数日前懐かしい声で電話が入りました
「オカアサン オボエテイマスカ?ヒサシブリーデス!」
15年前アメリカから高校交換留学していたアリ○ンからでした
1年間の留学期間のうち最初の3カ月我が家はホストファミリーだったのです
今休暇で来日しているとのこと
週末我が家に里帰りしてくれました
当時から国際的な仕事がしたいと 日本の高校生に比べとても意識が高く勉強熱心だった彼女でしたが
そのビジョン通り
アメリカの政府組織の海外援助機構に所属し
現在はアフガニスタンで勤務しているとのこと
過去にはウクライナでも勤務しており
夜遅くまでこれまでのことや近況など興味深い話が弾みました
ミシガン州から初来日し 我が家に到着した当時は自己紹介くらいしか日本語をしゃべれなかった彼女
ほぼ1年で上達して帰国しました
現在でも日本語を忘れていなかったのはいやいや驚きです
それに比べ私の英語スキルは退化極まりない とほほ
(もとい…そもそもスキルそのものが当時から無かったとも言える)
「死ぬまでに日常会話の英語を話せるようになる」の目標はどうなることでありましょう
アリ○ン里帰りの昼間は板野町歴史文化公園・バルトの庭・さぬきうどん店など
夜は彼女のリクエストで一緒に料理をし
狭い我が家で里帰りお家ご飯
10代だったあの頃からすっかり大人になって
お酒で乾杯です
「またいつでも実家だと思って帰ってきてね」
ハグしてお別れ
懐かしい写真も見つかりました
2001年彼女が帰国したあと
私たちがミシガン州のお宅へへお邪魔した時の想い出が蘇りました
政治がからむとかなしい状況ですが
どうか日中の親子関係を繋げてください
結婚式にご招待だなんて
こんな嬉しいことはないですよねー\(^o^)/
我が家も、中国から日本へ留学していた彼と、帰国後もお付き合いしています。
今回は、彼の結婚式に招かれました。
いつまでも、覚えていてくれて、嬉しい限りですね。
日本のパパ、ママと、大歓迎してくれました。
次回は是非とも、二人で日本のパパ・ママに会いにきてねと。
たぶん最初は辛かったと思いますが
彼女はとても頭のいい子で志が高かったから
頑張ったのだと思います
次の年 うちの長女も交換でアメリカの高校留学をさせていただきました
決まりで「最初の3カ月は実家に直接連絡をしてはいけない」でした
やはり泣いたそうです
でもホストファミリーはいい方ばかりだったようでラッキーでした
先代シータには再会できなかったけど
二代目シータがおもてなししましたよ
3ヶ月だけのスティだけで忘れず
里帰りして下さったのですね
日本語も忘れずに偉いですね~
昔、親戚の娘さんがイギリスに語学留学したものの
とても厳しい家庭で、泣いて電話をして来て 親が迎えに行きましたよ
もう少し頑張ったら流暢な英語が話せたのにと
勿体無く思ったものです。行き先がニュージーランド辺りなら良かったのかもね
シータちゃん 青いお目目のお客様 楽しかったですか
うわべだけの無理して繕った繋がりはすぐにキレるもんですが
当時我が子と同じように家族として過ごした絆があったのだと思うと嬉しかったです