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44歳 ~人生を語りたくなる年頃~

南 武志/621&アソシエイツ。広告業界の転職エージェントが20代、30代の方に綴っていきます。

堀江さんと村上さん、復活するのはどっち

2006-06-16 15:45:45 | 全ての出来事は最善のために起こる
私は、法律とは「正直者が得をする」ために施行されるものだと解釈していますが、堀江貴文氏と村上世彰氏によって正直者が損をしたという現実があるわけですから、彼らは「馬鹿者が損をしたのだ」と受け取られるような発言はすべきではありません。

2006年6月16日現在、私は、個人的には堀江貴文氏の方が、村上世彰氏よりも次の人生で成功を収めるのではないかと思っています。なぜなら、堀江氏の方が一連の事件を受けて自分のこれまでの人生をしっかりと省みているように思えるからです。

自分が間違っていないとの信念があるなら、司法の場で堂々と戦えばいいでしょう。

ただし、弁護士との相談のもと、過去の判例に照らし合わせて、この程度ならばこれまでの判例では無罪になっているという方向で裁判を闘ってほしくはありません。

私は、堀江貴文という人は、本来は純粋に物事に取り組んでいく性格の人だと思っています。
そして、彼がもう一度無名のIT企業を立ち上げた頃の堀江氏に戻れるならば、世の尊敬を集める人物として、もう一度No.1の座に戻ってくるものと思っています。

人生における全ての出来事は最善のために起こるのです。

スケープゴートと思ってはいけない

2006-06-15 16:37:19 | 全ての出来事は最善のために起こる
会社の経費流用の責任を取らされて会社を辞めるというのは、本人にとっては屈辱的であり、社会に対して恥ずかしいことでしょう。

しかしながら、自らの不祥事を人生における最善の方向にいざなうためには、潔く自分の罪だけを認めることが必要不可欠です。

今年の上半期にニュース報道の主役となった堀江貴文氏と村上世彰氏のお二人においても同じことが言えます。

今の彼らに大切なことは、
「他の人もやっていることじゃないか」と思わないことです。
「自分だけがスケープゴート(生け贄)になったのだ」と思わないことです。

確かに、粉飾決算というのは、程度の差こそあれ多くの会社がやっていることです。なぜなら、日本の金融機関では、資金融資においては決算書の数字だけを見て、決算書では見えてこない企業の理念や将来性を審査段階で考慮することはほとんどないからです。

戦後の日本の経済史を顧みると、今回のライブドアのように、東京地検から粉飾決算を糾弾されることはほとんどありません。だからこそ、ライブドアの経営陣も安易に粉飾決算の方向に進んでしまったのでしょう。

また、インサイダー取引についても、本当にインサイダー取引の全てが取り締まられているかといえば疑問です。なぜなら、村上氏の言葉を借りると、「プロ中のプロ」のもとには精度の高い機密情報が次から次へと運び込まれてくるからです。

自分から取りに行かなくても、プロ中のプロのもとには向うの方から自然に精度の高い情報が集まってくるものですが、その情報を使ってはいけないと言われても、おそらく自制できる人は少ないことでしょう。

このことを考慮すると、堀江氏と村上氏にも同情の余地はあります。
しかしながら、彼らが自分の口で自己弁護してはいけません。

堀江貴文氏と村上世彰氏

2006-06-14 15:50:53 | 全ての出来事は最善のために起こる
堀江貴文氏と村上世彰氏。

わが国のIT業界と金融業界において時代の寵児となった二人ですが、ご存知のとおり、大きな挫折を経験しました。

彼ら二人は掛け値なくすごい人物です。
堀江氏については、起業家を目指す若者たちの象徴的な存在となりましたし、村上氏については、株主のあり方に関して欧米を範とするグローバルスタンダードに近づけました。

人生における全ての出来事が最善のために起こるのであれば、堀江貴文氏と村上世彰氏にとっても、今回の事件は最善のために起こったことです。
ただ、彼らが自分の心の中に、今回の出来事は自分の人生において最善のために起こったのだと認識がなければ、最善の方向にいくことはありません。

彼ら二人のみならず、不正で職を失うことは誰にでも起こりうることです。

私は7年間のヘッドハンター生活において、会社の経費を私的に流用して会社を辞めざるを得なくなった人と何人も出会いました。中には、1万円の経費流用を理由に会社を辞めざるを得なくなった人もいました。

年齢に関わらず、規模の大小に関わらず、会社の経費をごまかすことは誰もが経験していることでしょうし、出入り業者から当然のようにキックバックをもらった人もいることでしょう。

