会じゃないと観れないです。

この映画を観ないと絶対に損をします。

ぶっちゃけ県外の方がも観に来たほうが良いと思いますよ、

それだけの価値がある映画です。

(八木)

 


映画「ケンズブールと女たち」

2013-08-22 07:49:38 | 映画

午前中しかネットに接しない女、加賀谷です。午後からは絶対PCに触りません(笑)。

八木君が図書館で不審者扱いされたそうで(可哀想)、自分の半生を振り返ってみました。

私は考え事をすると周りが見えなくなって、電柱にぶつかったり、車にひかれそうになったり、夜中急にふらふらと散歩に行くことがあったので警察に職質されたり、補導されたこともあるので、八木君まだまだ大丈夫ですよ~(→慰めてない?)

そういえば彼氏と喧嘩して、アパートを飛び出し、財布を忘れ(たふりをして)、盛岡駅前から帰れなくなり(AM2:00だったので)、お巡りさんにお金貸してもらってR&B(ホテル)に泊まった事もありましたね~。盛岡東(?)警察署の方、あの時のご恩は一生忘れません。

さて、昨日ブリジット・バルドーの紹介をして思い出したのが、一昨年観た映画「ケンズブールと女たち」。

ケンズブールの曲を初めて聴いたのは、ジェーン・バーキンとのデュエット「Je t'aime moi non plus」ですね。ホントいやらしい(笑)。でも変態といわれようが嫌いではないですね。あの時代だからこそ価値がある。今こんなことやっても何の驚きも斬新さもない。

この「ケンズブールと女たち」でケンズブールの天才ならではの破天荒ぶりなバイタリティーにも触発されるのですが、それを取り巻く女性たちのさまざまな人生模様も必見です。ケンズブールの作曲の源泉はいつも美しい女性たち。彼にとって「生きること」は女性と音楽。でも彼の人生は本当に彼女たちを愛していたんだろうか?と思えるくらい最後には悲劇が待ってます。

B.B役のレティシアカスタもダイナマイト級のど綺麗な女性ですね。

驚いたのは、ジェーン・バーキン役だったルーシー・ゴードンが、この映画後2009年に自殺していたという事。29歳の2日前だったそう・・・。

私は個人的にはジュリエット・グレコ役のアンナムグラリスに惹かれます。

ジュリエット・グレコ自身はフランス・モンペリエ出身の歌手、俳優で哲学者のサルトルや、ボリス・ヴィアンのインスピレーションを刺激し、曲など提供を受けていたそうです。グレコは黒髪、黒ずくめの衣装で歌うのがトレードマークで、この時期だから「実存主義」ってやつですね。

このグレコ役のアンナムグラリスの美しいこと。

実はこの人「サルトルとボーヴォワール」のボーヴォワール役でもあったんですね!!あの役も美しかったし素晴らしかった。

彼女、ミッシェル・ピコリと結婚していたのか・・・。

今DVDで見れると思います。ケンズブールの才能の源泉になった華々しいきらびやかな女性陣の美しさが目の保養になりますし、そんなケンズブールに翻弄され、愛しながらも去っていく彼女たちにいろいろ感じてほしいと思います。(加賀谷)

「 ケンズブールと女たち」の画像

おまけ ジェーン・バーキンから被災者へのメッセージ

 彼女、震災後来日していたんですね。→その様子はこちら


白い4夜 

2013-08-08 13:16:31 | 映画

 またまた幽体離脱してまいりました。

先日映画1000円dayの『風たちぬ』の後、続けてロベール・ブレッソンの『白夜』も観たのを思い出しました。

原作はドストエススキーの短編、19世紀のペテルブルグを舞台にした『白夜』は、こればで、57年にルキノ・ヴィスコンティ―によっても映画化されてるそうです。ブレッソンの方の映画はパリに舞台を移し、セーヌ川とポンヌフを背景にそこですれ違う男女を見つめていく、という仕立てになってあります。

パンフレットには「'70年代の美しいパリの街、今なお新鮮なマルト(女性主人公)のモダンな装い、セーヌの恋人たちをうっとりさせる歌や音楽、漆黒の川面をゆきかう観光船のまばゆいばかりの美しさ・・・・一度見たら忘れられないシーンで胸がいっぱいになる大人の恋の映画」とあります。

まず題名に『白夜』とありますが、原題は「Quatre Nuits d'un Rêveur」とありまして、「夢見る者の四夜」なんですよね~。実際主人公の男女ふたりの物語は4夜で終わりますからね。ドストエフスキーの原題も『白夜』なのかな??

まぁこういう事はよくあることだからいいとして、確かに映像は美しかったです。主人公二人も美しかったですし。とにかく、パリの街を歩く姿をたくさん映しますよね。そして歩く靴の単調音がいつまで続くの?という場面もありました。あれは意図的なのかな?ヒールの音がなかったら退屈で全然観れないですよね。

場面は主人公画家のジャックがポンヌフ(パリにある橋の名前)で自殺しようとしている美しい女性マルタに出会うところから始まります。彼女が自殺しようとした原因は失恋なんですが。その後ジャックが止めたのかどうか覚えてませんが(笑)とりあえず自殺は未遂で、二人は翌日同じ時間、ポンヌフで会うことを約束します。

それからお互いの事を話し合う夜が第1夜~4夜と続くわけです。

どうなのかな?美しいかったのかな?物語的に?

