パソコン上達日記2

日々の雑感を戯れに綴ります

自分を映す心の鏡を持ってるか

2017-01-14 09:59:59 | はつちゃんの毎日

 

お休みなので、朝寝坊をしましたが、いつものルーティンワークをしてひと息ついています。

雪が5~6センチ積もっていました。7時ごろ、集団登校に向かう小さな子供たちのキャッキャッとした弾んだ声が聞こえてきました。

土曜登校の日ですが、久しぶりの雪がうれしいんでしょうね。雪遊びしながら登校、今朝は車の通行量が少ないので、安心です。


 

昨日は疲れましたが、週末というせいもあるし、神経的に疲れた感じがします。

私はよく人の相談や愚痴を聞きます。対立しているような双方から、聞くときが一番難しいです。

職場では、どうしても個人の価値観の違いが、ぶつかることがありますね。また女性が8割以上の職場なので、感情的な思いがどうしても表面化しやすいんだと思います。

こういった場合身近に話を聞いてもらえる人がいると、話すことで自分を客観視出来て、自分も悪かった部分があるなとか、振り返ることが出来て、それで相談者なりの解決、心の決着がつきやすいと思うのです。

私は職場では、とても、クールな考え方をする人間だと思っていますが、それは考え方の部分だけです。仕事は成果を求めることが基本だから、です。自分が範を示すことに努力すれば、それでいいのでは?と思います。他人に対して自分の価値観を押し付けても仕方ありません。人は変わらないからです。気づきは自分の内側から生まれるもので、いくら他人がやかましくいっても、変わりません。

例えば、大人としての礼儀作法の問題、常識的なふるまいや態度、女性らしい心遣りがありますね。そういった部分で、「あの人は出来ていないから」と批判的になることがあります。でもそういった人がじゃあ、出来ているか?となると客観的に見て、シーンが変わると出来ていない人のほうが多いような気がします。自分を振り返ることが出来る人や賢い人は、簡単に人を批判しません。コップの中の争いみたいなものかも。

自分がどういった顔をしているか、鏡をみないと分かりません。でも人の顔は、鏡がなくてもよく分ります。

だから他人の顔のことばかり気になっちゃう。脳というのは、自己中心的にとらえるというのがベースだし、難しいです。

ここの部分で、双方自分の価値観でぶつかる、対立している時 本質的に結局どちらも同じ位置に立っているなということ、よく思いますね。そういった時は、「同じ土俵に乗らない」ということが一番の感情的な問題の解決策だなと思いますが、なかなか難しい。

自分を映す鏡を心の中に持つというのは、大変高度なもの、ここまできたら達観できたといえるかもしれない。

不完全な人が集まっても、きちんとした仕事の成果をあげられる、それが仕事の醍醐味だと思いますね。完璧を求めるのは人ではなくて、仕事にそれを求めたいなと思います。仕事を極めることは、人間関係においても、結果として極めたことになるでしょうし。

午後からはパソコンサークルに久しぶりに行ってきます。

ずっと教えていなかったので、生徒さんにうまくスキル的に教えられないかもしれないので、不安です(笑)

 

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お金と財布

2017-01-09 15:32:35 | はつちゃんの毎日

今夜は 手巻き寿司にしました。久しぶりに酢飯がたべたいなと。いくらが美味しかったです~

お休みだったので、のんびり過ごしました。午前中、本屋さんに行きました。

私は本屋さんが好きです、今どんどん少なくなっていますが、大型書店は店の中にカフェがあったりします。昔よりずっと、立ち読みではなくて 座り読みが出来るようになっていますね。

私にとって、本屋さんは癒される空間…、でも一日ずっともいられないので、読みたい本をササッと見て帰りました。やっぱり実用書に惹かれます。作り置きおかずの本とか。あと流行っているのが、マインドフルネス関係。これも目を通しました、瞑想よりも毎日瞑想する習慣ですね、この習慣を続けることが一番難しい。脳は、面倒くさいことをスルーするからです。ダラダラが基本と思ってます。

この先、明るい未来がなかなか描けない日本の現状、高齢者も、もう働かなくてはいけない時代…お金がどうしたら増えるのかという類の書籍もたくさんありますね。投資とか。でも無責任ですよね。投資なんて、いくらでも進められるから。

お金を増やすには、まず1稼ぐこと 2収支を理解して無駄を省くこと 3 月々の収支から、差し引いた分を必ず貯金すること これをベースにして、まぁ色々余裕があったら投資したり、するんでしょうね。

お金の扱い方の参考によく「財布は、古いものを使わず いつも新しいものにして(1年ごとに取り換えるとか)長財布を使うとありますね。私も長財布です。二つ折りより長財布のほうがカッコイイし、合理的かなと。ただ気に入った財布は、長く使いますね。