現在、不正が発覚することなく実務に携わっている人に対して、また会社が黙認してくれている人に対して、私は聖人君子のように「不正はやめなさい」とは言いませんが、運悪く自らが関与した不正を理由に会社を離れなければならなくなった場合は、「自分が悪かった」と潔く認め、恨み言は言わずに静かに会社を去ることです。

しかし、私の出会った人たちは、皆さん異口同音に「誰でもやっていることなのですが、」という前置きから話し始めました。

ボビー・バレンタインの引き際

2006-06-13 14:53:52 | 全ての出来事は最善のために起こる
千葉ロッテマリーンズ監督のボビー・バレンタインは、ロサンゼルス・ドジャーズにドラフト1位で入団した将来を嘱望された内野手でしたが、ケガに泣きメジャーで特筆される成績を残せないまま12年間の現役生活にピリオドを打ちました。

ボビーの自伝によると、現役引退か続行かで悩んでいたとき、自らを見出してくれたトミー・ラソーダ氏に相談したそうです。

ラソーダ氏は野茂投手がドジャーズに入団したときの監督ですので、ご存知の方も多いと思いますが、熱血漢として知られるラソーダ氏はボビー・バレンタインに次のように告げたそうです。
「ボビー、人生ではひとつの扉が閉まると目の前には新しい扉が開いてくるものなのだ」と。
そして、ボビー・バレンタインは、ラソーダ氏からの助言に従って現役引退を決意したそうです。

人生においては、ひとつの扉を自ら閉じることで別の扉が開くものです。
そうです。挫折とは、新しい扉を開くチャンスなのです。

もちろん、挫折によってこれまでチャレンジしてきたひとつの扉を無理に閉じる必要はありません。半分だけ開いている扉を完全に開けるために再度挑戦するという選択肢もあります。

中には、どれだけ押しても半分しか開かなかった扉が、手前に引くことで簡単に開くこともあるでしょうし、両扉を一緒に押しても開かなかった扉が、片方の扉だけを押すことで開くこともあるでしょう。

押していた扉を引いてみる、
片方の扉だけを押してみる、
つまり、これまでの違ったやり方で再度自分の夢にチャレンジしてみようとするきっかけが、ひとつの挫折によってもたらされることもあるのです。

人生における全ての出来事は最善のために起こるのです。

さて、この項の最後に、今年の上半期に大きな挫折を味わった二人の人物、堀江貴文氏と村上世彰氏について少し述べていきましょう。

潔さが人間の価値を高めます

2006-06-12 15:02:57 | 全ての出来事は最善のために起こる
人生における全ての出来事は最善のために起こります。

ということは、小さい挫折か大きい挫折かに関わらず、挫折もあなたの人生を最善にするために起こることです。

プレゼンテーションで競合他社に負けた。
入社試験で第一志望の会社に不採用になった。
勤務していた会社が業績不振でリストラされた。
自分の会社を起業したが事業に失敗し倒産した。

挫折とまではいかなくても、自分の希望する道が閉ざされたときというのは周囲に対して恥ずかしいものです。自分ひとりでは耐えられても、家族や友人や知人にいろいろと聞かれるのは辛いものです。

他人は、あなたがなぜ失敗したのかを一番聞きたいわけですから、思わず事実とは違う言い訳をしてしまうものです。

挫折に直面したとき、一番大切なことは「すべて自分が悪かった」と思うことです。
そして、間違っても他人に責任を押し付けるような真似はしないことです。

そして、自分が悪かったと本心から思うことで次の扉が開かれるのです。

自分の心に素直に答えましょう

2006-06-11 16:56:45 | 全ての出来事は最善のために起こる
オーディションや入社試験で合格する秘訣があるとすれば、何も考えずに素のままの自分を表現することでしょう。

私は、ヘッドハンターという仕事に7年間携わってきましたが、面接では、たった一つの受け答えによって合否が左右されることはありません。
このことは、面接官として採用する側に立った経験のある人には理解していただけるものと思います。

つまり、合格する人はどんな受け答えをしても合格するものですし、逆に不採用になる人は別の受け答えをしても不採用になるのです。

入社試験で不採用になった人から、「あの質問にこう答えていれば合格していたかもしれないのに」というコメントを聞くことがありますが、残念ながら、不採用になる人というのはどのように答えても不採用になるのです。

背伸びすることなく、
目立とうとすることなく、
無理にうまく見せようとすることなく、

素のままの自分でチャンスに挑むことのできた人だけが、入社試験やオーディションを突破していくのです。

素の自分を出した人が夢を掴む

2006-06-10 15:50:58 | 全ての出来事は最善のために起こる
私は、以前にこのブログで「これが最後のチャンスだと思わなくていいのです」と記したことがあります。
そして、前向きに生きてさえいればチャンスは何度でもやってきますと記しました。

