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時に4コマブログ 『この世はパラダイス』

世の中いろいろありますが、ココロはいつも夢幻郷。

悪夢の北沢峠

2007-10-28 18:38:37 | つなぎ

 

 


 おとといの金曜に休みをとって、一泊で南アルプスに行ってきました。昨日甲斐駒に登るのが目的だったのですが、結局あの天候で登るのをあきらめてむなしく帰ってきました。

 あの天気の中何をわざわざ、と言われるでしょうが、諸事情によりこの週末しかないという状況で、強行した結果です。そもそも10月の第一週に行こうといつもの先輩と約束していたのですが、先輩は9月にスクーターでこけて鎖骨と足の親指を骨折してしまい、その回復を待っていたのです。

 先輩の怪我は無事回復しましたが、来週は私の用事があり、それ以上遅くなるともう寒くなるし、ということでこの週末になってしまいました。しばらく前からこの週末は雨模様とはわかってはいましたが、先輩の方針はいつも通り「よほどのことがない限り決行」でした。

 前日の仕事中に人目をはばかりながらチェックした天気予報は、「曇り時々雨、しかし雨量は少ない模様」とのことでした。去年の10月の始めに行った赤岳も悪天候でしたが、まああれよりはましだろう、と夕方山小屋に予約の電話を入れました。

 電話に出たのは若いお姉さんで、「え、明日あさっては雨ですけど...、来られるんですかあ」とのことでした。私は「はあ、まあ少々の雨なら登ろうかと...」と言ったところ、小屋のご主人に確認するので10分後にかけて欲しいとのこと。

 10分後に再びかけると、「すみません、明日は予約が入っていなかったので山を降りる予定で、せっかっくですが...」、とのことでした。私は「これはもう中止かなー」と思ったのですが、先輩の強い要望により結局予定とは別の小屋を予約して、昨日小雨の中出発しました。

 甲斐駒の登山口の北沢峠まではマイカー規制のため交通の便が悪く、ずっと手前の駐車場に車を置いて、バスを2本乗り継いでいかなければなりません。八王子を9時過ぎに出て駐車場に着いたのは11時半頃。車は一台も停まっておらず、バスの乗客もわれわれ2人のみでした。

 山小屋も案の定客は我々2人のみ。いやーな予感がしましたが、5時前に早い夕食をとった後テレビの天気予報を見ると、前日まではなかった台風が天気図に現れていました。


 先輩と2人で「台風が来るなんて言ってたか?」と言ったものの、いまさらどうにもなりません。まあ進路がそれることもあるかも、と覚悟を決めて運命に身を任せ、7時半頃には早々に眠りにつきました。

 しかし夜半から強くなった雨脚は一向に衰えず、明け方ついに先輩の中止宣言が出ました。起きだして空しく2人で朝食の弁当を食べ、また布団にもぐりこんでしばらくのんびりとしてから7時過ぎに小屋を出ました。

 駐車場行きのバスは中継点を10時半発なのですが、朝は小屋からそこまで行くバスの便はなく、中継点まで約2時間かけて渓谷沿いの雨の林道を歩かなければなりませんでした(写真下:真ん中右の白い線が林道)。

 2人とも後悔と空しさに負けまいとバカ話をしつつ、車も全く通らない林道を、「まあ雨の紅葉もオツなもんですね」と慰めあいながら歩きました。

 
道沿いの山肌にはあちこちに下のような細い滝が流れています。行きのバスの音声案内によれば、一番大きいのは落差100m超とのことでした。

 じっさい滝だけでなく紅葉はとってもきれいでした(写真下)。「まあ紅葉見物散歩に来たと思えばいいか」「そうですよね」とお互い無理やり自分に思い込ませるように言い合いました。

 ところが中継点に着いてみると、車が置いてある駐車場へ行く林道は、雨量が一定量を越えたため、閉鎖中でバスは出ないとのことでした。

 2人とも青くなり、案内所のお兄さんに聞くと、もう一本の林道は閉鎖されていないので、そこの下の駐車場までバスで降りて、さらにバスを乗り継いで身延駅まで出て、そこからぐるっと迂回して林道の反対側から登るしかないですね、とのこと。

 行きの車の中で、閉鎖されていない方のルート(奈良田側)とどっちがいいかな、と話して、まあこっち(夜叉人峠側)でいいんじゃない、と安易に決めたのですが、天候にくわえルートも判断ミスでした。

 今日中に家につけるのか不安になり、先輩と私はしばらく呆然としてパンフレットのバスとJRの時刻表とにらめっこをしていました。私は閉鎖された林道をさらに歩いて降りようと提案したのですが、この林道はもともと徒歩通行禁止とのことであきらめました。

 結局10時半のバスに乗り、別の駐車場に着いたのが11時半。次の身延駅行きのバスは1355分までなかったので、バス停の裏手の温泉(奈良田の里温泉)にのんびり浸かって待つことにしました。地味ながらまろやかなお湯でいい温泉でした。

 湯上りに先輩はビール、私はsenobyを飲みながら縁側に座って山小屋で作ってもらった弁当を食べた後、バスでJR身延線に向かいました。甲府からは駐車場までのバスがあるのですが、これはすでに便がなかったので、途中の鰍沢口からタクシーで行くことにしました。

 鰍沢口に着いたのは結局4時半。ますます強くなる雨の中、駅前からタクシーを呼んで、さらに一時間弱かけて、真っ暗な中ようやく駐車場にたどり着いた時は本当にほっとしました。タクシー代9,000円弱に加え、バス代、電車代と大幅な予定外出費でふたりとも財布が空っぽになってしまいました。

 9月の北東北サイクリングのときは寸前で台風から逃れましたが、今回は完璧なタイミングでつかまりました。うまくいかないときは全てがちぐはぐになってしまうものですね。

 そんな訳で今週は体力気力ともに喪失につき4コマはお休みさせていただきます。すみません。来週までには精神的に立ち直りを図ります。それにしても今日の台風一過の秋晴れは何とも空しい...。

PS:つい先ほど山小屋のおばちゃんから、「えらい雨だったで無事帰れたか心配でえ~」と電話がありました。私は、わざわざお気遣いいただき、と丁重にお礼を言いました。おばちゃんは、「今日はとってもいい天気だけど夕べはあの後雪になってねー」とのことでした。

私は「雪が積もったんじゃあ結局今日も登るのは無理でしたねー」と自分を慰めるように言いました。しかしおばちゃんは、「いや登るのには困らんで、昨日泊まったお客さん達は大喜びで出かけてったがねー」とのことでした。「かわいそうなことじゃったが来年またよろしくねー」とのお言葉に、「はい、必ず...」とリベンジを誓いました(方言はいい加減です。すみません)。


北東北サイクリング(7) 極楽サイクリング

2007-09-19 23:46:17 | つなぎ

 

 
<いざ八甲田へ>
 青
森市街を出てからは延々と続く上り坂をひたすら八甲田に向けて登り、山の手前の高原に着いた頃にはすでに12時を回っていました。平地だと平均時速はだいたい10kmですが、登り続きだと平地の半分位に落ちてしまいます。

