日曜日の午後、子供、孫、親族らの訪問を終え、誰も居なくなった部屋のベッドから「小便したいから起こしてくれ」と爺様の声がした。
医師によれば、彼の生命は持って七月中旬らしい、今日は7月8日で爺様の誕生日である。
前夜祝のケーキの残りを爺様に食べさせてから、全員(12名)で平らげ、ばいばい、と、手を振りながら帰り去ったのだ。
私は上階で声の入らないモニターを見つめていた。在宅ヘルパー、看護師、家政婦、総出のターミナルケアシフトである。
階下より「帰りますのでよろしくお願いします」との声かけで降りて彼らを見送り机の前に座して記録を書いていると「お~い」の声がしたのである
まずは寝たきりの無筋肉骨体美の爺様を起床させてからベッドの端に身体を回転させ座位にした
取り敢えず立位にしなければ歩行は出来無い、健康であればどうってことのないこの仕草がなかなか実現不可能なのである
1回目・・・筋力が萎えているので手、足に力が入らない
2回目・・・「よっこらっしょ!!」その辺にある椅子で周辺を防塞のように固めつかまれと言っても掴めない・・・・
3回目・・・「最期の挑戦!!」・・・・「むむむ」・・・力んでいたが、すとん、と、ベッドに尻もちをついた
(悪いけど、真に申し訳ない話だが、彼を担いでトイレ迄歩けるほどに私はタフではない、いたって普通の金も力も根性さえもない公認の不細工なババアなのだ。)
「どうしますか?例え歩けても途中で転びでもしたらか弱い私の筋力では起こせないと思いますけど」
「わかってる、しゃあないから諦めた、また元に戻して」
先とは逆バージョンで就寝体勢に戻したら、ベッドから両足が出るので身長を訊ねたら「180cm」と応えた
昭和19年生まれなので、ま、高い方に違いない
骨ばかりで肉のついていない寝たきりなのでこんなに大きいとは思いませんでした、というと「そうか、大きい方やった」と自慢した
旧い名刺があったので質問をすると色々と経営したようで整体もしていたらしい、昔は少なかったが高齢者が増殖した昨今は、商店街でも10軒向こうには整体屋がある
「ちょっと来て身体を揉んでくれ」
整体屋だったからどうすれば良いのか訊きながらその通り揉んだ
「揉むとマシですか?」
「痛いんじゃ」
「強く揉んだら痛いですか?」
「いいや、鳩尾(みぞおち)を揉んでくれ」
「急所だから怖いな~」
「え~から」
末期ガンで腹水が溜まり胸を圧迫して苦しいのだろう
揉みながら腹部は、まだ固くなってないというと「そうか」とだるそうな表情であるが、写真立てにある3人の映像のどれかさえ判明不良でほぼミイラ状態に痩せている
肩を揉み足を揉み腹部を揉みほぼ全身を終えると「もう、え~わ、ありがとう」と力なく礼を言った
ドン!と家が揺れた
「地震みたいだけど、どうします」
「もう、え~」
「そうですね、私もやりたいことをやって生きたから今さら逃げて助かってもどうってことないからこのままで居ましょう」
TV中継の大相撲の途中で”震度1”とテロップが流れた、大雨災害情報は途切れない
それから4日目の夕方
「様、先ほどご逝去されました」の着信メールがあった
最期まで自力で用を足そうとして力を振り絞り挑戦した、あなたの男気は天晴れでした。
合掌