木の下で話しましょう

ソトコトとは、木の下で話しましょう、というアフリカ語源の福祉用語です。

流行歌

2013-09-16 | 社会

かれこれ十年前になろうか・・・

中国、主に北京周辺のツアーに参加したことがある。

固有名詞は記憶にないが、某公園にて中高年の集団がアコーディオンを伴奏にコーラスをしているのに遭遇した。

ガイドに訊ねると、元紅衛兵の集団で結社禁止のお国柄で年金暮らしの高齢者が、コーラスで余暇を潰しているとの答えが返った。

この国の定年は日本より早く五十台らしく、政治に翻弄された世代であった。

国粋主義で奉仕しては、政権の変遷で極刑に科せられるのでは、たまったものではない。

隣国の諸事情は、なにかにつけて極端で野蛮な気さえしてならない。

 

牙を抜かれた者でも政府は用心をしているようで周辺には制服姿の軍人が見張っていて曲名も限られていたようだ。

あの頃は、トイレにさえ憲兵が居て用を足した後、検査をし了承を得てから表へ出ることが出来た。

ガイドから在中の期間は、絶対に政府批判をしないように、すれば連行されると脅迫のように思える説明を受け日本語を話す中国人の身を案じたほどで、北京空港での別れ際、我々が声を揃えて礼を述べると、辺り構わず号泣し姿の見えなくなるまで両手を振り続け見送ってくれた。

 

あれから筆者も年金暮らしになり、毎日が日曜日祝日になった。

若いころに気ままに暮らしたせいで貧乏なので、たまに誰彼となく暇な輩を誘い格安カラオケへと足を運ぶ。

3時間ほど唄えばネタも切れ果て夕食の頃になる。

千円札1枚で充分事足りる。

帰宅をしてからビデオ編集をしてYouTubeへupする。

今時、珍しいADSLのせいかどうか4分程の動画+唄に平均90分要する。

毎回30動画程度を保存するので3~4日は、PCを点け放しにしておく。

 

流行歌は時代を物語る。

筆者の選曲は、殆ど昭和歌謡で、それも誕生前の曲が多い。

友人から「なんでそんなに旧い歌を知っているのか?」と訊かれる。

筆者の生家では、父親が音楽好きでいち早く蓄音器を買い次にプレーヤー付きラジオを買った。

これらは、筆者の生前からあった。

それから流れる曲が「誰か故郷を想わざる」「踊り子」「弁天小僧」「赤いランプの終列車」「哀愁列車」・・・・であった。

日本にTVが普及したのは、ずっと後年のことである。

 

とはいえ、61歳までカラオケをしたことがなかった。

なぜかしらカラオケに興味のないお方らに囲まれていたし自身も音痴ゆえとても唄えないと思い込んでいたのである。

 

なぜ?はまったのか?

60歳で就職した女社長が、筆者を夜遅くまでスナック、カラオケへ連れ周り、最初は拒否していたのが、そういうわけにもいかないような設定になり唄ったのが「月がとっても青いから」であった。

あまりの旧さに驚かれた。

それから癖になり暇になれば友人知人を誘い出掛ける。

まさかYouTubeで公開するとは思いもしなかったが、唄い放しでは勿体ないので誰も来ずとも公開している。

一寸先は闇・・・この格言が好きなのは、一寸先は、なんでもあり、だからだ。