 萱野高原という広々としたとても気持ちの良いところで、八甲田山塊がとてもきれいに見えました(写真下)。

 ここから山の北側を十和田方面に向かう道(主要地方道青森田代十和田線)は、ブナ林の中を抜けるこれもとても気持ちの良い道でした(写真下)。

 このシリーズの(1)で触れた雪中行軍遭難記念像下の銅像茶屋(標高約700m)で山菜そばを食べ、ついでに前の日におじさんからもらったりんごも食べました。

 そこまでの登りでかなり時間を使ってしまっていましたが、まだ登りは続くのでもう一踏ん張り、と気合を入れて1時半過ぎに茶屋を出発しました。結局この後の最高地点の標高は825mでしたが、海抜数メートルの青森市街からの登りはさすがにかなり応えました。

 それにしてもカシオのプロトレックは便利ですね。平地では24時間分の気圧の変化で天気の動きが分かるし、登山やサイクリング中も今どの辺の高度にいるのか一目で分かるので、体力の配分にとても役立ちます。

 峠を越えてようやく気持ちも軽くなり、一気に奥入瀬渓流へ向かいました。登りがきつかった分、国道103号線を奥入瀬渓流まで向かうダウンヒルは最高に気持ち良かったです!

<夕闇の奥入瀬>
 奥入瀬渓流に着いたのは4時半頃で、雨模様なので木々でうっそうとした渓流付近はもうすでにかなり暗くなっていました。もう少し深山のイメージがあったのですが、国道沿いの小さな流れでちょっとイメージは狂いました。暗くて写真は撮れませんでした。

 奥入瀬渓流沿いの国道を登り、ようやく十和田湖(子ノ口)に5時半頃着きました(写真下)。やれやれもう今日の登りは終了、と思って予約した国民宿舎に向かいましたが、ここからさらに湖沿いの峠をもう一山越えていかなければならないところでした。地図をろくに見ておかないとこういうことになります。

 いったん気を抜いた後の登りは一段とこたえました。ようやく国民宿舎のある地区(休屋)に着いた時にはもう時を回り、かなり暗くなっていました。でもやはりまずはあの像を見なければ、と乙女の像に向かいました。

 ちょっと分かりにくかったものの、その時間でも人がぞろぞろ向かっていたので多分そうだろうと付いていったら案の定そこにあの像がありました。写真を撮ったものの真っ暗で、シルエットになってしまいましたが(写真下)。

 シルエットで見ると、どうも体型的に“乙女”の前に“昔の”を付けたくなってしまいますねー。

 国民宿舎の温泉に浸かって疲れを癒し、明日はもう空港まで戻るだけだけかー、とちょっと寂しい気持ちでした。台風情報が気になりましたが、まあなるようになるさ、と今回唯一の温泉の効果もあってかぐっすり眠れました。

 翌朝清算をしていると宿舎のおじさんが、「自転車で回ってるの?」「ちょっと待ってね」と言って、「これ持ってきな」とみやげ物のお菓子(もろこしという、小豆粉と砂糖を固めた、落雁のようなお菓子)をくれました。

 前々日のりんごに続いてまたまたもらい物をしてしまいましたが(写真下)、よほど施しをしたくなるような雰囲気を醸し出しているのでしょうかねえ。走りながら時々食べましたが、疲れた体に程よい甘さでとてもおいしかったです。


頂き物(りんごはすでに4個食べちゃいました)

<帰路へ>
 
翌日は出発地の鷹巣へ戻るだけでしたが、台風の接近にもかかわらず雨も降らず、(1)で記したとおり途中の峠や道も気持ちよかったです。朝はちょっと曇ってましたが、湖畔もとてもさわやかでした(写真下)。

 今回は海、山、渓流、湖とバラエティーに富み、白神岳を除いて天気にも恵まれ、上々のサイクリングでした。

<なぜ走る>
 
走りながら、なぜこんな苦しい思いをして峠越えなんかしてるんだろ、といつも思います。でも苦労の後には楽(ダウンヒル)があり、楽の後には苦労があり、人生とおんなじですね。

 車や列車の旅の記憶をサイクリングツアーと比べると、サイクリングの方がはるかに強烈で、脳細胞に彫刻刀で刻んだような強烈な記憶なんです。頭の中のスイッチを入れると、これまでの全てのツアーの工程がビデオを見ているように情景とともにくっきりと浮かんできます。

 人生の充実は、結局輝いた重みのある記憶の蓄積量次第なんじゃないかと思ってますが、その意味ではサイクリングは自分の過去の記憶の中では最上位にランク付けされる記憶のひとつなんです。

 日本一周や何とか大陸横断!のような大それた自転車旅行とは全くスケールの違う小さな旅ですが、どこを走っていても、私にとっては全ての憂いを忘れて夢見心地の境地に遊べる極楽なんです(極楽にはこんな天女は飛んでないか?)。

 ホントの極楽に行ってしまわないようダンプに注意しつつ、またいつかどこかを走りたいと思います。こんなわがままを許して行かせてくれる嫁さんには感謝しています。会社では「良く奥さんが行かしてくれますねー」、といつも言われてます。

 旅行中の事を書き始めたら止まらなくなってしまいました。こんなにだらだら書くつもりは全く無かったのですが。きりが無いのでとりあえず今回の北東北シリーズはこの辺で終了したいと思います。

 今日のテレビと新聞で、白神山地で遭難した7人と2人のグループのニュースがありました。ついこの間登った白神岳山頂のヘリからの映像が朝のTVのニュースで写っているのを、「一歩間違えば自分だったかもしれないなー」と見入ってしまいました。

 最後までお付き合いいただいた方(そんな物好きで我慢強い人いるかな?)、ありがとうございました。(了)


北東北サイクリング(6) 最長記録

2007-09-18 23:51:28 | つなぎ

 

 


<ありがとう!>
 
青森市までは特に見所もなくひたすら走るだけだな、と無心でペダルをこいでいると、美しい山容の岩木山が右手に見えてきました(写真下)。さすがに津軽富士と言われるだけあって美しいですね。

 国道101号線をさらに東に向けて走っていると、先の方で小さめの自動車が止まり、おじさんが出て来てこちらを見ながらどうも何か言いたい様子でした。どう見たってよそ者の自分に道を聞く人もいないよな、と不思議に思いながらそばまで行くと、止まれ、の合図。

 何の用だろうと思いながら止まると、「日本一周してるの?」と聞かれました。一瞬青森弁の質問が聞き取れず、意味を理解するのに1秒くらいかかりましたが。「いや、そんな大それたもんじゃないです。」とちょっとずれたタイミングで答えました。

 するとおじさんは後部座席のドアを開け、座席に置いてあったスーパーの買い物かごいっぱいのりんごを両手でつかみ、「りんごあげる」と私のフロントバッグに押し込みました。ただでさえ小さなフロントバッグにペットボトル二本にお菓子、予備サングラス、カメラ等入っているので、3つくらいで満杯になってしまいました。

