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44歳 ~人生を語りたくなる年頃~

南 武志/621&アソシエイツ。広告業界の転職エージェントが20代、30代の方に綴っていきます。

松井やよりさんとの一期一会

2006-06-07 17:08:00 | 全ての出来事は最善のために起こる
前日の記事の続きです。

驚きました。松井やよりさんといえば朝日新聞を代表する女性記者。
その人が、作業服で仕事をしている私に対して、これほどまでに丁寧なものの言い方をされるとは。

私は、人を外見だけで判断してしまったことを恥じるとともに、
「本当に能力のある人は威張らない」のだということを改めて実感しました。

私は、朝日新聞に派遣社員として入るまでは松井さんのことは知りませんでしたし、今日まで松井さんの記事を読んだこともありません。
しかし、ほんの数分だけのコンタクトでしたが、今でもあの瞬間のことを鮮明に覚えています。

「能ある鷹は爪を隠す」と言いますし、「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」という諺もありますが、本当にすごい人というのは威張らないものなのでしょう。

そして、威張らないからこそ、さらに人望を集めていくのでしょう。

人生における全ての出来事は最善のために起こります。
私にとっては、28歳の夏に食うに困って着たブルーの作業服が、後々まで自分の心に残る出会いをもたらせてくれました。

本当に凄い人は威張らないものです

2006-06-06 15:34:58 | 全ての出来事は最善のために起こる
私が朝日新聞に派遣社員として働いていた部署では、本社に届く郵便物を仕分けするとともに、社外の人との手荷物受け渡しの中継地点にもなっていましたので、各部署の人が「○○株式会社 ○○様」と書かれた荷物を私の部署の窓口に預けにきました。

トラブルを避けるために、当然のことながら荷物を預ける人は窓口の預け記録帳に、本人の所属部署と氏名、受取人の会社名と氏名、荷物の内容を書くことになっていたのですが、その業務においても、記者の中には、「面倒くさいな。こんなものいちいち書かなきゃいけないのか」とクレームをつけて預けていく人もいました。

ある日のこと。
ややお歳を召した女性の方が、私の窓口を訪れてきました。

小柄で白髪交じりのこの女性は、
「恐れ入りますが、荷物を預けたいのですが」ととても丁寧な口調で依頼してきました。

荷物の中身を確認し、預け記録帳に記入してもらうべくその女性の前に差し出したのですが、
私は、相手が小柄で高齢の女性ということで、お茶汲みのおばさんか、社員食堂のおばさんかと思ってしまい、
「それじゃ、ここに名前を書いてください」とややぞんざいな言い方をしてしまいました。

その女性は、
「こちらに書けばよろしいのですね」
と丁寧な受け答えをした後、達筆で荷姿や受け取り人名などの項目に記入していきました。

そして、最後に本人の氏名を書く欄にご自身の名前を記入しました。
「松井耶依」

私が応対した女性は朝日新聞を代表する女性記者でした。

朝日新聞の派遣社員だった頃のお話し

2006-06-05 17:27:24 | 全ての出来事は最善のために起こる
私は1991年の2月いっぱいで、新卒で入社した中央競馬ピーアール・センターを退職しました。
当時28歳でした。

そして、1992年3月に2社目の共同PRというPR会社に入社するまでの1年間はアルバイトと派遣社員で気ままに生活していました。

その1年間の間で、私が最も印象に残った出来事を記していきます。
この年の5月から8月いっぱいまでの4ヶ月間、朝日新聞社の郵便物受付の部署で派遣社員として働いていました。

仕事内容は、朝日新聞に届く郵便物を仕分けし、社内の各部署のボックスに放り込んでいくものでしたが、当時の私は食べるお金にも事欠いていた頃でしたので、「まあ、いいか」という感じで働き始めた職場でした。

新聞社というと、現場貴社を思い浮かべる人が多いかと思いますが、新聞社には輪転機を回す人がいて、刷り上った新聞を各販売所に配送する人がいてはじめて、各家庭に届けられるのです。
そして、印刷・配送に関わる人たちは作業服を着て仕事をします。

私の郵便物仕分けの部署も作業服で仕事をする部署でした。

郵便物というのは、何らかの手違いによって宛先の場所に届かないときがありますが、宛先の部署によって郵便物を仕分けする部署への対応が大きく違いました。

総務系や、印刷・配送などの工務系の方たちは、私と同じ目線で「届いているはずなのですけど調べてもらえませんでしょうか」という相談のスタンスで接してくれたのですが、これが編集局の記者になると全く違っていました。

最初から郵便物仕分けの部署が悪いというスタンスで、言葉は悪いですが怒鳴り込んできたものです。
中には、作業服組みは背広組みに文句を言うんじゃないという態度をした記者もいました。

