ロシアで学ぶ万年学生の越冬生活

日々思った事を、徒然なるままに書いていきます。

秋田美人とロシア人の関係?

2010-10-24 04:39:48 | Weblog
なぜ秋田に美人が多いの?俗説その1

ロシア人説:秋田には色白の肌をしている女性が多いとされてます。その中で秋田県人のDNAとロシアや欧州でのDNAタイプが似ているので、その昔ロシア人やヨーロッパから渡ってきた人が秋田に住み着いたという説があります。

秋田美人について|秋田県観光ガイドより



同様の説をあるテレビ番組でもしてました。
千年以上前にロシア人が秋田に移り住んだとか言ってたけど・・・。

http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-category-134.html



  『私的見解』


 遥か昔、満州地方(中国東北地方及びロシア・沿海地方)には粛慎(しゅくしん、みしはせ、あしはせ)と呼ばれてツングース系狩猟民族が住んでいたとされている。彼らは中国最後の王朝を築いた満州族(女真族)の祖先にあたると考えられている。粛慎の文字は日本書紀にも見られる。佐渡島に彼らが居たとされている説もある。同じ種族ではないにしろ、日本の周辺には漢民族以外にもツングース系の国(渤海国など)があったのは事実である。大和朝廷を中心とした大和政権の他に、東北地方や蝦夷地にいたアイヌ族が民族不明とはいえ、海を超えた沿海州にいた粛慎と交易をしていたのは想像できる。その一部が東北地方に移り住み、日本に居た民族と同化していった。


 仮にDNAの類似点が見つかったならば、それはロシアが歩んできた歴史のある時期に関係があると思う。現代のロシアの大部分がアジアからの騎馬民族によって征服された『タタールの軛』である。この時代にロシア人の中にアジア人の血が入った。チンギス・ハーンの遺伝子は世界で一番広がった遺伝子だと言われている。モンゴル帝国を建国したチンギス・ハーンは元々『ボルジギン氏族』と言う男系氏族の者であり、ボルジギン氏族はモンゴル国ヘンティー山脈のブルカン山を源流とする黒竜江(アムール川)の支流であるオノン川流域に住んでいた。そして彼の中にも連綿たる過去の祖先のDNAがあるはずである。その中には沿海州に住んでいた遊牧民の物もあったのだろう。(チンギス・ハーンよりさらに昔に、フン族のアッティラが同様の進撃をヨーロッパ諸国にもたらした。)


 中央ユーラシアの大部分に当たる、沿海州からモンゴル平原、さらにはカスピ海沿岸には古来より匈奴、靺鞨、突厥など多くの遊牧民が暮らしていた。周辺諸国の遊牧民と時には交易をし、時には戦争をしながら民族の入れ替えがあったと考えても自然であろう。その中には沿海州にいた民族が含まれていても不思議ではない。言語学的に見てもモンゴル諸語、ツングース諸語とはいくつかの言語の特徴を共有するため、テュルク諸語とこれらとをあわせてアルタイ諸語と呼ばれている。共通する特徴を持つということは何らかの交流があり同化していったことを裏付けている。


 ちなみにロシアが遊牧民に支配されていた事を物語るオペラが『イーゴリ公』«Князь Игорь»であり、日本では『韃靼人の踊り』«Половецкие пляски»は第2幕の曲に出てくる有名な曲である。

動画:Князь Игорь хор и половецкие пляски


動画:だったん人の踊り・日本語字幕付き


歌劇『イーゴリ公』の世界



 チンギス・ハーンが統一したモンゴル民族の支配を機にヨーロッパへと広がったDNAは、遥か昔の民族のDNAであり、仮にその民族が日本に民族とも交易をしていたならば、日本とロシアで同一のDNAが発見されても特に不思議なことではない。ただ、それはロシア人の物ではなく、沿海州に住んでいたであろう歴史の中に消えていった民族の物であると考えるのが自然な気がする。


 歴史の中に消えた言語と民族の関係、それを現代から知識を元にして推測するのは人類が歩んできた歴史を遡ることであり、とてもワクワクするし冒険心を刺激されるものなのである。言語学を学ぶ楽しみと学んでいる時間が無駄では無いと思える時でもあるのだ。

紀元前1世紀頃の極東アジア



信憑性が薄いサイトもあるけれども・・・。

探検隊日誌『河童と語る歴史』

朝鮮工程

ツングース 概史

鬼の誕生 鬼(大竹丸) 女神(瀬織律姫)

大師が杖を突いたら泉が湧いた?