 しかしおじさんはまだまだ持ってけ、と言うようにさらにりんごをつかんで無理やりバッグに押し込み、結局個詰め込まれてしまいました。

 ホントは荷物は1gでも軽くしたいところなんですがご好意はありがたく頂戴し、丁重にお礼を言いました。おじさんには「がんばってね!元気をちょうだい!」と両手で握手を求められました。

 子供の頃から元気を出せとは言われても、元気があるとは一度として言われたことのない私としては、ちょっと気恥ずかしく、照れくさい気分でした。道楽で走って人に元気を与えられるとは思いませんでした。青森のホテルで早速1個食べてみましたが、とっても甘くておいしいりんごでした。

 昔塩尻から名古屋まで初めてサイクリングツアーをしたときも、公園で休んでいた時におばちゃんがりんごをくれたことがあります。この時は二口、三口食べたところで中に虫を発見してしまい、慌てて吐き出しましたが。

 ジョークで「りんごを食べたら虫が食っていたってのは気分が悪いが、最悪なのは半分になった虫を発見した時」、というのがありましたが、この時は最悪の事態ではなくて良かったです

<車輪よ!あれが青森の灯だ>
 
りんごで重くなった車体を駆って、さらに無心でこぎ続けました。周囲は次第に暗くなってきて、とうとうこれまで経験の無い夜間サイクリングになりました。ライトがちょっと暗く、電池を換えようかと思ったものの、交換する時間ももったいなく思い、ただひたすらこぎ続けました。

 さすがに人気のない郊外の夜間サイクリングはちょっと心細く、青森市街の手前の坂の上から街の灯が見えたときには思わず涙がこぼれそうなくらい、と言うのはちょっと大げさですが、ほっとしました。

 結局青森の街に着いたのは7時半頃になってしまいました。この日は到着時間が遅くなることが確実だったためビジネスホテルを予約したので、あせることなく途中のホームセンターで買い物をしてから8時頃到着しました。

 フロントのお兄さんには当然のように「お車ですか?」と聞かれ、「いえ、自転車です」と言ったら目を丸くして「え?」と唖然としてました。まあどこの宿でもほぼ同じような反応なのですが。それにしても自転車用バッグやヘルメットを抱えているので、車ではなさそうなことは分かりそうなものですがね。

 この日の走行距離は132.5km。それまでの一日最高走行距離は80km余りだったので、一気に50km以上も更新しました。30代前半の頃よりもこんなに距離が伸ばせるとは思いませんでした。体力自体は間違いなく低下しているはずなので、道具の進化は大きいですね。ペダルの他に登山用に買ったワコールのスポーツタイツも効いているように思います。

 でもさすがにちょっと疲れてあまり食欲がなく、シャワーを浴びた後夕食は近くのコンビニのオムライスきのこドミグラスソースと缶ビールとおじさんにもらったりんごで済ませ、翌日の八甲田山の峠越えに備えて、荷物の片付けもそこそこにベッドに入りました。

 それにしても部屋のタバコ臭いのには閉口しました。消臭スプレーが置いてあったのでカーテンや床がぐっしょりになるくらい目いっぱい吹きかけました。ここの前に電話して満室で断られたホテルは禁煙部屋があったのですが、ここはそんな区別は無いようでした。もうホテルは基本的に禁煙にして欲しいですね。

 翌朝バイキングの朝食をしこたま詰め込んでいると、外は雨が落ちてきました。「今日は峠越えなのに...」と思ったものの、天気ばかりはどうしようもなく、レインスーツを着込んでチェックアウトして出発しました。

 しかしホテルの駐車場から出たとたんに雨は止んでしまい、「降るのか降らないのかはっきりしろよ...」と思いつつ、せっかく着込んだレインスーツを脱いでフロントバッグに押し込みました。

 余裕があれば八甲田山にも登りたかったのですが、ロープウェー利用でもどう考えても行程的に無理でした。で、仕方なく登山はまたの機会にすることにして、この日は山の北側をぐるっと回って、姿だけ眺めて十和田湖に向かいました。(続く)


北東北サイクリング(5) 油断禁物

2007-09-17 17:32:09 | つなぎ

 

 


<神秘の青池>
 
白神岳を後にして3泊目に泊まったのは、昨晩夕食を食べた隣駅の十二湖駅からしばらく上に登った所の、末丸旅館という池のほとりの宿でした。一駅だからたいしたことないとたかをくくってのんびり走っていたら、駅から宿までの登りがかなりきつく、距離も結構あって大変な思いをしました。

 食堂になっている大広間は池の縁に接しており、池の景色を眺めながら食事ができるようになっていました。小さな池でしたが、紅葉の頃はきれいだろうなーと思われました。

 朝起きると、昨日とはうってかわってとても良い天気でした。池を眺めながら朝食を食べていると、宿のおばちゃんが「ご宿泊の皆さんはボート代サービスですから乗っていってくださいねー」と言っていましたが、さすがにちょっとオヤジ一人乗るのも様にならないので遠慮しました。

 清算を済ませ出発の準備をしていると、ご主人が丁寧に周辺の見所の解説をしてくれました。白神山荘でもそうでしたが、どうも講釈を一通り聞かないとご主人の機嫌が悪くなりそうな雰囲気だったので、ありがたく拝聴しました。

 丁重にお礼を言って宿を辞し、まずはご主人のお勧めのコースに従い、最大の見所の青池に向かいました。前日白神山荘で同宿だった長野の方は「十二湖は観光地だからなー。見てもしょうがないよー。」とのことだったので、あまり期待はしていませんでした。

 しかし青池の色はホントに美しいコバルトブルー(写真下)で、周囲のブナの明るい林(写真下)と相まって神秘的な雰囲気を醸し出していました。後から来たおじさんが「何だこんなに小さいのか。がっかりだな。」と言っていましたが、私は大きさにかかわらずその美しさにしばらく見とれてしまいました。

 十二湖と言うくらいでその他にも池がたくさんあるのですが、この青池の周辺がブナの原生林も美しく、最も雰囲気のいいところでした。この日は青森まで行かなければならず時間的には苦しかったので、十二湖めぐりはパスしようかと思ったのですが、全部で1時間弱かけても見るだけの価値はありました。

<海岸線はどこまでも>
 十二湖を後にし、海岸沿いをひたすら北上しました。日差しが暑くて日焼け対策に苦労しましたが、海の眺めがきれいで海岸沿いの走行はとっても気持ちよかったです。

 途中に有名な不老不死温泉がありますが、とても浸かっている余裕はなく、またいったん温泉に浸かってしまうとその後到底長距離を走る気は失せてしまうので、遠くから眺めるだけであきらめました。

 昼食は千畳敷の手前の道の駅「ふかうら」で何とか弁当と言う名の定食を食べました。このあたりの海外線はイカ焼きが名物であちこちからいいにおいがしてきていましたが、丸々一匹はちょっと食べきれないので我慢しました。でもやっぱり食べておけば良かったとちょっと後悔してます。

