心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

歴史的転換点に立つ日本

2009-10-27 09:41:33 | 現代日本および世界
今晩は、テツせんです。
秋も深しという時季に台風が列島をなでるようにして通過していることに戸惑っていますが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

つい先日、日経紙に、フランスの社会人類学者エマニュエル・トッド氏のインタビューが載っていました。
《 旧ソ連崩壊や米国の衰退、金融危機を予言したフランス知識人の目に、
今の日本はどう映るのか?》 とある。

トッド氏は言う。
「日本の政権交代に驚いたのは、近年のヨーロッパの動きとはまったく異なるからだ。」と述べて、
人口学の学者らしく、有権者の高齢化により右派が有利になるという相関性が破られたことに注目し、
「おそらく世界一高齢化が進んだ日本で大きな変化が起きた。これは知的な衝撃だった。」
と告白している。

このことを補足するように、
「日本は一つの《全会一致》から別の《全会一致》に変わっただけで、
特定の勢力の勝利によって過去を完全に断ち切ったのではない」ととらえようとしている。

ここでは彼特有の言い回しで、
「特定の勢力」という観念から抜けられないヨーロッパ型思考がつよく出ていている。
いってみれば社会学者、なかでも人口学なる分類志向型の頭の限界をよく示しているところといえる。

つまり、年齢層、社会階層、性別、家族制度などを区分けすれば世界が見えると思い込んでいるのだ。
だから先の補足の「過去を断ち切る」という言葉には大きな意味などありえないのである。

またそれより「もっと驚いたこと」が「コイズミの登場」だったと言い、
「日本人が持っている根本的な特徴とは正反対の人間で、日本に問題をもたらすに違いないと思った」こと。
さらに「だから今回の政権交代が《変化》なのか、コイズミ時代への《反動》なのか」と考えあぐねている。

まっ、コイズミ純ちゃんの「問題」に目をつけたところはさすがですが。

ただトッド氏に、日本人らしくないと映ったコイズミのパフォーマンスについては
わたしのブログの「世界に意味は無いのか!(第二回)(8/31)」に展開してあるとおり、ぜひごらんください。

今回の政権交代は、
米国資本のグローバル情報操作に乗せられたコイズミ・竹中の郵政改革騒動を
国民大衆が心理学上のバーナム効果や多元的無知にからめとられたあげく、

生活破壊という現実の個人の危機に直面して、選択した《学習行動》であり、
その点ではコイズミ時代への《反動》であるといえる。

それにしてもコイズミの《破壊行動》が皮肉にも旧政権の破綻を招いたことは、お気の毒と言うほかない。

トッド氏が判断を留保した《変化》は、
新政権による政・官・業癒着の利権政治構造を解体するという、
歴史的には稀な善政が行われることをさしても良いだろう。
これはこれで明快にして正しいことにちがいない。

ただもっと大きな《変化》という概念についていえば、

政治の実践レベルの進展とは異なって、
じつに西欧の近代主義思想が歴史に登場して以来、
年を追って、月日を追ってわたしたちに迫る
《生き難さ》や《個の存在の代替性》という存在の不安意識に対して
まだだれもとらえきれずにいるというのが思想的、歴史的な現状でしょう。

トッド氏もまた、日本人が政権交代に舵を切ったことに、
「何か新しいことが起こりつつあり、大きな変化の予兆を国民も一般感覚として持っているだろう。」と言い、
「新しい時代の象徴だ」と述べる。

がしかし、「大きな問題は人口減少だ。移民受け入れのの議論は避けて通れない。」
というふうに問題を人口論議にひっぱりこんでしまう。
「私は2050年の欧州を救うのも移民だと考えている。」と断言している。・・

残念ながらわたしはこのような発想には賛成しかねる。
相変わらず欧州人は機能主義思考から一歩も出ようともしないのだ。・・・

さらにトッド氏は日米関係については、
「フランス人には理解が難しい。」といって、たぶん奇特な日本人をからかっている。・・

「なぜ、長年にわたり兄弟、父子のような関係を受け入れてきたのか。
もっとも、この関係が日本に満足できる結果をもたらしてきたことは認めねばならない。」・・・

この発言はまったく誤解に満ちている。
日本が米国と兄弟、父子の関係だったという比喩は、日本人特有の病理的な捉え方をなぞっているが、
米国人は誰一人としてそんなことを考えたこともないのは明白である。

また日本にとっても満足の行くものだったというのも、まちがいである。
現在に到るまで米国は日本を一貫して軍事的に占領体制下においてきたことを米国側は否定しない。

そのことの是非は今はおいても、もっと別な日本の方向性が示されて然りだった。

世界中がみとめていることだが、米国軍事基地は軍事的世界戦略にそって配置されており、
日本を護ってくれるためにあると思い込んでいるのは自己妄想の所産にすぎない。

このようにして日本人は何事につけても、
いったん相手に対して美化のイメージ妄想を形成する契機(敗北コンプレックスから米国流の文明を志向する回路に大衆が乗った。)をもつや否や、

他者を、米国をも「自分と同じ考え方をしているはず」、「自分の思いは分かっているはず」だと、
恣意的に、密着意識をもって依存するようになり、
まったく周囲の現実を、世界の現実を見ないようにやり過ごしてきたのだ。

だから当然、政治家の言葉はその場しのぎのツギハギだらけで、
心の病気特有の自己観念による理屈づけと相似してくるほかなかったのである。

あらたな政権が
この密着依存という病理から距離をもつという快方に向かうことができるかどうか?
それこそ
『日本人がフランス人の眼で、かの兄弟のような国を見つめ直す』という作業が欠かせない。

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