このような環境の中で、私が今でも鮮明に覚えている出来事が起こったのです。

ヘッドハンターという職業

2006-06-04 17:44:54 | 全ての出来事は最善のために起こる
私は43歳の今日まで、決して人様に自慢できるような人生は歩いてきていません。
これまでの人生においては、私の口から出てくる舌という名のナイフで、何人もの人たちを傷つけてきたのではないかと思っていますし、私自身、何度も失業しています。

現在、私は何の因果か、人生の巡り合わせによってヘッドハンターという仕事と出会い、今日まで7年間も続けています。

恥ずかしながら、私がひとつの仕事に7年間も就いていたのはこの仕事がはじめてです。
もしかすると、私に向いている職業なのかもしれませんが、私は今、人生における全ての出来事は最善のために起こるという言葉が正しかったことを実感しています。

そのことのひとつの例として、ここから何回かにわたって、私が28歳の時に体験した衝撃的な出来事をご紹介していこうと思います。

落選するのも最善への道

2006-06-03 16:34:51 | 全ての出来事は最善のために起こる
人生における全ての出来事は最善のために起こります。

幸運にも自分の希望する道が開けた人は、そのチャンスを生かすべく邁進していけばいいわけですし、
不幸にして試験やオーディションなどで落選した人は、冷静に自分を見つめなおすことで新たなチャンスが廻ってくるものです。

自分にとって不幸な出来事が起こったときというのは、人間は誰しもしばらくの間は無気力になるものですし、自暴自棄に陥ることもあるものです。

無気力や自暴自棄に陥る時期があってもいいのです。

自らの希望する道を進めなかったことが、どうして人生において最善なのかと言いますと、その時点での自分の欠点を気づかせてくれる契機となるからです。

私にとっては、大学4年のときに放送局のアナウンス職の試験を落ちたことがひとつの契機となりました。

ただ、アナウンサーになれなかったことが自分の人生にとって最善だったのだと認識したのは社会に出てからかなり経過した頃です。

選ばれた人間には傲慢の危険性

2006-06-02 10:12:11 | 全ての出来事は最善のために起こる
人生において全ての出来事は最善のために起こります。
今にして思うと、私が大学4年生のとき、志望するアナウンサー職に就けなかったことは、私の人生において最善のために起こったことでした。

もし、あの時幸運にして在京キー局のアナウンサーになれていたなら、私は鼻持ちならない傲慢な人間になっていただろうと思います。

マスメディアの人間というのは得てして傲慢です。
報道という名のもと、言論の自由という憲法で保障された権利のもとで、自分たちは特別な人種なのだと勘違いしてしまう人が数多く見受けられます。

また、学生時代にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の、いわゆるマス4媒体を目指そうとする人は、そのこと自体が目立ちたがり屋さんに近いものがありますから、高い年収と、数々の経費、有名メディアの社員と分かった時点で世間の反応が違ってくるという環境とも相俟って、次第に傲慢に人間になっていくのです。

実は、私自身は、元々は傲慢な人間でした。
今でも「さっきのあの人への言葉は傲慢だったな」と気付くときもあります。

また、私は人を見下ろすタイプの人間でした。
この人は自分よりも実力がないなと思うと、相手を馬鹿にしたような口の利き方をしました。

もし、大学4年生のときに幸運にも局アナになれていたなら、今の私は周囲から疎まれるような人間になっていたことでしょう。

仕事のできる生意気な若者は謙虚です

2006-06-01 16:46:08 | 全ての出来事は最善のために起こる
自信過剰な人間というのは、ほとんどの場合努力をしません。

逆の言い方をすると、血の滲むような努力をしている人というのは、自分の現状の力が及んでいないということを認識して、また、自分よりも大きな何かに対して挑戦するのだという気持ちで努力をするわけですから、自信過剰になることはありません。

努力を始める時点で謙虚さが身についているのです。

私は、ヘッドハンターという仕事を通じて、自信過剰になって自分が見えていないという人に何人も出会ってきましたが、私は、そのような人たちに対して無理に分からせようとはしません。

なぜなら、分かるはずがないからです。
そして、いつの日か、あの時の自分は間違っていたと分かる時が来るからです。

少し話しは逸れますが、20代の生意気な若者は二つのパターンに分かれます。
本当に仕事ができる、良い意味での生意気な若者と、
ただ生意気なだけで大した仕事をしていない若者の二つです。

前者の、仕事のできる生意気な若者というのは、人の忠告に真摯に耳を傾けるものです。
そして、自分の気づかなかったポイントを指摘されたときには心から礼を言うものです。

一方、後者の、生意気なだけで仕事ができない若者というのは、他人からの忠告に反論するものです。相手に対して侮蔑の目を向けながら。

私は、一人の生意気な若者を前にしたときに、この人がどちらのパターンなのかということは簡単に分かります。
私だけが見抜けるのではありません。ただ生意気なだけで世間知らずの若者というものは、その人と接している人たちにはすぐに見抜かれてしまうものです。

