木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

生き方

2013-03-02 | 社会

個人主義とか自由主義とやらで「おひとり様」が繁殖している

近い将来には、更に増加すると予測されている

人は独りで生まれ(母より出でるのだからこの表現には、些かの異論もある)独りで死ぬ

その場所が、何処であろうと人と生まれれば必ず露と消え去る宿命だ

生まれ方は、ともかく、去り際は実に多種で、あれほど高名な方がなぜにあの様な死に方を・・・

その逆もあり、人生の不思議を実感させられたりするものだ

 

因果応報とかいう素晴らしい表現がある

さしずめ筆者の場合は、猫の習性の如く、人気のない場所でひっそりと絶えるはずだ

「孤独死」というが、あれは全くの自然死であり動物本来の死に方である

それをとって付け足した様に”孤独”と書けば何やら寂しげで陰気臭くないかえ?

施設、病院、ふたり以上の同居のある自宅で、医療過誤、延命治療の末、鼻からチューブ、胃瘻で息を引きとれば大往生となり決して孤独死とは称されない

この世とおさらばした瞬間に孤独であっても孤独だったとは評さない

黄泉への旅に家族が、医療従事者が、介護者が、同行するのか?

考えれば、アホ臭い話である

 

誰の造語か知らないが、独居で息絶えれば、それみたことか独りは不幸だろう

死ぬ時にすら誰も居ない

 

 

しかし、独居高齢者宅の介護をさせて頂いているが、全くの独身者は少なく、過去に家庭を持ち血族を成した高齢者が多い

しかも、わざと独居形態に変容させヘルパーを家政婦代わりにして親の面倒をみない、老親を扶養する義務を放棄している金満家は数知れない

彼らの人生をとやかく言うつもりはない

心配しなくてもこの親にしてこの子なのかもしれない

たぶん、樹の股、キャベツの芯から、オギャ~と生まれたので親の顔さえ無記憶なのだろう

そろそろ、この国でも「生き方、死に方」の死生観を幼少時よりしっかりと教える必要がありそうだ

死ぬと云うのは生きる事なのであるから。

 



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