 食べ終わった時はすでに1時を過ぎていましたが、午前中の日差しでスルメのようになっていたので、冷たい麦茶と食後のソフトクリームで生き返りました。

 ソフトはわかめ粉入りのソルティーソフトと普通のバニラがありましたが、塩味はちょっと...と思い普通のにしました。これも話の種に食べておけば良かったかなーとちょっと後悔。

 道の駅を出発したのはすでに1時半頃でしたが、この時点で青森まではまだ80kmくらいありました。腹がいっぱいになってちょっと気が萎えてきて、千畳敷から五所川原まで列車でスキップしようと思ったのですが、千畳敷(写真下)に着いたのは2:45頃で、列車は30分ほど前に行った後でした。次の列車は5時台だったのであきらめ、覚悟を決めて走り出しました。

 鯵ヶ沢の付近で海を離れて五所川原へ向かいました。この辺でイカのカーテンが見られるはずだったのに何も無かったなーと不思議に思って地図を良く見ると、少し手前で一本山側の道にそれていました。


見損ねたイカのカーテン(想像図)

 間違えるような道じゃない、と気を抜くとすぐ間違えるのでいけません。(続く) 


北東北サイクリング(4) 白神岳は雨だった

2007-09-16 11:28:56 | つなぎ

 

 


<白神の森>
 
白神山荘での朝食は5時半からでしたが、同宿の長野の方は午後早い時間に戻って来たいとのことで、6時過ぎにはさらに上の方の登山口までご主人の車で先に出かけました。

 私はその日は下山してからは隣駅の旅館に行くだけで時間の余裕はそれなりにあったので、ゆっくり準備して6時半頃に宿から歩いて出発しました。登山口下の駐車場まで約30分余り、のんびり登っていきました(写真下)。

 駐車場から登山口までさらに20分弱、雨もあがっていて、このまま夕方まで持ってくれたらいいなーと思いましたが、一応レインスーツのパンツのみ最初からはいていきました。後からはくのは面倒なので。

 駐車場の上からは海が見えました(写真下)。白神岳は標高1235mとそれほど高い山ではありませんが、海抜数十メートルから登るのは結構しんどかったです。

 ゆっくり登って登りは約4時間、下りは3時間半くらいでしたが、登りの半分を過ぎたあたりからかなり雨が落ちてきて、レインスーツのジャケットを着込みました。まあ雨のときは雨の山も風情があっていいもんだ、と思うようにしてますが。

 突然熊に出会っても逃げられないような狭い道が続く登山道でしたが、あの天気の中でも登っている人たちは結構いて、心細いことはありませんでした。

 頂上まであと1時間くらいか、というところで先に発った長野の方と出会いました。上の尾根は強風で立っていられないくらいだとのことでしたが、昨年の赤岳の強風を経験しているので、まあそれほどでもなかろう、とそれほど心配はしませんでした。

 お互いお達者で、と握手を交わし、頂上目指して登っていきました。尾根に出るとなるほど強風でしたが、まあ歩くのに支障のあるほどではありませんでした。しかしようやく頂上直下の非難小屋にたどり着いた頃には結構体も冷えていましたので、頂上に立つ前に小屋の中で昼食がてらしばらく休みました。

 しばらくするとかなりの年配のおじさんが一人入ってきました。聞くところによると八王子の方とのことで、「私も八王子なんです」と言うと、「ああ、あなたでしたか、八王子の方は」とのこと。「??」でしたが、登山口に設置されていたノートの入山記録を見たとのことで、納得しました。

 八王子のおじさんはおにぎりをぱくついた後先に出て行きましたが、その後若いカップルに続き十数人の団体(韓国の方々でした)が入ってきて小屋が満杯になってしまいました。ここは譲らないと日本人の評判にかかわるな、とひとりで結構なスペースを占領していた私は、重い腰を上げて「お先に」と下山に向かいました。 

 それにしても小屋に来た若いカップルは2人とも雨具も持たず、防水でもないヤッケひとつでザックカバーもなく荷物まで雨が浸み込んでおり、ひとごとながら「大丈夫かなー」と思ってしまいました。夏だからと気楽に登って来たのでしょうが、朝は晴れていたというならまだしも、朝から小雨の中であまりに無謀ですね。

 頂上は小屋のすぐ先でしたが、道の途中のちょっとした盛り上がりにベンチと小さな簡単な標識がある程度で、「ここか?」と言うような地味な頂上でした(写真下)。

 頂上の標識も普通はもう少し立派なのが立っているものですが。まあ標識で山の価値が決まる訳でもないですが、記念写真を撮るにはちょっとさびしいかな、というところでした。晴れていたら周囲の山々と海の眺めがいいのでしょうが、雨も降り続けていて景色は何も見えませんでした。

 世界遺産になっている白神山地はもっと内陸の部分で、白神岳の登山コースの向こう側なのですが、白神岳の登山ルートの上部もずっとブナの原生林で、晴れていたら気持ちいいだろうなーというきれいな森でした。雨で暗かったので写真は撮れませんでしたが。

<白神山地の価値>
 白神岳は宣伝されている白神山地のイメージを持って登ると、ちょっと違って(ブナ林は上の方だけ、下は植林の杉林、笹がうるさくて登山道が狭く足元もぬかるんで不快等々)、山自体としては必ずしも評判の良いところではないようです。 

 白神山地の価値は生態系としての広大なブナの原生林にあり、決して景観や観光地としての価値ではないとのことです。まあ当然でしょうが。このようなブナの林は植生遷移(裸地から森になるまでの植生の移り変わり)の最終相で、そこに行くまで数百年から千年かかるので貴重なのだ、というようなことを大学の生態学の講義で聞いた覚えがあります。 

 今度はまたいつか奥の方のホントの白神山地の核心部にも行ってみたいと思いますが、「世界遺産」というネームバリューだけでありがたがって過度の期待をしてはいけませんね。

 登山口まで下山する頃になってようやく晴れ間が時々出てくるようになり、「今更遅いよ」と思いつつ白神山荘まで戻り、置いてあった自転車に荷物を積んで、ご主人に挨拶して次の宿に向かいました。(続く)


北東北サイクリング(3) あこがれの白神山地

2007-09-15 15:14:56 | つなぎ

 

 

<鮎恋し>
 一日目は空港から近い鷹巣という街の安旅館に宿泊しました。風呂に入って大人2人くらいしか浸かれない湯船に浸かっていると、一緒につかっていた30台はじめくらいのお兄さんが話しかけてきました。

 秋田への出張のついで(月曜からの仕事の前に)に釣りをしにきたそうで、その日は鮎を30匹くらい釣ったとのことでした。いわゆる友釣りとのことでしたが、うまい人は100匹くらい釣るそうです。氷詰めにして実家に送ったとのことでしたが、家族は喜ぶでしょうね。

