このトンネルの探索は仲間と数名で行ったが、探索自体は特段新しい発見があった訳でもなく、戦前にコンクリートブロックで作られたトンネルの状態は比較的良好で、むしろ、探索直前のハプニングが楽しかった事が印象に残っている。
ここで言うコンクリートブロックとは、ホームセンターで販売されている軽いものではなく、レンガのように中身が詰まった塊である。
探索にあたり、我々は道道1049号から1062号に直接入らず三毛別川の支流から川沿いに分け入った。
1062号からアプローチしなかった理由は今となってはよくわからないが、多分トンネルのある場所から離れてしまうからだと思う。
畑の脇にあるあぜ道をうねうねと進んでまもなく、車を止めるにはおあつらえ向きの広場が見えてきた。
そこから探査しようと思い思いに車を止めたのだが、私のレンタカーのタイヤが埋まってしまい、もがけばもがく程埋まっていった。
仲間の車で牽引してもらおうにも、よりによって仲間の車から離れた場所に停車した為、ロープが届かない。
ロープをつなげる場所まで仲間の車が近寄ったものの、逆に仲間の車が埋まりそうになってしまい、脱出を断念してJAFに依頼する事になった。
だいぶ時間がかかって苫前からJAFが到着して、あっさりと引きずり出してもらい助かったが、その広場が道道1062号の工事現場であったとわかったのは、脱出後の事であった。
トンネルの探索も問題なくスムーズに終わり、昼に羽幌の信用金庫で金をおろすはめとなったのであった…。
古丹別 トンネル
入口:留萠起点37km655m40
出口:留萠起点38km316m21
抗道アーチ部分の材質:コンクリートブロック
(抗口付近は抗道側壁部分もコンクリートブロックのようだ)
抗門及び抗道側壁部分の材質:コンクリート
留萠側抗口
アーチの部分に四角い模様が見えるが、あれがコンクリートブロックである。
風化して崩れているのがわかるだろうか?
補修箇所の延長(メートル単位)を示すマーキングが見受けられる
退避用のマンホールに取り付けられていた金属板は何だろうか?
ウレタンを貼り重ねた上でコンクリートを吹き付けているようだ
足元に起点38キロ200メートル地点を意味する距離標の金属板が転がっていた
前出の距離標の金属板の場所から出口を望む
C=55 S=15 の板の隣にある8のように見える数字の板が何なのかわからない
起点38キロ300メートル地点 先ほどの起点38キロ200メートル地点の距離標の金属板は本来トンネルの側面に貼り付けられる
起点38キロ300メートル地点より出口を望む
幌延側抗口
ここで言うコンクリートブロックとは、ホームセンターで販売されている軽いものではなく、レンガのように中身が詰まった塊である。
探索にあたり、我々は道道1049号から1062号に直接入らず三毛別川の支流から川沿いに分け入った。
1062号からアプローチしなかった理由は今となってはよくわからないが、多分トンネルのある場所から離れてしまうからだと思う。
畑の脇にあるあぜ道をうねうねと進んでまもなく、車を止めるにはおあつらえ向きの広場が見えてきた。
そこから探査しようと思い思いに車を止めたのだが、私のレンタカーのタイヤが埋まってしまい、もがけばもがく程埋まっていった。
仲間の車で牽引してもらおうにも、よりによって仲間の車から離れた場所に停車した為、ロープが届かない。
ロープをつなげる場所まで仲間の車が近寄ったものの、逆に仲間の車が埋まりそうになってしまい、脱出を断念してJAFに依頼する事になった。
だいぶ時間がかかって苫前からJAFが到着して、あっさりと引きずり出してもらい助かったが、その広場が道道1062号の工事現場であったとわかったのは、脱出後の事であった。
トンネルの探索も問題なくスムーズに終わり、昼に羽幌の信用金庫で金をおろすはめとなったのであった…。
古丹別 トンネル
入口:留萠起点37km655m40
出口:留萠起点38km316m21
抗道アーチ部分の材質:コンクリートブロック
(抗口付近は抗道側壁部分もコンクリートブロックのようだ)
抗門及び抗道側壁部分の材質:コンクリート
留萠側抗口
アーチの部分に四角い模様が見えるが、あれがコンクリートブロックである。
風化して崩れているのがわかるだろうか?
補修箇所の延長(メートル単位)を示すマーキングが見受けられる
退避用のマンホールに取り付けられていた金属板は何だろうか?
ウレタンを貼り重ねた上でコンクリートを吹き付けているようだ
足元に起点38キロ200メートル地点を意味する距離標の金属板が転がっていた
前出の距離標の金属板の場所から出口を望む
C=55 S=15 の板の隣にある8のように見える数字の板が何なのかわからない
起点38キロ300メートル地点 先ほどの起点38キロ200メートル地点の距離標の金属板は本来トンネルの側面に貼り付けられる
起点38キロ300メートル地点より出口を望む
幌延側抗口
先日、同じルートで行こうとして、積雪のため断念しました。
1062号からアプローチしなかった理由は、そのとおりです。
道道から攻めなかった理由はやはりルート上の問題でしたか。
ところで、古丹別トンネルの殉職者の件ですが、もしかすると番屋の沢仮乗降場近くの墓地に何か手がかりがあるかも知れません。
前回はトンネル入口のところで引き返しましたが、今度は番屋の沢仮乗降場のところまで足を伸ばしてみたいですね。