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細川護熙元首相の履歴書

2010-01-11 11:25:20 | マインドケア 今週の言の葉
こんにちは、テツせんです。
この前からの寒気で風邪気味ですが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

日経新聞の「私の履歴書」欄に、
元首相で現在は晴耕雨読の焼き物三昧だという細川護熙(もりひろ)氏のおしゃべりが掲載されている。
前回に、政治家などにかかわっても何も得るものがない、といったばかりなのに
見かけスマートな元首相があまりにも酷い中身のようなのでつい構ってみたくなりました。

細川家は700年、26代も続く清和源氏の流れだという。
書初めには自分の名をなんと源護熙と記していたともいう!
(名門とは、じつはいたって俗っぽいみなさんのようですね。)

戦国時代の細川幽斎の子でガラシャ夫人の夫・忠興は
利休の高弟としてその茶風を継承したという。
(『茶の詫び寂び 』とは、
成り上がり武将や商人たちの知的スノッブ、すなわち転倒した権威主義の表現にすぎず、
精々が公家文化に対抗する、当時のスタイリッシュなファッションである以上の意味はみとめようもない。
むしろ、そのことを痛烈にまぜっかえして金ピカ茶の湯で破壊した秀吉の方が本物にちがいない。)

つぎに、司馬遼太郎が、
「細川家は昔から男女同権で、お墓も夫婦同じ大きさというのが珍しい」などと、
いかにも司馬らしい、どうでもいい事をさも尤もらしくのたまはっていたらしい。

護熙氏はこれまで散々ご大層なお家柄を吹聴した後に、
「私には武家と公家両方の血が流れているといえなくもない。
私自身は出自のようなことには全く無関心で、重荷に感じたことはない。
ただ、自分の性格はどう考えても武家の流れをくむものだということははっきり自覚している。」と話す。
(この人はいったい何を話しているのか支離滅裂! 武家の性格とはどういうものかはこのあとに観察される。)

また護熙氏は「殿様」と呼ばれていた祖父につよく影響を受けたということです。
その祖父が、当代一流の人士に会うことが何よりの勉強になるといって、
さまざまなお偉い方々に引き合わせてくれたという。

なかでも吉田茂元首相に会うことになり、
前の晩に祖父が言い聞かせた言葉が
「お前の方から先に話しかけたら負けだぞ」ということであったという。

大磯の私邸をたずねて、晩ご飯をごちそうになりながら、
葉巻をくわえた吉田茂氏のウイットに富む話を聞き入ったという。

会話の中身はほとんどが各国首脳の人物譚だったようで、
帰り際にわざわざ玄関先まで見送ってもらったこと。

などという話を書き連ねている。
この細川護熙氏のお話をまともに読めばこんなような意味になる。

「殿様」と呼ばれた祖父が、
「お前の方から先に話しかけたら負けだぞ」などと真顔で話したとすれば
ただのバカ殿というほかない。
ただもったいをつけることを勧める祖父の言や如何に!
何が気合だ! 
そんなことには金輪際、何の意味もないことが
この「殿様一家」には分からないと見える。
読んでいて、こちらが恥ずかしくなる。
武家の性格とはこんなことかとお気の毒になった。

また、「当代一流の人士に会うことが何よりの勉強になる」といって、
お偉い方々に引き合わせてくれたことを
何の疑念もなく感謝している哀れに幼稚な「若殿」様がいる。・・・

まあしかし彼のように、かんたんにバーナム効果や多元的無知が刷り込まれ、
《認知バイアス》がかかって同調するケースは日本人の思考パターンの典型といえよう。

そういえば、
高校生の頃にいわゆる偉人伝本に浮かされて、信長がどうした、チャーチルがこうだったという具合に、
すべからく自分に都合のいい与太話を真に受けていたことをとくとくと語っている。

また、高校生のときから比叡山やらあちこちの寺で参禅したり、山篭もりをしたとも話している。
当人が大真面目であるだけに余計に可笑しさがこみあげてくる。

この護熙氏のいちばんに間違えている考え方が示されているのはここです。
「高校や大学で習ったことはほとんどなにも人生の足しになるものはなかった」と話すところ。

学習や学問が社会で直接役に立たないことぐらい誰でもわかっているけれど、だからといって、
純粋に学問をする頭脳の鍛錬の時期をもつことが否定されることには問題がある。

むしろ「若いときにうんうんと唸りながら頭脳を鍛える」(概念を学びイメージ化する)ことは、
カウンセリング理論から言っても必須の事なのである。

護熙くんは、自分の身近にある先生にすぐ傾倒します。
まあ、可愛いところですが、いわゆる人に認知・密着するタイプです。

その先生の教えというものが、彼の嫌っている学問そのものであることにかかわらず、
「先生の居間でのゼミナールは、私にとってはるかに実のある授業であった。」
と手離しです。

このように氏は、学問することに主観と恣意性をつねに持ち込むタイプであるために、
本質的な学問や学習に対してあきらかに不全を成しているわけです。
ここは社会不適合をあらわしてくる要因となるところです。

ですから新聞記者になっても、物事の本質・内容を見る能力に欠如していることが、
氏の朝日新聞記者時代の雑多なエピソードや
記者特有のうすっぺらさだけを真似ている様子がつたわってきます。

彼の特徴は、ほとんどすべてにわたって《バイアスのかかった心象》だけを、
あるいはだけしか、話せないことにあります。

これは焼き物三昧という体のいい引きこもりをした、たんに耄碌した男の与太話なのか?

それとも、若いときからこんなふうに殿様意識を刷り込まれて、
好き嫌いの恣意性をふりまわして
無内容で、意味も価値も無いことに
同調依存してきただけの男だったのかは他の人の証言を待つしかない。

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