 鮎の話を聞いたらビールと鮎の塩焼きが頭に浮かび、無償に食べたくなってしまいました。夕食はもしかしたら、と期待したのですが、残念ながらマグロの刺身ととんしゃぶでした。偶然にも前日の自宅での夕食もとんしゃぶで、ご丁寧に当日の朝食もその残りを食べていたので、よけいに鮎が恋しくなってしまいました。

 まあ一泊2食ビール1本で6200円じゃあこんなのは出てきませんよね。

<一路白神へ>
 翌朝出発の準備をしていると雨がパラパラと落ちてきて、さい先悪いな...といやな感じがしましたが、すぐにやんでその先夕方白神岳のふもとに着くまでは何とか天気は持ちました。

 鷹巣から能代まで約35km、特に見所も無いし、海が見えるまでひたすら国道(7号)を西に向かって走るだけだな、と地図もろくに見ずに順調に飛ばしました。しかし海が見える直前に国道が南にカーブしていることに気づかず、能代の手前で数km反対方向に向かってしまい、往復30分ほどロスしてしまいました。自転車で道を間違えると簡単にはリカバーできずスケジュール的に致命傷になりかねないので、油断は禁物です。

 間違った道の戻り際に能代港の展望台(無料)に上ったところ、次の日に登る予定の白神岳方面が良く見えました(写真下)。まだ60kmくらい先なので結構遠い眺めですね。少し時間をロスしたこともあり、当日の午前中に予約した白神岳のふもとの白神山荘まで約束の6時までに着けるかちょっと不安になり、昼食はコンビニのとろろざるそばで済ませ、ひたすら走りました。

 海沿いは基本的にはあまりきついアップダウンはないので、急いだ甲斐もあり何とか5時半くらいには白神山荘に着きました。山荘と言っても麓なので普通の家のようなつくりで、一応シャワーも使えました。ご主人さんには「自転車で来たのはあんたくらいだねー」と言われました。

 この日の客は私ともう一人の50代とおぼしき男性。長野の人で、この方も私と同様自転車と山登りが好きだそうで、私と同じようなスタイル(サイクリング+山登り)であちこち行っているとのことでした。この時は仕事の都合で電車だったようですが。

 電話で予約した際に、「間際なので夕食は十分な用意ができないけど...」と言われ、「何でもいいです」と答えたもののちょっと不安でしたが、夕食は外に食べに行くとのことでした。

 で、同宿の長野の方が到着してしばらく休んだ後に、ご主人の車で隣駅の駅前の定食屋のような店に行きました。こういうのは初めてですね。山登りの前日はビールも控えるようにしているため、酒好きと思われた長野の方のお付き合いはできませんでしたが、秋刀魚+刺身の定食を食べながらしばらく全国あちこちの自転車ツアーコースの話で盛り上がりました。

 宿に帰ってからはご主人から登山コースの講釈をみっちり受けました。何でも、もともとの登山道(二股コース)は川を渡ったり40度の急斜面の直登が続いたりと、上級者向けでしろうとは止めた方が良いとのこと。ご主人の弟さんが最近新しいなだらかな登山道を切り開いた(マテ山コース)とのことで、天候も悪いのでそちらの方を強く勧められました。

2人ともまあ全くのシロウトではないとの自負はあったものの、大事を取ってマテ山コースを行くことにして、シャワーを浴びて9時頃早々に寝ました。外はザーザー降りになっていて、明日もこんなだったらどうするかなー、とちょっと憂鬱な気分でした。でも翌朝起きてみると何とか小降りになっていて、ご主人の話では午前中であがりそうだとのことだったので2人とも登山を決行することに決めました。(続く)


北東北サイクリング(2) いざ出発!

2007-09-09 23:47:34 | つなぎ

 

 


 サイクリングツアーから帰ってくると、いつもしばらくは天国から一時的にこの世に帰ってきた魂のようなポーっとした状態が続きます。ツアー中は普段の世間の一切のしがらみを断ち切って、心と体を完全に解放して自由を満喫するのが大きな目的のひとつなので。

 携帯を持つとこの心の自由が損なわれてしまいますが、今回のサイクリングではやはり不便を感じてしまいました。飛行機の運行状況チェックもそうですが、毎日の宿の予約をするにも公衆電話を探すのに苦労するんです。昔はどんな田舎でも酒屋、タバコ屋、よろず屋等々どこにでもあったのですがねえ。

 昨年は嫁さんの2台目のピンクのを持たされたのですが、いつの間にか解約していて、今回は携帯なしでした。宿に予約の電話を入れても必ず「携帯の番号は?」と聞かれ、堂々と「持ってません!」と言えば良いものを、毎回つい「すいません。持ってないんです...。」と言ってしまい、「何で謝んなきゃいけないんだよ」と自己嫌悪に陥ってしまいました。もうそろそろ年貢の納め時かと覚悟しつつあります。

今回の全行程は以下の通りでした。

9/1(土) 羽田-大館能代空港-鷹巣        走行5.9km            曇り
9/2(日) 鷹巣-能代-白神山荘           走行93.8km          曇り
9/3(月) 白神山荘-白神岳山頂往復-十二湖  走行8.2km           
9/4(火) 十二湖-千畳敷-五所川原-青森    走行132.5km         晴れ
9/5(水) 青森-八甲田山麓-十和田湖       走行80..9km          曇り
9/6(木) 十和田湖-大館-鷹巣           走行90.8km          曇りのち晴れ
9/7(金) 鷹巣-大館能代空港-羽田        走行5.9km            雨のち曇り

 総走行距離は418kmでしたが、67日のうち一日目は空港に夕方到着、最終日は朝空港発、三日目は丸々白神岳登山だったので、実質的走行日数は4日、一日平均走行距離は、空港と宿の往復約12kmを除いて約100kmということになります。最高一日走行距離は十二湖-青森の133km

 これまでの私のペース(最高一日走行距離約80km。それだけ走ると次の日は疲れてしまってまず40-50kmがせいぜい)から考えると、驚異的な伸びです。しかも筋肉疲労は以前よりずっと軽く、SPDペダル(ビンデイングで靴と一体化する)の威力を実感しました。

 ペダルと足が一体化しているので、余計な力が要らず、普通のペダルでは使わない(使えない)筋肉も動員してとっても効率よくペダリングできるんです。技術の進歩はすばらしいですね。筋力の衰えた中高年にとっても強い味方です。

 しかし一日100kmと言うのは、ビンディングペダルなど一般的ではないころの経験者の標準走行距離とされていましたし、世の中には一日300km走るという方もいますので、世間一般からすると全然大したものではありませんが。

 9/115:55羽田発、17:00大館能代着の便でした。ちょっと遅れて着いて、空港で自転車を組み立てて(といっても前輪とスタンド、ペダルを取り付けるだけですが)、宿に向かう頃には陽はとっぷり暮れていました。

 輪行袋の中の自転車の無事を確認、と思ったらやはりあちこちぶつけられた跡はありました。ベルのてっぺんのプラスチックカバーもフックが折れて取れていました。まあ飛行機の荷物で預ける時はある程度覚悟はしているのですが。ちなみに預ける際には、破損しても文句は一切言いません、との書面に署名させられます。ウン十万円もするような高価な自転車だったらとても預けられませんね。

 夕闇の中空港を後にしていざ出発!!続きはまた後ほど。


北東北サイクリング(1) 天は我を...