このことから、周囲から孤立していってしまうのです。

誰もが自分に合った世界では強者になれます

2006-06-01 16:05:13 | 全ての出来事は最善のために起こる
nomiさん、
コメントをありがとうございます。

nomiさんがお話しを聞かれたお二方は、出版・編集という職業に向いている方たちなのでしょう。

躊躇しないこと、
うすうすわかっているけれど手が出せないことをやること、

この二つの言葉は、言わば強者の論理で、普通の人には「分かっているけどできないこと」のような気がします。
別の言い方をすると、nomiの心に残っているお二方の言葉を実践できる世界こそが、自分に合った世界だと言えるのではないでしょうか。

おそらく、このお二方は、「このことを実践できないのであれば出版・編集の世界をあきらめて、自分に合った道を探しなさい」と言いたかったのではないかと思います。

必ず道は開けます。
ご健闘を期待しています。

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努力+才能=成功 (nomi) 2006-06-01 02:08:39

南さんのブログを読んで共感し、なるとさんとちひろさんのコメントを見て、昔、出版界に関心があり講座に通っていた頃に、講師の方々が教えてくれたことをふと思い出しました。

見城徹氏(幻冬舎 社長)から教えてもらったこと

●努力して出した結果によりかかっていたままの自分ではいけない。
●躊躇しない、言い切らないと何も始まらない。
●才能と努力が出会ってこそ新しい何かが生まれる。

藤俊彦氏(株式会社 扶桑社 編集部プロデューサー)から教えてもらったこと。

●うすうすわかっているけれど、手が出せないことをやること。それには、膨大な時間とリスクがある。

誰にでも平等にチャンスは訪れたとして。この「うすうすわかっているけれど手が出せないこと」を、やるかやらないかで、成功が決まるのだと思います。秀でた才能もないのに、怠惰な性格と自信過剰により努力をしない。この結果は明白です。過去を振り返ると、この「姿勢」に問題があったが為に何度も痛い目にあっているはずなのですが、ちっとも学んでいなかったようです。次にチャンスが訪れたら、目指した道が開けたら、こう生きると決めた道で、今度こそ一寸の隙も作らず努力を続けようと心に誓うnomiでした。

努力の末の「成功」を積み重ね、本物の「自信」を身につけたいです。

自信過剰な人間は滑稽です

2006-05-31 17:48:39 | 全ての出来事は最善のために起こる
努力をしない人間は、自分が何の努力もしていないことに全く気が付きません。

私にも、「お前は何の努力もしていないよな」と言ってくれた先輩がいましたが、大学4年生当時の私は全く気づきませんでした。なぜなら、努力をしようともしない人間は、自分には生まれ持った才能があり、自分だけは他の人たちとは違うのだと思い込んでいるからです。

そのような人は、他人が何を言おうと自分が痛い思いをしない限りは永遠に気づかないものです。

現在も、私は基本的には努力家ではありませんが、今は少なくとも自分が努力をしなかったから成功しなかったのだと思えるようになりました。

努力家の人たちからすると、40歳を過ぎて何を寝惚けたことを言っているのですか、と言われるかもしれませんが、事実、自信過剰になっている人間というのは、周りがどのような忠告をしても、その忠告に耳を貸すことはありません。

なぜなら、人間は傲慢なくらいに自信過剰になっているときというのは、周りの人間が馬鹿に見えてくるものだからです。
周囲の人から見ると、自信過剰になっている人間は滑稽なものです。

関西テレビの石巻ゆうすけ君

2006-05-30 15:46:39 | 全ての出来事は最善のために起こる
私は学生時代に努力というものをしていませんでした。

私は日芸のアナウンスコースの卒業ですが、同級生でアナウンサー志望の男子学生が4名いました。私以外の3名は志望どおり局アナとして就職しました。

その中の一人は、現在、関西テレビで競馬を中心に実況アナウンサーとして活躍している石巻ゆうすけ君ですが、彼は、在学中は漢字を覚えるために自宅で吐いてしまうくらい根をつめて勉強していたという話しを聞いたことがあります。

他の二人の同級生も同じように努力していました。
私はと言いますと、サークルの先輩や周りの人たちから「お前にはアナウンサーの才能があるよ」といわれたことに気を良くして、努力というものをしませんでした。

つまり、アナウンス試験に落ちるべくして落ちたのです。

他人から見ると当たり前のことでも、本人からすると「なぜ俺だけが落ちるの?」と思ってしまうものです。自分だけがアナウンサーになれなかったことに対する周囲への気恥ずかしさもあって、おそらく、アナウンサー職で内定をもらった同級生に対して嫉妬めいたことも言ったのではないかと思います。