趣味の日記

30歳を機にサラリーマンを辞めて2代目自営業を営む店長の自由気ままな生活を書いていきます

デービット・オルティスその2

2004-11-08 13:14:20 | MLB・プロ野球
オルティスが放った特大ホームランボールの行方 2004年11月07日
レッドソックスで大輪を咲かせた男

 一瞬、デービッド・オルティスの放った一発の行方を見失った。

 日米野球第2戦、相手投手、ロッテの渡辺俊介から4回の裏に放った勝ち越しの一発は、推定飛距離157メートル。打った瞬間、ライトの佐伯貴弘はまったく動かず。そのためにボールを見失ったのだが、彼が打球を追う必要もない。打球はライト最上段の照明の、さらにその上に直撃。直後の場内は静まり返り、オルティスのバットを投げ捨てた時の乾いた音だけが、ドーム全体に響いた。

 ア・リーグのチャンピオンシップではMVPに輝き、86年にも及ぶ「バンビーの呪い」を解いた男。今でこそ、「スーパースター」ともてはやされるが、長らく不遇も続いた。

 マリナーズとマイナー契約を結んだのは1993年。しかし、メジャーデビューのチャンスのないまま96年、ツインズへトレード。ツインズでは頭角を現すも、ケガなどでなかなかフルシーズンを送れない。やがて、財政緊縮のターゲットとなって、レッドソックスへ流れ着いた。

 大輪を咲かせたのは、そのレッドソックスへ移籍した昨年。変化球に弱いという評価だったが、いつしか器用さも加わっていた。第2戦では変則の渡辺に対し、第1打席は三振を喫したものの、第3打席では見事に特大の一発を放って、格の違いを見せつけた。
 
チームに自由という秩序を与えたオルティス


第1戦の試合前に談笑するレッドソックスのオルティス(左)とラミレス【 共同 】
 彼が、レッドソックスというチームにもたらした影響も大きい。持ち前の明るさが、クラブハウスの雰囲気をガラッと変えてしまったのだ。レッドソックスには長年、ノーマー・ガルシアパーラが王様として君臨し、クラブハウスでは静かにするよう、暗黙の了解があった。

 神経質なガルシアパーラは、「メディアなんかと、ぐちゃぐちゃ話すんじゃない」というスタンスの選手だったため、オルティスをはじめ、今回も来日している陽気なマニー・ラミレスなどは、不自由を感じていたという。
 しかし、チームの中心選手でありながら、アキレス腱でもあったガルシアパーラを、レッドソックスはこの夏に放出。代わってオルティス、ラミレスがクラブハウスのリーダーとなって、チームは変わった。ガルシアパーラが去った8月以降、レッドソックスは連勝を重ね、宿敵ヤンキースを倒した後は、何の苦しみもなくワールドシリーズを制してしまった。

 今回、チームとともに来日したMLB公式サイト(MLB.com)のバリー・ブルーム記者も言う。
「オルティスの陽気な性格は、クラブハウスから重々しさを取り除き、無秩序に見えるチームに、逆に自由という秩序を与えた」

 
ホームランボールを手に入れたのは?

 日米野球でも、オルティスとラミレスの2人が、試合中から大声を張り上げるなど、チームに明るさを振りまいた。オルティスは第1戦では勝ち越し打。また、冒頭でも触れた第2戦では、「故郷のドミニカまで飛んでいった」という一発で、日本のファンの度肝を抜いた。第3戦でも代打で登場。最初の3試合で、7打数3安打3打点1本塁打と、期待どおりの成績を残している。

 第2戦の試合後、クラブハウスを出たところで、彼は多くの記者に囲まれた。
「すごいホームランだった」と声をかければ、「名前を付けてくれよ」と言う。コロンのにおいをプンプンさせながら歩くその様は、まさに千両役者。その雰囲気にはオーラさえ漂い、記者の質問の一つ一つに豪快に笑った。

 ちなみに、特大のホームランボールは、メディア関係者のアルバイトの学生が手に入れたそうだ。
「記念にどうぞ」
 それをオルティスに差し出すと、陽気なドミニカンは言った。
「君が記念に取っておくといい」
 そういってオルティスは、ボールにサインまでしてくれたと言う。
「名前は何て言うの?」
 そう、名前も入れて……。

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