2007-09-08 00:31:27 | つなぎ

 

 


 6
7日の秋田青森サイクリングツアーから今日(もう昨日。以下同じ。)無事に帰ってきました。 総走行距離は418km。大館能代空港から海へ下って北上し、青森市を経由して八甲田、十和田湖を回って再び同じ空港へ戻ってくる周回コースでした。

 昨日は雨の予想がはずれて昼前からかんかん照りになり、十和田湖を出発してから空港(大館能代空港)のそばの宿まで結局ポツリとも来ませんでした。コース途中の様子は、また後ほどゆっくり振り返りたいと思います。

 途中の峠(発荷峠)からの十和田湖の眺め(写真下1)もすばらしく、その後の樹海の中の豪快なダウンヒル(写真下2、3:樹海ライン)は思わず絶叫するほど気持ちよかったです。車の通りも少なく、思いっきり飛ばして最高時速を更新(55km/hr)しました。


写真1

 


写真2

 


写真3

 昨日は思う存分楽しめたので、今日はもうどうなっても文句は言えないと覚悟を決めていました。今日の朝9:05発の羽田行きを予約していたのですが、空港近くの宿で夜のNHKニュースの台風情報を見ても、まず欠航の可能性大、良くて大幅遅れかなー、という雰囲気でした。

 朝全日空に電話して状況を聞いてみようと思ったのですが、電話は当然のごとく混み合っていて繋がりませんでした。マイレージ特典航空券なので、欠航だったら他の客より後回しにされて次の便(夕方5:45)には乗れないかもしれないし、と最悪同じ宿に連泊も覚悟しました。

 で、携帯があればこんな心配はせずに運行状況などインターネットサービスですぐに確認できるよなあ...、と自分の携帯嫌いをちょっと後悔しつつ、一応空港まで行ってみました。

 

 

 空港に着いたのはまだ8時前で、ようやく職員が出勤してくる時間帯でした。ロビーの玄関の鍵が開けられるのを待って飛び込んで運行状況を見てみると、「羽田」「欠航」の2文字が目に飛び込みました。

 覚悟はしていても「やっぱりなー」と落胆してもう一度見ると、時間が8時台になっていました。「出発時間は確か9時過ぎだったよなー」とよくよく見ると、到着便でした。慌てて到着ロビーの方に飛び込んでしまったのでした。

 一瞬ホッとしたものの、「でも到着がダメなら出発もダメだよなー」と、淡い期待がこみ上げるのを無理やり抑えるようにして出発ロビーに向かいました。

 入試の発表を見に行く時のような気分で、ドキドキしながら出発ロビーで恐る恐る上を見上げると、何と、「羽田」9:05 定刻」とあるではありませんか...。

 「天は...我を見放さなかった~~~!!!と、思わず合掌してしまいました。

 台風はまだ東北まで到着しておらず、羽田はすでに通り過ぎでいたため、飛行機は台風を避けて迂回して30分くらいの遅れで羽田に到着しました。ちなみに夕方の便は欠航だったようです。何とも奇跡のようなタイミングでした。


写真4

 二日前に八甲田山の下を通った際に「雪中行軍遭難記念像」(写真上4)をしっかり拝んでおいた祈りが通じたのではないかと思ってます。ちなみにこの像のモデルは後藤房之助伍長という方で、胸まで雪に埋もれて仮死状態で発見されたとのこと。でもその後蘇生して、この像の除幕式にも参列したそうです。すごい生命力ですね。(続く)


十和田湖です

2007-09-05 20:48:17 | つなぎ
ただいま十和田湖畔の国民宿舎のロビーの無料インターネットサービスのパソコンで書いています。携帯を持っていない身にはありがたいですね。

この間の土曜日の夕方にに羽田を発ってから随分と走りました。3日目の白神岳登山は雨でしたが、その他はおおむね晴れと曇りで自転車で走行中は今のところ本格的な雨にはあっていません。海岸線は晴れてとっても気持ち良かったです。

今日は青森市からここまで八甲田山と奥入瀬渓流を経て走りました。残念ながら八甲田山に登る余裕はありませんでしたが。明日は空港近くまで戻ってあさっての朝の便で東京に戻りますが、明日は台風の影響で大雨のようで、覚悟しています。旅の様子はまた帰ってからのんびり余韻を味わいながらまとめたいと思います。

苦難の先には...

2007-07-03 23:51:32 | つなぎ

 

 

 

 6月19日のつなぎで触れた、赤岳での体験です。

 去年の10月の第一週の土日に、いつもの先輩と2人で赤岳に登りました。強い低気圧が近づいていて不安定な天候だったものの、先輩の方針はいつも「よほどのことがない限り決行」なので、まあまだ寒くはないし、何とかなるだろう、と出かけました。

 ガイドブックによる頂上までの行程は5時間20分。時折ぱらつく雨の中、西側の登山口を出発し、ほぼ行程時間通りに中腹の山荘に着きました。しかしそこはなぜか異様に前庭に人が溢れ返っていて、屋外の木のテーブルも満員でした。こんな天気なのに良くこんなに来るなー、と自分等を棚に上げて思いました。

 それでも何とかテーブルの空いた隙をを見つけて割り込み、弁当を食べていると、近くで小屋の主人らしき年配の人が、何人かの客に山の上の方の状況を説明していました。上の小屋からの連絡があったようで、上は暴風の荒天で登山には不適とのことのようでした。あきらめきれずに、迂回コースがないか等食い下がる客に、「やめといた方がいいねー。私だったら行かないね。」と冷たく告げていました。

 これを聞いてようやく、ごった返していたのは、皆ここまで来たものの先に進めず足止めされているためだと気づきました。しかし先輩は当然のように、「行けるとこまで行って、万が一ダメだったら引き返そう」、と予想通りの判断でした。

 先輩の判断に従い意を決して登り始めると、しばらくして途中で引き返してきたという親子連れが下りてきて、「上は風速40mくらいでとても進めないよー」とのことでした。40mはオーバーだろ、と思いつつ、忠告に礼を言いながらも無視して先に進みました。

 さらにしばらく行くと、今度は学生とおぼしき男女のパーティーが下りてきました。あいさつすると、やはり途中で引き返してきたということで、「行くんですかあ?」、「やめといた方がいいですよお」、「吹き飛ばされますよー」、とやはりありがたい忠告を残しながら降りていきました。

 しかしこの程度でめげる先輩ではなく、「とにかく行ってみよ」ということでさらに登っていきました。尾根の上に出ると、なるほどものすごい強風で、吹き飛ばされそうでした。風速はどの程度か分かりませんが、ストックで支えることなく前に倒れかかっても倒れないくらいの強さでした。