でも、密かにしていることがあります。それは、お財布を休ませることです。お財布を休ませたほうが、何となくいい感じがするのです(笑) 長財布は、レシートとか小銭を入れるとパンパンに膨らみますよね。それが美しくない、みっともないので、なるだけ小銭入れをつかうようになります。そのことが、お金を管理するというのにつながる、長財布の効用は、スプリチュアルなことではなく、いたって実用的な理由から、お金を管理しやすくなるということだと思います。

管理する習慣を財布で身に付けたら、もっと大きい金額も管理できるようになると。

こういうことじゃないでしょうか。よくネットでFPに相談している人いますよね。あれは ヤラセかなと思うくらい、驚きます。FPじゃなくても、大体わかりそうなことあります。何が無駄とか。

私は子供の時から、お金に関して考えざる得ない家庭環境でした。もっと大きな家に住んで、きれいな服をたくさん買ってもらって贅沢な暮らしをしたいなと思っていましたが、両親が節制を心掛けてくれたので、生活レベルがある程度下がっても」生きていけるだろうと思っています。これは山口百恵さんもエッセーで述べていますね。子供の時の金銭感覚が身体に残っていると。

このブログを書いて、一度投稿したけれど、何か管理者側の問題か、記事が全くアップできなくなりました。また、gooブログも読めませんでした。今朝見たら大丈夫でしたが、…。書いた文章が消えてしまって残念。

今日は10日ですが、何となく新年のような感じです。電期間が終わったので、また頑張りたいなと思っています。これから仕事に行ってきます。

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女城主直虎 初回の感想は「朝ドラっぽい大河」

2017-01-08 20:32:18 | 番組コラム

真田丸と比較されたらやりにくいかも。いよいよ「直虎」大河が始まりました。

井伊家そのものは、知っていたけれど 直虎という女城主がいたことはこのドラマで初めて知りましたね…。おそらく 真田幸村以上に歴史的な資料も乏しく、一般的な認知度も低い、ほぼ知られていない…人物でしょう。ここを逆手にとれるのか、脚本家の腕の見せ所

「女城主直虎」第1回では感想を。

見終わった後、まぁ子役が可愛いからいいかと思ったけど。(笑)

う~ん、子役3人中心で進んでいく。大人びているというのかなぁ…9歳の男の子に、涙ながらに生きる大切さ、かけがえのない愛そう言ったものを説くのも、9歳?の女の子というのが…無理があるような。

直虎の子供時代、彼女の天真爛漫な性格も描かれるが、もう少し渋い役者さんがそろっているなら、大人のシーンがもっと欲しかった。        特に父親(杉本哲太)母親(財前直美)を。大人と子供の関係・描き方が平坦かもしれない。

物語は最後に重苦しい雰囲気、いきなり大事件が起こる…。ここでも子供目線で物語が進んでいくのは分かるけれど、まだ第1回。子役に深い思い入れを持てない私は、とても唐突な感じがした。子供目線で物語を展開するより、史実として淡々と今川家がおこなった仕打ちを描いたほうが、私的には好み。この井伊家の背景というのかなぁ 歴史的な解説がもっとあったほうが親切かと思う。真田丸は、その部分をすごくビジュアル的にも丁寧に見せたから、どうしても見劣りがする。

それからナレーターはやはり、NHKのアナウンサーのほうが大河には適役かと思う。梅雀さんの語りもいいけれど。

このナレーション含めて、直虎はどこか朝ドラっぽい大河だなという印象、これから日曜の夜という独特な時間帯にマッチングできるか、しばらく見続けたい。


 

でそれから、BS刑事フォイルを見た~ 面白い~♡ 2連休で、明日も休みなのがうれしい。成人式かぁ、いいね!夜更かしできるから、お正月見られなかったドラマを見ようっと。

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「世の中に片付くものなんて殆どありゃしない」夏目漱石 「道草」より

2017-01-07 20:02:40 | 読書感想

夏目漱石「道草」 年末からお正月にかけて読んだので感想を。

今年は漱石を中心に読もうと思っている。恥ずかしながら、文芸作品は大人になってから、読んでいない。だが、私も人生半ばを過ぎたし(たぶんwww)夏目漱石という作家の作品群を本当の意味で味わえるかもしれない、そういう期待をもって読んだ。

夏目漱石という人は、作家というより哲学者で宗教的な、そんな境地にあった人のような気がする。何となく私はそういう感じがしていたけれど、では「道草」を読んでどうだったか。

「道草」は自伝的小説とある。小説の内容は、大学講師である健三の日常。…彼の義父・義母・兄・姉・細君の父親までがお金を借りに、彼の元に頻繁にやって来るようになる、健三の本音は、「お金を貸したくない」けれど、無下に断ることが出来ない、ウダウダ心の中で悩みながら、細君に嫌味を言われながら、自分もさしてお金が余っているわけでもないのに、結局お金を貸してしまう。そういう話なのだ。

こう書くと、物語としては派手さもない。事件らしい事件は「誰かが金を借りに来る」これだけ(笑)だが…


 