主人公の男性ジャックは孤独な青年で、理想の女性との出会いを妄想してはそれを詩みたいなのにして、テープレコーダーに吹き込んでいるような男性。→ただの気違いですね。詩を創るのはいいとして、なんでテープレコーダーに録音すんだろう?

そして、道で会った女性にすぐ恋に落ちて、その人の後を惹かれるようについてってしまう。→これはコントですね。そしてそのことを「僕はこういう性分なんだ」的なさも苦悩した顔でいう。

そして傑作なのが最後のシーンで、傷心のマルタは4夜優しいジャックと語り合う中で、「私はあなたの方をこれから愛していくわ」的なことを約束した直後、昔の彼と偶然街で会ったとたん、ジャックの目の前で速攻で何の悪びれもなくそっちに行っちゃうんですね~。

これは面白かったですね。速攻というのは語弊があるかもしれません。詳細には、昔の彼の方に一度走り寄ってキスをし、そのあとジャックの方に戻ってきて濃厚なキスをし、その後また昔の彼の方に普通に何事もなかったかのように走って行って一緒に歩いていくんですね。

ここらへんのシーンをもっと成熟された大人の方が見れば、私の解釈に対して「何をいってるんだ。ここの行き来に彼女の葛藤や躊躇があるんだ」とかおっしゃられるのかも、ですが、私には両者を行き来する振り子運動のようなマルタの足取りの軽快さが実に滑稽に見えました。

悲劇ってちょっと間違うと喜劇ですよね。(加賀谷)

http://www.youtube.com/watch?v=CzqPRrU5MVw →ロベールブレッソンの紹介

 http://eiga.com/news/20121024/2/ →白夜

 

 


ベタ

2013-08-04 15:02:08 | 映画

八木君、嫌いなさんさ踊りの喧騒の中、修論本当にお疲れ様でした。無事に終わってよかったです。

さてさて、ベタな物語という事でしたが、といいますか、「ベタ」という日本語を私は使わないので、そこで共通理解があるか怪しいですが。なので誤解があったら申し訳ありません(汗)、

私はあえてその「ベタな(といわれる)」作品に感動した人に対する危惧を指摘し、なおかつその上で現実を動かすような「理想」(≠ベタな物語)は大事だ、という趣旨だったのですが・・・。

「ベタ」って言葉はよくわからないけど、自分の解釈では、自他の感情に距離がとれなくて、なんか相対的じゃなくスマートじゃない、という感じでしょうか?ありきたりという意味でも使われるのか。そうするとベタといわれるものと「理想」って全然違うものですよね。

>「時代の欲求」によっては「凡庸な物語」が必要なこともある、なんて絶対にありえない。

 >芸術にそんな役割があるならば、芸術はこの世界には必要ではないでしょう。

 

これは完璧私自身は言ってないですね。まず私自身が宮崎さんの作品が「凡庸」でベタ?だと思ってない。これって凡庸でベタなんですかね?

少なくとも「理想」という言葉で示したものと「ベタで凡庸な物語」を等値はしてませんね。理想とロマンとは等値したとは思いますが。

ただ、そこに第九条の話がいきなり来たので(私の中ではつながってるのですが)、論理の飛躍みたいに聞こえるな~と、後でかなり反省いたしました。申し訳ありません・・・!!

 

>こんな世界だから退行的なロマンティシズムが必要、という態度は作家においてはただ単に怠慢なだけです。

>時代がロマンを必要とするならば、それは最新のロマンである必要があるし、それはベタな物語構造で成り立つようなものではないと思います。

これはまさにおっしゃる通りだと思います。それを前半部分で言ったつもりなんですけどね~。つまり、私は宮崎駿の作品を「ベタで凡庸で退行的な物語」とは思っていないわけです。

ただ、最新のロマンという進歩?主義的なもの、ロマンは進歩するというのはあまり考えたことなかったですね。

なんとなく、「普遍的」なものとぼんやり思ってましたが、それは面白いですね。(加賀谷)

 


「風たちぬ、生きなければならない」

2013-08-03 14:10:47 | 映画

映画「風立ちぬ」の内容はこれから見に行かれる方に失礼ですので、私も深くは立ち入りませんが、確かに美しく、古典でいう「あはれ」といった感じでしたね。

ちょっとだけ言わせて頂くと、主人公の声です。状況や情景を写実的に描写するような淡々とした声が現実ばなれしている感があるので始め違和感があったのですが、それが逆に菜穂子が喀血して倒れた場面なんかではすごくギャップとなって迫ってきたりするんですよね。あの声には賛否両論あるみたいですが、私はきらいではなかったですね。

 そして別れ際が極端に?スマートな青年なんですよね。まさに風とともに来て、風とともに去るような人。主人公にとって、まさに菜穂子その人が「風」のような人だったのですが・・。

菜穂子と主人公が再開する泉(?のような場所)で起こる男女の無言の掛け合いや恥じらいは、とても日本的に感じました。西洋人同士だったらああはならないでしょ、と思いますね。かと思えば、キスを挨拶のようにし合うモダンなところがあったり、そのギャップなども楽しみました・・・。

深く立ち入らないと言っといて結構物申してしまいました!!

 

私はこのような美しい「ロマン」は敢えて必要なのではないかと思いました。ことに現代は。その理由は次回(加賀谷)