 幸い雨はほとんど降っておらず、パラパラ程度で、気温もそれほど低くはなかったので、姿勢を低くして風を押しのけながら這うように進んでいきました。私は3,000m級の山は始めてだったので、さすがにちょっときつかったです。

 それでも何とか夕方には赤岳頂上小屋にたどり着きましたが、苦難の先にたどり着いたそこは...天国でした。

 小屋に先に到着していたグループも後から到着したグループもそれぞれ数名だけで、私たち2人を含めて全部で3、4パーティーの10人ほど。小屋自体は300人は収容できる大規模なものですが、ほとんど半独占状態なので、3人分の布団を占領してとりあえずどーんと大の字になってゆっくり休みました。

 食堂も余裕で悠々と数人分の席を占め、食後にゆたっりとくつろいでいた傍らで、テレビのニュースでは、発達した低気圧の影響で、白馬と奥穂高で2パーティーが遭難したことを伝えていました。

 帰宅後のニュースで、結局合計11人が遭難し、うち5名が亡くなったことを知り、先輩と「あれで雨が降って気温が低かったら俺達も危なかったなー」、と生きて帰れた喜びを分かち合いました。

 翌朝は少しは天気も回復するかとの期待も裏切られ、朝小屋を出てみると一面真っ白の霜が覆い、視界は数十メートル、気温も0度でした。朝食後しばらくのんびり待ったものの、好転の兆しが全く見えませんでした。あきらめて小屋前と頂上で記念撮影(写真下)して、前日とは別ルートで下り始めました。

 ルートは岩にペンキで描いてある矢印とところどころにある道しるべが頼りなのですが、どちらも凍り付いていて良く見えず、道しるべも古くなって文字が良く見えませんでした。こんな真冬並みとは思わなかったので、持っていた手袋は軍手と薄いフリースのものだけで、重ねてはめても凍傷で指を失うんじゃないかと心配なくらい冷たかったです。初秋だからと言って甘く見てはいけませんね。

 この辺が分岐点のはずなんだが、というところまで来て道が分からず、道はどこだー、と探していると、下から登ってくるパーティーが見えました。「助かったー」とほっとして、「文三郎道はここでいいんですか?」と聞くと、「われわれもそう思って下ったものの、分からなくなって引き返してきたんです」とのこと。

 つかみかけた希望のつるがするりと逃げ、またその周辺をあっちでもない、こっちでもないと探し回りました。ようやくあたりを付けて進み、何とか道にたどり着いたものの、へたをしたら下りでも遭難ものでした。

 登りも下りも大変な登山になってしまいましたが、中腹まで降りた頃にようやく晴れて、山頂まで全容が見渡せました。一面の霧氷に覆われた山腹がキラキラ輝いて、とても幻想的でした(写真下)。昨年の2月に丹沢で見た霧氷もきれいでしたが、こちらのはさすがにスケールが違います。

 こんな大変な登山ではあったものの、こういう記憶は後々鮮明に残り、貴重な思い出になるんですよねー。でもこれまでの山での最大の危機は入社2年目の時に行った知床の羅臼岳で、若気のいたりで、極めて無謀な山登りをして本当に遭難しかけました。この時のことはまたいつか。

 富士山は一応山開きはしたようですので、今週の金曜に休みをとって一泊で行く予定にしてます。あまりに天気が悪そうだったらさすがに延期しますが、今回は装備も万全にして、気をつけて登ってきたいと思います。


至福の大菩薩峠

2007-06-19 01:21:49 | つなぎ

 

 


 前回書いたように、この間の土曜日に大菩薩峠に行ってきました。週間天気予報ではずっと雨の予想だったのが直前に晴れの予想に変わり、一日中快晴で最高でした。梅雨入り宣言の後なのに変ですね。

 下界は暑かったようですが、山は登山口ですでに1,000mを超えているので、気温も20度くらいで暑くも寒くもなくちょうど良い加減でした。湿度も低くて、汗をかいてもさらっとすぐ乾き、山登りにこれほどの天候はめったにあるもんじゃない、というほどのパーフェクトさ。八ヶ岳から南アルプスを経て富士山までの大パノラマもたっぷり堪能できました(下写真:つなげると幅が収まらないので2段重ねです)

 大菩薩峠は初めてで、一度は行きたいと思っていたのでホントにラッキーでした。

 大菩薩峠の奥には大菩薩嶺があって、最高地点は大菩薩嶺の方なのに、何でここを指す時はいつも「大菩薩嶺」でなく「大菩薩峠」なのかちょっと疑問だったのですが、実際に行ってみて納得がいきました。

 ピークの大菩薩嶺の方は林に囲まれた猫の額ほどのスペースに小さな標識が立っているだけで、何も見えず面白くも何ともない所なんです。大絶景の大菩薩峠とは全く比較になりません。帰ってガイドブックをよく見たらちゃんとそう書いてありました。

 帰りは登山口のすぐ下の大菩薩の湯で汗を流し、さくらんぼ農園でうまいさくらんぼをたっぷり試食(やっぱりさくらんぼは日本のが最高ですねー。アメリカンチェリーとは比べ物になりません)した後一箱お土産を買い、大満足の一日。半年分くらいのストレスが吹っ飛びました。

 でも先輩は途中からなぜかいまひとついつもよりテンションが低めでした。ちょっと??だったのですが、山から下りて駐車場の手前まで来たときに先輩が一言。「道は整備され過ぎ、天気も良すぎて何か物足らん!」。ランニングとサッカーが趣味で、困難な状況ほど燃えるタイプの、ちょっとストイックなアスリート(山登りは50歳過ぎてからはまった)なんです。

 確かにサイクリングでも、楽に気持ち良く走れて快適だった部分というのはあまり印象に残りません。台風の中や、急坂続きで泣きたくなるようなところを走っていたときなどの方がはるかに強烈に印象に残り、後々の思い出としては貴重なんですけどね。

 昨年の秋に行った八ヶ岳の赤岳の時は大変な天候で、えらい目に合ったのですが、先輩は「あれは大変だったけど山に登ったー、って気がして良かったなー!」、とのことでした。白馬など他の山域では何人も遭難死した日で、我々も遭難してもおかしくなかったんですが。この時のことはまた後ほど。


時代を後取りする男

2007-03-13 00:16:07 | つなぎ

 

 


 携帯を持っていないことで私は会社でも天然記念物扱いです。接待の席でもお客さんを前に上司から、「彼はいまだに携帯持ってないんですよ!」といい話のネタにされてます。

 まあ何事も世の中から数テンポ遅れて生きており、それを是としている(単にのろまでついていけないだけですが)私としては、特に引け目は感じませんが。新しい電気製品が出てもたいてい第二世代品が出るまで手は出しませんし。

 そういう上司も携帯は持ってはいても、着信がうっとおしいと言って外出先でも普段はスイッチを切っているので肝心な時には連絡がつかないこともしばしば。大事な関係先から電話が来そうな時など、あらかじめ連絡が必要なことがわかっている時だけ、秘書さんに「スイッチ入れておくからね」と言って外出してます。