人の生活は意識の連続で成り立っている、色んな思いが頭をよぎる、けれどその思いや感情、意識というもの、心の動きを、動きとして捉えるより前に、次の考えや思いがすぐ頭をよぎる。

「道草」は、この健三の心・意識の連続の瞬間を両手でそっとすくって、竹細工のように編み込んでいったよう。簡潔で美しいけれど、この竹細工の中を覗くと、健三の現在・過去・未来時間を超えた彼の意識の連続が、無限に広がっている。その中の空気というのかなぁ、とても生々しい。湿ったような生あたたかい風、真冬を思わせる凍てつくような北風、やわらかい春のひだまりを感じる空気、その人間の生きている空気感、リアリズムをとても感じる。

あぁこれが夏目漱石なのかぁとひどく感心した。やっぱりお札になった人だけのことあるなと(笑)

夫婦・親子・男・女・色々な立場・関係から生じる個人の姿のネガティブな意識部分をここまで俯瞰(ふかん)した漱石は凄いですね。

とても面白い。「道草」の現代版というのかな、そういうものも、できそう。私は4コマ漫画のような、ああいったものを描かればいいのになと思った。この現代に通じるリアルさというのを、また別な表現で再現できるんじゃないかなと。


 

物語は地味に終わる。健三が養父と関係を断つということで、とりあえず一件落着する。

ラストの細君と健三は、とても印象に残る。「道草」新潮文庫から抜粋

「安心するかね」

「ええ、安心よ。すっかり片付いちゃったんですもの」

「まだ中々片付きゃしないよ」

「どうして」

「片付いたのは上部だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」

細君の顔には不審と反抗の色が見えた。

「じゃあどうすれば本当に片付くんです」

「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こったことは何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他人にも自分にも解らなくなるだけさの事さ」

健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。

「おお好い子だ好い子だ。御父様の仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね」

細君はこう云い云い、幾度か赤い頬に接吻した。             (完)

 

私が現代国語の教師なら、こういう問題を出すでしょう。

何故作家は、『細君は黙って赤ん坊を抱きあげた』で、終わらせずに『おお好い子だ好い子だ』という細君の言葉と接吻する動作で終わらせたのか、それは小説世界にどういう効果をもたらしたのか、400字以内で述べなさい。

と。   そのくらい計算された文章で、素晴らしいなと思う。また別の作品を読んでみたい。

 

 

 

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SMAPであって、SMAPじゃない

2017-01-04 19:50:18 | つぶやき

年が明けてもSMAP関連のニュースが目立つ。それだけ人気者だったということだろうけど。

ただこれは幼稚だなと。[SMAP“キムハブ”忘年会 森くんと4人の「入」と「出」一部始終]

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170103-00516446-shincho-ent

 

会社で働くと気に入らない人ともチームを組まなくてはいけない。またいくら仲が良くても、一日何時間も一緒に過ごしていれば、お互い気に入らないこともある。仲良しチームがいいかというとそうじゃない。そこには、甘えが出るし、競争がない。大人ならプライベートと仕事をきっちり分け、バランスとることは、珍しくない。距離をとるほうが、お互い客観的になるし、自分に対しても冷静になれる。

SMAPも、そうである。年末に解散したなら、もう焼肉屋でお別れ会やっているSMAPは、SMAPであって、SMAPじゃない。だから、森君が参加しているんだろう。なのに、こういう風に記事を書く。書いたほうが売れるし、ハブタクと呼ぶほうがインパクトあるからだろう。色んな憶測を呼ぶからだろう…。

けれどもし木村君がこの焼き肉屋に参加してワイワイやっていたら、そのほうがおかしいだろう。(どういう理由がしらないが)解散するのに、5人揃った姿を生でファンに見せないという重い選択を、プロとして決断した意味が全くなくなる。

この場合、最後だし飲み会でもやろうか~とプライベートで集まるのは、当たり前だし、おかしくないが。それはもうSMAPであって、SMAPじゃない人達の集まり、プライベートなもので、好きなようにやればいい。そこに何か幻想を見たい気持ちがあるかもしれないが、夢は潰えたと思う、あの謝罪会見で。

それをハブタクとかで、さもファンの憶測、一般の方達の関心を呼ぶような書き方をする週刊誌。

SMAP問題で、いい加減な憶測記事しか出せないし、彼ら本人に取材も出来ない。なのに、こうした幼稚などうでもいい場面で、あとをつけ回して、「木村君がいないですね」とか、得意満面で記事にする。幼稚でしかない。週刊誌は、本丸の部分に取材すればいいのに。そういった勇気もない。情けない。

木村君がいないことより、大人なら、もっと聞かなきゃいけないことがあるはずでしょ。┐(´д`)┌ヤレヤレ

プロとしてどう思うのかという部分で、彼らに直接聞けないという異常さは、なかったことのように、置き去りにされてく。こわいなぁ。

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