木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

日本国の人権

2014-07-30 | 社会

日本国憲法は、国民主権(主権在民)、平和主義とならび、基本的人権の尊重を三大原則としている。

基本的人権とは、人間が、一人の人間として人生をおくり、他者とのかかわりをとりむすぶにあたって、決して侵してはならないとされる人権のことである。すべての人間が生まれながらにして持つ。

基本的人権は、生命財産名誉の尊重といったような個別的具体的な権利の保障へと展開することが多い。このため、体系化されているさまざまな権利を総称して「基本的人権」ということもある。

人権に関する法律の整備の基本的な部分は、主に内閣府法務省が担当しており、法務省の人権擁護局がその中心となっているほか、必要に応じて担当する省庁が法律を整備している。

 

先般、女子高校生間の殺人事件が起きた。

マスコミは、いつもながらに被害者を曝し者にして視聴率を取ろうとして、被害者及び周辺の人権を侵す。

未成年者の画像を垂れ流し加害者側の画像公表は皆無である。

2ちゃんねるを称賛するわけでもないが、加害者の画像は近日に投稿され周辺情報も詳細に得られる。

殺人事件に少年法は不要で精神障害があるにせよ更生出来るはずもなく偽名使用許可を得てまで社会復帰をさせるべきではあるまい。

障害者であれば特に容易に社会復帰させては善人が被害者になるのは必至だ。

私は現在、福祉大学在学中で更生論も学んだが、所詮、机上論であり、上から目線の性善説法律用語、心理学用語を羅列しても改善されないことを憂慮する。

そして、机上論単位を得て清流に棲む者が泥から生まれ濁流に流され曲がりくねった根性を更生させるのを生業としても心に響かず体裁論だけで社会復帰させる危惧を払拭出来ない。

人は性悪に生まれ悪に染まり慣れれば善を滅亡させる。

学問が善を教える道具の最先端らしいが、前述の如く女学生が殺人事件を起こす時代ではその説も通用しなくなっている。

 

職場でも計算高い営業社員が業者と結託して容易には解明出来ない手法で会社を食いつぶす例は頻繁にある。

その被害者は、いずれも開拓精神逞しい清濁併せのむ初代ではなくそれに続く代の経営者である。

これは何を意図するのか?

金銭をかき集めて器を巨大にすれば多くの社員を雇用し社会に貢献した事になる。

それを片っ端から害虫が喰い荒し、手を打たずに見過ごせば、組織の壊滅は一瞬だ。

初代が汗水垂らし築き上げた城も気を抜けば落城は早い。

 

ここで、この場合の加害者は、どうか・・・?

経営者が黙示すれば単なる倒産劇で終え提訴すれば刑事・民事で裁判の結果、相当の罰則が付与されるが極刑になるほどの刑罰ではない。

一方、被害者は、どうだろうか?

離婚、一家離散、破産、自死・・・いずれにせよ、築城の苦労も泡と化し、ろくな結果には至らない事は容易に推察される。

 

どう考えても加害者が守られ被害者の泣き寝入りが多いように想うのは邪推だろうか?

このままでは途方もつかない国になり口先ばかりのワルでなければ生き残れない社会になりそうだ。

 

 

日本国に限らず、行きすぎた人権国家、無法国家、野蛮国家は、極論を言えば同レベルの国家のような気がする。

 

 



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