 私は外を出歩くことの多い仕事ではないので、連絡がつかなくて困るということもあまりありませんし、特に不自由は感じていません。サラリーマンはただでさえ束縛されているのに、その上こんな機械に支配されるのはどうも抵抗があるんですよねー。持ってる間中監視されているような気がして落ち着きません。

 

 

 必要な時には会社の共用携帯を持たされますが、単に電話をかける以外の使い方は良くわかっていません。

 出張の時もずっと「使わないから」と持って行かなかったんですが、昨年の2月に外人客を四国、中部、北陸の関係先回りに連れて行かなければならないことがあり、仕方なく初めて会社の携帯を持って出張に行きました。関係先やホテル等いろいろ連絡を取らなければならなかったので。

 出張の途中の新幹線の中で、お客さん達をグリーン車に乗せた後、私は普通車で暇をもてあまし、秘書さんにメールしてみようと試みました。適当にやれば何とかなるだろ、と思ったのですが、文字の変換の仕方やカナ、アルファベット切り替え等の仕方がどうしても分からず、30分位あーでもない、こーでもない、とやった挙句に結局あきらめて電話しました。

 昔初めて会社のパソコンでワープロ(一太郎)を使った時も、同じような苦労したのを思い出しました。日曜出勤だったので誰も聞く人がいなかったので。携帯なんかは説明書などなくても直感で操作できるように設計すべきだと思うんですがねえ。まあそういうヤツはじーさんばーさん用の簡単携帯を使え!と言われるでしょうが---。


中年の苦労も買ってでも---

2007-02-27 00:39:30 | つなぎ

 

 


 先週の月曜から静岡で2泊3日の英語の交渉の研修でした。「日本語でもろくにできないことを英語でやれったってなあ---」などという本音はおくびにも出さず、少なくとも表面上は精一杯がんばってきました。社員のスキルアップのために大切な会社の教育予算を割いて参加させていただいているので、こんな罰当たりなことはとても口に出せません(態度にはにじみ出てしまっていたかも)。

 研修ではいろんな想定シチュエーションで電話や会議での直接交渉等をアメリカ人講師2人が相手役となってやるのですが、講師は芝居なれしているので脅しやキレたふりなどお手のもの。こちらは当然のごとくしどろもどろ。そのやり取りをカセットテープに録音したりビデオに撮って、それを各自が自分で聞き(見)ながら反省点を書き、他の参加者がコメントしてディスカッションする、という内容でした。

 

 

 そもそも私は日本語でも全く弁の立つ方ではないので、おのれのぶざまな醜い姿を他の参加者や講師とともにビデオで見せられるのは拷問に等しく、まさに四六のがま状態でした。

 夕食後も解放してもらえず、2晩とも夜11時まで懇親会。もちろんただ黙って飲んでりゃいいってもんではなく、『パーティーでは参加者全員がエンターテイナーになること!』との指示のもと、何かしら周囲を楽しませることを義務づけられ、飲めない酒を飲み、つまらない失敗談などを話し(十分伝わっているのかどうかは不明)、何とか切り抜けました。

 は留学も駐在も経験はなく、海外滞在経験は短期出張以外ありませんが、しかしそれにしても何十年も勉強し続けてるんだからいい加減どうにかなってもよさそうなもんだがなあ、といつもながら感じます。まあまだ人生長いし、腐らず気長に勉強を続けたいと思っています。

 アメリカ人やイギリス人はビジネス上でこんな苦労をすることもなく、なんて不公平なんだ!といつも思うのですが、こればかりは歴史背景上仕方がないですね。苦労する反面外国語習得の楽しみや達成感もあるので、考え方次第で英語の苦労もあながち悪い面ばかりではないかと思います。

 

 

 前半は天気がいまいちでしたが、最終日は晴れて富士山がとてもきれいに見えました。あの斜面を一気に滑ったら研修でたまったフラストレーションも解消できるだろうになーと思いながら、英語研修後のいつものほろ苦い思いを胸に帰路につきました。


連休雑感

2007-02-12 19:29:10 | つなぎ

 

 

 

 この連休中は最高の天気でしたねー。三日間ゆっくり休めたのでリフレッシュしました。マンガは週一以上はちょっときついのですが、これから少し余裕のある時は時々つなぎ(山、サイクリング、その他)を入れようかと思っています。

 連休一日目は買い物その他雑用、二日目は留守番(嫁さんと末っ子は都響のすぎやまこういちコンサート、次男はhideミュージアム、長男は夜勤のバイト帰りで昼間中ぐっすり、私は一人でゆっくり勉強&マンガ描き)、今日はホームグラウンドの裏高尾(日影沢-小仏城山)で山歩き。裏高尾の旧甲州街道沿いは高尾梅郷として知られており、私の最も好きな場所のひとつです。今年は暖冬で開花が早そうですが、まださすがにちらほらでした。

 頂上からの眺めでも撮ってここに貼り付けようかと思ってデジカメを持っていったのですが、現地でザックから出してチェックしたらウンともスンともいいません---。電池切れでした。しばらく前にバッチリ充電した電池を入れておいたはずなのに、と思いましたが、スイッチが入れっぱなしになっていたようです。事前にチェックしなかったのが失敗でした。

 という訳で写真が撮れなかったので、代わりに昨年のサイクリング(諏訪から天竜川沿いの伊那路)の時のでお茶を濁そうかと思います。

 昨年9月上諏訪駅にて出発前の愛車GiantGreat Journey。いわずと知れた関野吉晴氏の冒険自転車世界旅行からのネーミングですが、私はとてもそんな大それた野心と気力、体力はないので、完全に名前負けしてます。もっぱらグータラ&チンタラのLittle Journeysを楽しんでます。

 スタート地の諏訪湖で記念写真。意識的に顔を暗くした訳ではないのですが、まあお見せするほどの面ではないので。斜めっているのは携帯用三脚を忘れてカメラをベンチに置いて撮ったため。

 サイクリングを始めたのは結婚して借り上げ社宅のアパートに住み始めた頃、嫁さんが自転車を買おうと自転車屋でブリジストンのカタログをもらってきて、それを眺めているうちにサイクリング車が欲しくなり、買ってしまったのが始まり。本州各地で自己流訓練後、台湾に行き、何とか無事に生きて帰ってきてさあこれから毎年海外へ!と思ったものの、子供の世話や教育費、嫁さんの顔に現れていた無言の声『家族を置いてまだこれ以上一人で遊びに行こうって言うの!』etc.もろもろあって10年ほどツーリングは断念していました。

 しかし根がしぶとい私はその程度であきらめる訳にはいきません。この十年地道に家事や留守番を進んで引き受け、無駄遣いもせず貯蓄もし、一人で遊びに行っても文句を言われない家庭基盤づくりに励んできました。その甲斐あってようやく昨年十年ぶりにツーリング再開にこぎつけました。仕事でこのくらいの気配りと努力をしていたらもうちょっとエラくなっていたかも---。これまでのことや今後のこともおいおい書いていこうかと思っています。