心理カウンセラーの眼!

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ツイッターというオモチャ

2010-06-07 17:06:39 | 現代日本および世界
こんにちは、テツせんです。
昨日は何十年ぶりかで、学生時代の文芸誌の先輩ふたりと旧交を温めてきました。
おやじ三人がそぞろ歩くうちに、遠くにあった時間をとりもどしていくなかで、
いまでもヤンチャなわたしの性格にあきれられたしだいです。

しかし暑い一日でしたが、みなさんはいかがお過ごしでしたか?

さて先日の日経新聞夕刊に、「ツイッター 小説と共通点」というインタビュー記事がありました。
作家の高橋源一郎氏のなんだかうれしそうな顔をした写真がいっしょに載っていました。
それはいいとして、
妙にジジイにちかづくほど、「あたらしモノ好き」になるひとが目に立つようですが、
これにはジジイエイジング恐怖症とでもいうべき心の問題でもひそんでいるのでしょうか?

自分がジジイの年代に入っていく時に、手ぶらのままでは不安で、
何か時代の新奇なものを手にしていたいのかもしれませんね。
いいかえてみれば、
身体的な老いを実感しはじめたとたんに、
成熟にはほど遠い自分の精神的な未熟さにあたふたして、
手近にあるバーチャルのシステムにすがってみようとする行為なのでしょうか。・・・

「関係のない人同士つなぐ空間」・・・記事にはこんなサブタイトルがついている。

そして高橋氏は、つぎのように語りだす。
「あるときふと『これは小説っぽい』と気がついた。
皆が違う話題でバラバラにつぶやいている内容をタイムライン(画面)で一覧できる仕組みがいい。
小説も基本的には色々な人が登場して、それぞれに面白いことをする。
バラバラなものが同じ空間のなかにあるという点で非常によく似ている。
そこにあるのは公共性だ。」
と言っています。・・・

ここでは、
『つぶやき』の空間的なあり方が自分の小説の創作過程と似ていることに痛く感じ入っているようすです。
その理由は、
創作上の手がかりを実際に偶然に出会った子どもから得たということとつなげていて、
「まったく関係のない人同士が、僕の広げた空間のなかで出会う。
それこそが小説の持つ公共の機能だ。」
と結論じみたことを語っています。・・・

ただ、申しわけないのだが、いったい何を言いたいのかがよくわからない。
わからないから、もうすこし先を読むことにすると、

「遠く隔たったものを近づけて同じ場に置くのが小説であり、小説家であるともいえる。」・・・
「公共性」だとか、何のことだかさっぱりまったく不明なことが語られています。
いや、言っている言葉は理解できます。・・が、・・
それがどうしたの? というほかないではないですか。

作者がそんなものを小説だとみとめるのは、それこそご勝手で自由ではある。
しかしそんなことが、はたして文学の本質的なものたりうるかどうかは、いうまでもないだろう。

さらに高橋氏はこうも言う。・・
「『近代』が完全に終わったと実感している。(中略)・・
今は、何をどうすれば、その日を生きていけるのか、ゼロから考え直さないといけない時代だ。(中略)・・
バラバラになったものを結びつける新しい公共性を探る試みとして、小説を書く。」・・・

ツイッターという『新しい公共性』のなかでつぶやく言葉が、
《擬似的なつながり》の世界の、
どこまでいっても 『 ただのつぶやき 』でしかないことが、
言葉に命を託しているはずの作家にわからないとすれば、
すでによほど壊れているのかと心配になります。

大学に職をもつらしいこの小説家には、
この時代の本当の困難のことなどわかるものだろうか?

若い人たちにむかって、なにが近代の終わりかを記号となった言葉でいくら語っても、
だれも信じないようにわたしにはおもえてきます。

まあしかし、ツイッターについては前々回のブログでも書いたとおり、
所詮は子どものオモチャと同じで、「あたえられた道具やシステム」でしかなく、

意味性を欠如した、想像力の世界とは無縁の、
記号認知だけの、ハイパーリラックスの脳の廃用萎縮に寄与するばかりだということが、
この高橋源一郎氏もまったくおわかりになっていないですね。

しかもそのシステムが本来バーチャル空間= 仮構の世界であるということが、
「出会い」(それを『公共性』とするのはどうなのか?)そのものの恣意性、欺瞞性を
よけいに浮びあがらせることに、あまりにも無自覚である。

とりわけ、いまの日本人の言語水準のままに、
そうした世界にかかわろうとすると、必ずやといってよいほど、
関係(妄想)の破壊・破綻という局面に出くわすことが予見されます。

この先、ツイッターは、あちらでもこちらでもといったぐあいに
『 関係を壊すトラブルメーカー』として頻繁に現象してくることでしょう。

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