天北トンネルを抜けた天北線の列車は、左側から寄り添う栄川を渡って、栄川によって開けた地形に沿って峠を緩やかに下り、小頓別駅に至っていたが、線路跡に生えた木々が成長して歩くのが困難な箇所が多かった。
栄川に架けられた第1小頓別川橋梁(Iビーム1連)を渡った11.5キロ地点付近に天北栄仮乗降場があったが、仮乗降場があったとされる場所の辺りには、左手にわずかな広場と細い道があり、右手に盛り土らしきものがあっただけで、ホームの位置の特定は不可能であった。
地元の方によれば、一時期は一大集落を形成していたという事だが、誰一人住んでいない現状からは、にわかには信じ難い。
天北栄仮乗降場があった辺りを抜けると周囲は開けて、栄川沿いに大きく右に曲がって東から南へ進路を転ずると、やがて第2小頓別川橋梁に至っていた。
第1小頓別川 橋梁 (11km476m)
4m57 Iビーム×1
製造銘鈑行方不明の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1973年9月 K.K 伊藤塗工部 塗装
コンクリート製橋台(コンクリート製翼壁)
特になし(2003年11月調査時)
天北栄 仮乗降場 (11km---m)
全て撤去(2003年11月調査時)
南稚内方右側にホームらしき土盛りあり(2003年11月調査時)
南稚内方左側に広場らしき空地と林道あり(2003年11月調査時)
備考:仮乗降場の位置は11km480m~11km540m付近にあったものと推測される
栄川に架けられた第1小頓別川橋梁(Iビーム1連)を渡った11.5キロ地点付近に天北栄仮乗降場があったが、仮乗降場があったとされる場所の辺りには、左手にわずかな広場と細い道があり、右手に盛り土らしきものがあっただけで、ホームの位置の特定は不可能であった。
地元の方によれば、一時期は一大集落を形成していたという事だが、誰一人住んでいない現状からは、にわかには信じ難い。
天北栄仮乗降場があった辺りを抜けると周囲は開けて、栄川沿いに大きく右に曲がって東から南へ進路を転ずると、やがて第2小頓別川橋梁に至っていた。
第1小頓別川 橋梁 (11km476m)
4m57 Iビーム×1
製造銘鈑行方不明の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他一切不明
1973年9月 K.K 伊藤塗工部 塗装
コンクリート製橋台(コンクリート製翼壁)
特になし(2003年11月調査時)
天北栄 仮乗降場 (11km---m)
全て撤去(2003年11月調査時)
南稚内方右側にホームらしき土盛りあり(2003年11月調査時)
南稚内方左側に広場らしき空地と林道あり(2003年11月調査時)
備考:仮乗降場の位置は11km480m~11km540m付近にあったものと推測される
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