ひとつのチャンスを逃してしまったときというのは、天がその人に「まだ、あなたはこのチャンスを掴むだけのレベルにはありませんよ」と教えてくれるときです。

私の考える「チャンスを掴むだけのレベルではない」というのは、その時点で100%の自分を出していないということを指します。

あなたには充分な準備ができていなかったのかもしれませんし、
あなたの中の何かが邪魔をして100%の自分を出せなかったのかもしれませんし、
チャンスに挑むにあたって、自分を良く見せるために自分の色とは違う色の衣を着てしまったのかもしれません。

これまでに何らかのオーディションを受けた経験のある人には理解していただけると思いますが、オーディションで採用されるのは100%の自分を素直に表現した人たちです。

私は、日本大学芸術学部の4年生のときに放送局のアナウンス試験を何局も受け、いずれも不採用となりましたが、最初の頃は、「なぜこいつが次のステップに進むのだろうか?」と思ったものです。

しかし、今にして思うと、選考を次々に突破して行った人というのは「素の自分」を出した人たちでした。

社会を舐めくさっていた以前の私

2006-06-09 16:34:59 | 全ての出来事は最善のために起こる
人生における全ての出来事が最善のために起こるのであれば、挫折もまた、ひとりの人間の人生において最善のために起こるものです。

なぜなら、挫折によって自分の生き方の問題点が明るみに出てくるからです。
挫折によって顕在化した自分の生き方をどう受け止めるのかは個人の自己判断になりますし、短所を矯正しようとする人もいれば、逆に短所には目を瞑って長所をもっと伸ばしていこうと考える人もいるでしょう。

また、せっかく自分のこれまでの生き方と真正面から向き合える機会を得たにもかかわらず、これまでの生き方を修正しない人もいることでしょう。

さて、私は元来、能天気な性格をしていることもあってか、挫折があってもあまり深刻に受け止めないタイプです。と言いますと素晴らしい性格のように思われるかもしれませんが、私のような性格の人間は、真っ逆さまに落ちて行くときには、何も考えずに、何の抵抗もせずにひたすら落ちて行くという欠点があります。

私の母親は私のことを「お前はケセラセラだ」と言います。
「ケセラセラ」とは「なるようになる」という意味ですが、私は、入社試験に落ちても、仕事が上手くいかなくても、実に簡単にあきらめてしまいます。
下品な表現で言えば、私には「社会を舐めくさっている」ところがありました。

実は、私が自らの挫折から学んだ最も大きなことは、物事をすぐに放棄してはいけない、どこかで歯止めをかけなければいけないということでした。

おかげさまで、私はヘッドハンターという仕事を、もう7年も続けています。

挫折は尊い。自分を見直すことができるから

2006-06-08 16:30:30 | 全ての出来事は最善のために起こる
挫折。
私たちは、子供の頃から“挫折は人間を強くする”、“挫折を知らない人間は駄目だ”ということを教わりますが、そのとおりだと思います。
挫折を知るということは、自分のそれまでの生き方の問題点を知ることに繋がります。

ひとつの物事が上手く行かなかったとき、
これまで築き上げてきたものが一瞬にして崩れ去ってしまうとき、
残念な出来事や不幸な出来事によってなかなか立ち直れないほどに落ち込んでしまうとき、

このようなことは誰にでも降りかかる可能性のあることですが、一人の人間が真っ逆さまに落ちていくとき、全ての要因はそれまでのその人の生き方にあります。

つまり、その人がそれまで気づかなかった、あるいは気づいていても直そうとしなかった短所が一気に顕在化することで、一人の人間の人生を狂わせてしまうのです。

私は幸いにして、これまでの人生で身近な人を亡くしたことはありません。石川県の両親も健在ですし、親しくしている友人・知人の方々も皆さん健在です。

挫折というテーマで少し書いていきたいと思いますが、私自身は身近な人を亡くして悲嘆にくれたという経験がありませんので、ここでは、身近な人の死以外の挫折について語って生きたいと思います。

それは、入社試験での不合格や、仕事を落としたことなどです。

精神的な充足感が優しさを生む

2006-06-08 09:08:57 | 全ての出来事は最善のために起こる
manaさん、
コメントをありがとうございます。

内面の素晴らしい人というのは、自分を他人と比べる必要がないのでしょう。
別の言い方をすると、自分に自信があるから他人を気にすることがないのでしょう。

私にも経験がありますが、人間は、自分に自信があるときというのは精神的にも満たされているものです。
その、精神的な充足感が誰に対しても対等な目線で接することにつながるのでしょう。

ご健闘を期待しています。

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Unknown (mana) 2006-06-07 18:43:17

初めまして。
初めてコメントします!

そうですね・・素晴らしい人。すごい人というのは
視野も広く、視点を置くものもまた少し違うのかも
しれませんね☆