心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

恋愛依存症という心の病!

2010-02-08 17:44:46 | マインドケア 今週の言の葉
こんにちは、テツせんです。
あっという間に2月も第一週が過ぎていきました。
時が過ぎていくことに焦りをもつ、
こうした感覚はどこか強迫観念が入っていて本来よくはないとおもいますが、
この時代に生きる者の習性であるともいえるでしょうか。
ところでみなさんは、いかがお過ごしでしょうか?

以前に観た映画で、タイトルを覚えていないのですが、
たしか臨床心理学のピア・メロディの『恋愛依存症』という本の中から飛び出てきたような内容の映画だったことだけ覚えています。

『恋愛依存症』のなかでも
《共依存症 》 が症状としても厄介というか、手強いというべき心の病としての依存症であるようにおもいます。
(そんな病名は認めないと学者が言おうとも、
臨床として取りだされたP・メロディの功績であることには疑いがない。)

田原先生は、つぎのように簡潔かつ厳密な解説をされている。
『《共依存症》とは、とくに《母親が子どもに依存する》という生育歴の中で育った子どもが成人したときの依存症です。』

子どもは、幼児期から継続して母親からの《安心の享受》があることで、はじめて
社会の中で自分自身を安心させる心情の能力が身につくものです。

成長した女性や男性の《恋愛または友人関係形成》には、
じつは、このような能力が必要で欠かせないということなのです。

しかし、この《母親による安心の享受》 が子どもに決定的に不足して、
さらには、《母親が子どもに依存 》するという場合には、
その子どもは《つねに安心の飢餓状態》を免れないわけです。

田原先生はこれを、
『いくら優しくしてもらっても、《愛情の過食症》のように愛情に飢えつづける』と表現しています。

そのうえで、その愛の飢餓を抱えた人は、
「社会不適応の人」「現実から逃亡したがっている人」を敏感に見分けて、
その人を支配し、自分に依存させようとします。

こうして愛の飢餓を抱えた人はようやく《第二義的な安心》を受け取ることと引き換えに、
いわゆる《共依存の地獄》の日々を生きることになるわけです。

このような一見絶望の淵にある人であっても、
わたしどものカウンセリングが無力であるとはおもいません。

ひとりのおとなの女性・男性として立ち直ることは可能です。

そうでないと、あの『1Q84』を書いた村上春樹のような「光と影」的な、
容赦のない虚無的な考え方がすんなりと肯定されてよいことになる。

田原先生はすくなくとも今の日本の人たちが、まったく無自覚なままに、
危機的なところに立たされていることに警告を発しつづけています。

『ボールビーやエインズワースの《母(父)と子の愛着のシステム》の測定を見ると、
日本人は《依存》と《行動停止》 の《脳の働き方》 を身につけて成人していることがよく分かる。』

『「年間3万人以上の人の、11年連続の自殺」「子どもの虐待」「小学校の学級崩壊」
「養護学校の教師、生徒の長期薬物服用」「教師の長期休職」などは、
《依存》と《行動停止》 の端的な現象です。

幼児の知能のことばかり心配する母親たちが、
「正しい幼児(家庭)教育を欠落」させていることに日本人の構造的な破綻の原因がある。』

ここでは母親が乳児や幼児とまず良い関係を持ちつづけることの大切さが
すべての人の成長に影響を与えるという意味で語られています。
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